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欠けたピース🧩

わたしは現在、特別支援学級の先生をしている。
わたしの市では、特別支援の教員として赴任すると、簡単には変われない。

なぜだろう。
ずっと疑問だった。

特別支援が嫌だったわけではない。
ただ、通常級でインクルーシブ教育がしたい。たったそれだけが、わたしの小さな夢だった。

教師にはなれた。
しかし、夢には届かない。それがとてつもなく、悔しかった。

わたしは、勉強することもなくなり、余裕もなくなった。
このままずっと変わらなかったらどうしよう、というゴールの見えない悩み。
ただ、子どもの心だけは見失わないように。
そう思うことだけで精一杯だった。
欠けたピースを探しているような、心模様。

そんな初期のあたしに、
「あなたは、子どもの心に寄り添い、いつも笑顔で、しっかりと子どもを見つめているよ。」


そう言ってくれた先輩がいた。

仲間はたった1人でもいい。
わかってくれる人がいるだけで、人は折れきらない。

大丈夫。大丈夫だ。
いつもそう思えた。

悲しい時は泣けばいい。
好きなもんをたくさん食べればいい。
そうすれば悲しみが少しだけ引っ込んで、そこに美味しい、幸せが入り込む😊
そうやってあたしをずっと支えてくれた。


そこで気づいた。
本来、教育とは、こうやって寄り添うことなのではないか。
教え導くのではなく、子どもが困ったときに、大人がそっと支える。
無償の愛。

そういう、そもそも論が個人にあってこそ、深く豊かな愛情で、子どもと接することができ、成り立つ仕事なのではないか。

あたしを支えながら、同時に先輩は、実にいろんなことを教えてくれていた。
それは、今もだ。

そして感謝すること。
小さな恩返しの気持ち。

それが、あたしにできる最大の返し。

いまも欠けたピースは🧩欠けたまま。
あたしは特別支援学級のまま。
希望は出している。来年は異動の年だ。そこで特別支援から通常に代われるかはわからない。

でも、欠けたピースを埋めてくれる先輩の存在がある。
欠けているからこそ気づくものがある。見える景色がある。
人生を楽しむスパイス、、、かもしれない。
楽しもう。どんな結果でも。
ひたむきに努力を続ける。
努力は報われないかもしれない。が、努力を見ている人はきっといる。それに救われる人生もきっとある。

人の心に寄り添う人に、あたしもなりたい。

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