湯の中から春泥論
今日も寒い、明日はもっと寒いのかと
眉をしかめつつ、週間天気は先の先まで一桁の気温が並んでいる。
着込みすぎて肩は凝り、頬は乾燥し眠りは浅く唇はよく剥ける。
温かい飲み物はすぐに冷めてしまうし、取り込んだ洗濯物はなんとなく冷たい。昨日と同じ厚手のコートを着なければいけないのかと、飽き飽きしてくるのがだいたい2月頃だろう。
寒暖差に嫌気がさしながらブーブーと鼻を擤み、春一番がぴゅぅと吹いて標本木を囲んで花を数え、早く開花宣言をしたい大人達が騒いでいる中バタバタと新年度が始まり目まぐるしい日々を送る。
春の嵐に立ち向かい、多湿な日々を泳ぎ切ると急にセミが鳴き始めるのだから。四季が二季化しているというのは本当なのかもしれない。
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暖かさから一転、勘違いした桜が冷たい雨に濡れ ひたひたと散っていた。
帰宅してから手を洗い、拭いたタオルの中で手が痒くなりながら服を脱いでいく。
数日前、何かの拍子に背中を擦ってしまい地味な傷ができていた。
身体をひねり 小さな絆創膏をゆっくり剥がすと小さな黒点から鮮血がじわりと滲み、やっぱり痛かった。
明るい夕方にゆっくり湯船にでも入ろうと思い立つ。
普段はシャワーで済ませてしまうが、気が向いたので浴槽を洗い一日縛っていた髪を解き、入浴剤で白濁した風呂の中 足を伸ばす。
背中を底へと滑らせ耳まで沈むと、温度を保とうとする湯の循環が聞こえ
心地良さが優位に立ち、濛々湯気の中で宙を浮いているような気分だった。
ぬるま湯は無味、永遠
いつまでも浸かっていられるので、多量の水分で膨張した皮膚がシワを寄せ反響する水の音とともに 浮いたヘソが天を向く。
湯船から出れば身体がヒヤッとすることを想像し、手足を小さく折りたたみ
今は身体ごと泥に捕らわれ、私は身動きがとれなくなってしまったのだと。このまま凝固し寒天ゼリーにでもなっても構わないぞ、とふやけた妄想を浮かべていると
浴室の小さな窓から赤い西日がツンと差し込み、閉じた瞼の中が赤く染まり“あぁ、ここは風呂だった”と我に返る。
少し焦らされるように何事もなかったかのように、白い風呂から上がった。
頼りない裸を目の端に置き、床を濡らしながら身体を拭いていく。ふやけた傷口に絆創膏を貼り、またブーブーと鼻を擤んだ。
波打つ湯から、濛々湯気
ガーゼと傷口の張り付き
始点 終点
プラスチックを食べた魚を
いつか食べてしまうかもしれない
慣れた光景の中にキャプションを付けていく。
あらゆるサイクルの重なりに気づき、その輪に捕らわれたり連結したりしながら どう折り合いをつけていくのか、反芻しながら描いている。
途方もない作業だけれど、通じ合わない純粋さに潰されながら
想像の中に閉じ込めず可視化に徹することで、少しづつ溶かしていく春の始まり。
湯に浮く私を囲んだアヒルを数え唱える
ここから春泥宣言を。