知らないおばあちゃんと巻き寿司のはなし
はじめまして。
イマナカショウタと申します。
僕は趣味、いや、半分仕事ですが写真撮影の仕事をしています。
この話はウイルスによるパンデミックが起こるちょうど1年くらい前の話です。何でもない日常の一部分ですが、お付き合い頂ければ嬉しいです。
あの日は確か、とても暑い夏の日でした。
いつものように大阪のとある裏路地を、カメラを持って歩いていました。
すると自前の手押し車に座った80代くらいの御老人が、コインランドリーの前に座っていました。
暑くないのかな?とも思いながら、お世辞にも好青年ともいえぬ髭面の風貌のわたくしですが、その老人は軽く会釈してくれました。
僕も咄嗟に会釈を返し、
「よろしければ、写真撮らせて頂けませんか?」
と聞くと、快く
「いいよ!」
と返事を頂けたので、写真を撮らせて頂きました。
「ウチの豪邸に遊びにこないか?」
と、いきなり言われたので、少し考えた末、怪しさもなく、どこか親近感もあったので、後ろをついていってみることにしました。
足が少し不自由そうな、手押し車を押したご老人とゆっくり裏路地を歩いていくと、細い路地に所狭しと大豪邸が並んでいました。
その一角の家の玄関にお邪魔すると、どこか実家を思い出すような懐かしい香り。
テーブルに座らせてもらい、そのご老人はゆっくりとした足取りで冷蔵庫から、巻き寿司と冷えたお茶を取り出し、僕に差し出してくれました。
このご老人は1時間ほど、たくさんのお話を僕にしてくれました。
年齢は18歳。
広島県呉市の出身で、20歳の時に大阪にやってきたとの事。
そのジョークはもはや大阪人のそれです。
子供はおらず3年前に夫は他界し、現在この大豪邸で一人暮らしをしているとのこと。
会った時からすこし親近感があったのは、ぼくにも同じ様な境遇の祖母がいるからかもしれません。
そして、彼女は第二次世界大戦の戦争経験者でした。
当時の年齢は8歳。呉市では日々爆撃機が空を覆い、防空壕に籠る日々だったそうです。
そして、厳密にはこの場で説明しようがないのですが、その影響により彼女の左手は日常での生活が困難になるほどの傷を負ってしまいました。
戦争が終わっても、その生活は想像を絶するものであっただろうと思います。
でも彼女は笑顔で言いました。
「誰も何も恨んでなかった。恨みようもなかったし、この身体で人生を歩むしかなかった。」
食事、着替え、日常のありとあらゆる事柄を右手だけで使う訓練をしたそうです。
この出来事から3年ほど経ちますが、日々を追うごとにあのおばあちゃんの事を思い出します。
2022年3月現在
テレビをつけると、あのおばあちゃんと同じ境遇の子供達が沢山映し出されます。
今あのおばあちゃんは今何を思っているのだろうか。
ぼくがおばあちゃんから教わった事はとてもシンプルな事だったと思う。
今できることを、やる。
見知らぬ人でも親切にしてあげる事。もちろん身近な人達に対しても。
恨みも妬みも人間だから沢山ある。
でもそんな事を嘆いていても仕方がないのだ。
今できることを、やる。こと。
それはいつもポジティブじゃなくてもいい。
今できることが泣くことなら、泣いてもいい。
なんだかそう思った。
最後に、
少しでもぼくが何かおばあちゃんにしてあげれた事はあったかな?と考えた。
明確な答えじゃないけど、写真を見返してみて、おもしろい発見がひとつありました。
出会って最初に撮らせてもらった写真と、この帰り際に撮らせてもらった写真を見比べて頂きたい。
人と顔を合わせて話をする事は、とても幸せで大切な事なんだなと思った。