2023.6.21 表現者とは? 表現者としての夢を成し遂げた?
今週日曜日、教会のライブ第2弾!があり、私もダンサーとして参加させてもらった。
予想外に、出番が増えて全体の半分くらいの5曲を踊った。
体がまだクタクタしている。。。(連日3時間睡眠というのもあるが、、、)
改めて、このような表現の場をもらったことに感謝しなきゃと思って日記を書く。
というのもきっかけがあって、
土曜日にダンス専攻の大学生がシェアハウスに泊まりにきた。
彼女が私に向けて言った言葉が妙に心に響いて、
今、「神様に本当に感謝すべき時だ」と感じたのだ。
私が怪我をしてダンスができなくなったこと、
その後教会に通うようになってダンスを再開するようになったこと
その経緯を聞いて、彼女はこう言った。
「Sさんが怪我してダンスできなくなった分、
神様の懐のなかにきた今、
たくさん表現する場をくださってる感じがしました」
なんか、、、はっとさせられて、じ〜んときた。
私は6年前に怪我をしてずっと走ることもできなくなっていたので、
本当なら一生踊れず、それだけでなく、自分の生きがいを失ったまま生きていた。
それなのに、ライブに出て5曲も踊れるほどになった今の自分をみると、
ああ、この4年半の間、神様は私の表現者としての個性を育ててくれて、
本当の意味で、「生きる」ようにしてくださったなと実感した。
この期間、私はスクールなどに通って先生に教わることは一切なかったが、
神様がひたすらチャンスをくださり育ててくださった。
それは、人を惹きつけるために踊る、人に認められるために踊る、性的アピールのために踊る、ストレス解消のために踊る、そういう考えとは異なるたただ神様だけをみて賛美するダンスだった。
いかに人間の目を気にしないか、
いかに神様だけ考えて愛で踊れるか、
いかにその踊る間、神様に対して真実な愛の姿勢を表現できるか。
そのためにいかに普段から真実に愛の人生を生きられるか
平素が舞台では全て出る。。。
世の中の名の知れた大きな舞台で踊るということではないけれど、
神様は、表現者として最も最高なもの「真実な愛」を表現するように育ててくださった。
私の個性を活かしてくださり、
大好きな「表現」をする場所を与えてくださり、
最高なものを表現するようにと導いてくださった。
本当に、その愛と、ありがたみを感じた。
反対に、神様について知らなかったら恐ろしい。
神様について知らなかったら、膝が痛むからまずダンスしようとは思わなかった。牧師さんが肺炎を治すためにランニングして祈って直したっていうのを聞いて(すごすぎ笑)、自分も気にしすぎず動いてみようと思ってから状況が変わった。
動かさなくて固くなっていた膝が少しずつ動くようになって、血行が良くなって、筋肉もつき始め、動きがどんどん良くなり、諦めていた走ることも毎朝するようになったし、ダンスもできるようになった。
それから神様を知らなかったら、
自分の取り柄と生きる手段を失ったことへの後悔と落胆から本当の意味で立ち直ることはできなかった。
明るさを取り戻したとしても、どこか諦めを伴う振り切れた明るさだったと思う。
ただ聖書の御言葉を学んだから違う。
全く一般的なものとは異なる立ち直り方をした。
「完全復活」
むしろ怪我する前よりもっと理想的な幸せを掴んだ。
以前は自分の個性や生きる目的がわからず、ただなんとなく生きていた。
だけど怪我でそれを失ってみて、絶望している中で、探して探して御言葉に出会い、そのおかげで、必ず宝のような個性が与えられている!と強い希望をもらった。
(ちなみにその力を受けた御言葉↓)
もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。 そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。
コリント人への第一の手紙 12:12-27 抜粋
この意味は、
人々は、一つの体のよう。ある人は目で、ある人は耳。
神様はその一つ一つに目的と役割を与えられた。
だから比べることもできず、互いにお前は必要ないということもできない、というような内容の箇所。
この言葉から受けた力で探し続け、祈り、行動し続ける中で
一度失っていた「表現」がまさに自分がせずにはいられないことであり、
神様から与えられた個性であり、与えられた特性だ、とはっきり気づくことができた。
ハレルヤ!!
神様は、このような夢を叶えてくれた。
「自分の個性を知りたい」
「この世で自分の全てを尽くしても果たすべき役割を知りたい」
それから、
「自己満足な表現じゃなく、みんなに喜んで欲しい」
という夢も。
以前は私が何か表現してもそこまでのインパクトはなく、
むしろ自分勝手さが滲み出る時には不快な思いをした人もいた。
それがなんとも虚無だった。
いくら表現しても、世界にとっての意味を成さないから。。。
だけど今は、本当に違う。
特に今回のコンサートでは、神様を愛して踊るダンスに感動を受けて涙を流してくれる人もいたし、本当に人の心を感動させる神様の力が自分を通して人に臨んだ感覚が今までの中で一番大きかった。
正直本番直前まで、あまり気分が高まっておらず本調子でなかったのだが、
1曲目を踊り出した瞬間から神様への愛と喜び、天国の平安と煌めきが自分の目と全身を通してほとばしる感じがあった。
動いているのは自分だけど、働いている力は自分のものではない。
自分にはできない人間の力を超えた神様の人の心を震わす深く大きな力が、ダンスを通して人に与えられるのだ。
なんとも言えない神霊な行いに携わらせていただいていると思う。
これ以上に、「表現したい」と心から叫んでいた自分の夢を満足に叶えてくれたものはないと思える。
自分の夢が叶えられた
と思うと最近学んだ次の御言葉が思い出された。
自分の夢ばかり叶えようとしないで、
神様の夢を叶えて差し上げることが大きい
夢を叶えてもらった私が、今度は叶えて差し上げるべき
神様の夢ってなんだろう。。?
私が叶えるべき神様の夢、、、
次なるステージに進む予感。。。!