2020.03.29 神様は雰囲気に流されない
今日は日曜日。
神様と一日中過ごす特別な日だ。
何が楽しいって、1週間の方向性を神様が教えてくれる。
今日は礼拝に1時間ほど寝坊してしまい、神様に申し訳なかった。
寝坊すると、自分についてくれてる天使が点呼に行く時恥ずかしい思いをするから、天使にも申し訳ない。
今日の礼拝で私の頭に刺さった言葉があった。
「何かを決める時、雰囲気に流されてはいけない」
「はっきり把握して、分析して、分別しなさい」
私は今、進路についてとても悩んでいる。
いろんな会社や職業を見る中で、何となく人気があったり、華やかだったりするものに心が惹かれがちだ。
電通、SONY、Meijiなどなど給料が高くて働いてる人もエース的な素質を持った人が多いような大企業
アナウンサーやCAといった、よく知らないけどなんか華があって、魅力的に見える職業
そこまでなりたい訳じゃないのに、とりあえず受けとくか、みたいなノリになってしまう。
たしかにみんなが憧れるような職業は、なれたらなれたで、注目や称賛を浴びるだろう。
親を喜ばすこともできて、親戚や友人の中でも一目置かれる存在になるかもしれない。
でも、自分自身の心だけを見た時に、それは一体幸せだろうか?働き始めて10年、20年、死ぬ時、自分の人生を振り返って幸せだろうか?
人生成功したと言えるだろうか?
いくら、人から認められて承認欲求が満たされたとしても、それは「自己実現」ではない。
マズローの五段階欲求ってあるけど、
1. 生理的欲求
2. 安全欲求
3. 社会集団に属したい欲求
4. 承認欲求
5. 自己実現欲求
という風に、承認欲求は自己実現よりもレベルの低い段階の欲求だ。
だから嵐の大野くんみたいな、物凄く人気で、名誉も栄光もお金も親からの信頼も手に入れた人だって、自己実現がなされなければ、結局満足できないんだ。
彼はテレビでも、自分が誰かよく分からないと言っていた。
雰囲気が良いと、人はそこに群がりやすい。
カフェやレストランにしても、人にしても、
本当に料理が美味しいか、本当にその人が一緒にいて有益な人か、
ということよりも、外見や雰囲気で選んでしまうことが多い。
でもしばらくすると、本質が見えてきて、本当に良いものに人は気づき始める。
雰囲気が良いと最初は人が集まって栄えるけど、長い目で見たら、最終的には中身があるものが残る。
でも、最初、人から下に見られることが怖くて、手っ取り早く成功するように見える道を選んでしまいがちだ。
でも神様の前で見栄えは無意味だ。
神様は雰囲気に流されない。
全てのものの作成者で、部分から全体まで全て見ている。
私自身も、神様が作った。
だから、私の個性が最高に活かされて、私が最高に幸せに生きる道を誰よりも知っている。
物の使い方を知るには、作成者に聞くのが一番良い。
だから神様に尋ねたいんだけど。。。
神様はすぐには答えを教えてくれないんだよね。
答えだけすぐに教えたら、ただの機械みたいだ。
神様は、100年という地球での寿命を、神様と一緒に、霊界で生きるための精神、霊的な成長と、思い出作りの時間として与えてくれたらしい。
だから、簡単に成し遂げさせるよりも、努力して、涙して、もがくようにさせる。
そして、成長させ、達成したことをよく記憶させ、得たものをありがたく思うようにさせる。
大変な時も、神様との思い出を作る大切な時間だ。
神様との思い出がない人は、天国に行っても神様と話すことがない。
だから、気まずいから、一緒には居られないんだって。
とりあえず、雰囲気に流されないためには、
しっかり物事を分析すること。
割いて割いて割いて考えていこう。
時間がかかっても、遅くなっても、この分析はしっかりやらないといけないらしい。
その進路で自分の個性が活かされるのか?
自分の人生にとって最重要なものが犠牲にならないのか?
分析は苦手だ、、、
神様、どうか一緒にやってくださ〜い!!
サポート代は、神様が喜ばれることに使おうと思います。 神様が愛する人々のために、あるいは教会のために、あるいは日曜日に神様にあげる花代にしようと思います。