握りしめた手を離すとき
人は不安になると身体のあちこちに力が入る。
手を握りしめたり、肩をすくめたまま固まって息をすることも忘れてしまったり。そうして首も背中も腕も、腰や足首までもガチガチになってしまう。
私は専門家ではないので、それがどういう神経構造で起きている現象なのか、深く知る由も無いけれど、そこそこ長い時間を生きてきて、不安になる場面を何度か経験してみた実体験として、そう思う。
固まるっていうことは、前にも後にも進めない。
その場で「ステイ」している時間なのだ。
ステイしている間に何を考えるか?考えられればまだマシなんだろうけれど、いかんせん頭の中は「不安だらけ」「不安に牛耳られている」小心者の自分には、不安を押しのけて何かを考えるなんて器用なことはコトは出来る筈もなく。結果として「固まったまま」時間だけが過ぎていく。
そんな時間が長くなればなるほど、心同様にカラダも固まったまま。時間だけが過ぎていく。
そうなるとカラダには症状が出始める。動けない。動くと痛い。痛いから余計動かない。悪循環の繰り返し。
ねえねえ?あなたは握りしめたままの手で、何か別のものが掴めるの?
自分にそう伝えてみたら、心が少しだけ緩んだような氣分になった。
そうだね、固く握った手を一度解かないと、何かを掴むことは出来ないんだ。
だからね、深呼吸してみよう。窓を開けて青空に顔を向けて新しい空氣を胸にいっぱい吸い込もう。
そうして、固く固く握った掌を光にかざすんだ。
大丈夫、零れ落ちるものはない。もしあったとしたら、あとでちゃんと拾えばいいんだ。
お日様の光が指の隙間から降り注ぐ。頑なに握りしめていたのは、まだ見ぬものへの怖さだったのかもしれない。
人は誰でも、そしてどこかで、次の何かを掴むために、一度握った手を離さないといけない時がくる。
不安で握りしめたままの拳では命の綱も握れない。
でも、大丈夫。落ちるものは何もない。全ては心の中にある。