だから、私は光を探す
世界が殺伐とし始めたのは、多分私が生まれるはるかに前から。
そう、私は殺伐とした世界に生まれてきた。
暗闇の中を進んで、明るい場所に出てきたはずだったのに。。。
望んで来たのかどうかの記憶はないけれど。それでも希望はあったはず。
なのに、生まれ出た場所は、争いだらけの世界。
どうしてなんだろう?何かを選んだはずだけれど、忘れてしまった。
何のために争うのかは知らされないまま、光を見た途端、競うように決められている。
成長度合い。大きい・小さい・食べる・話す・歩く・走る・覚える・・・
動作のひとつひとつを、記録して比べて、その中で育つ時間。
何のための記録?身長は?体重は?大きくなりましたね。何ヶ月で寝返りが?ハイハイが?歩く?笑う?なぜ記録する?すべてが思い出のためならいいんだけれど、必ずしもそうではない。
違うことを許さない空気。みんな比べる、焦る、羨む・・・そして最後は憎む。あまりに当たり前になりすぎて、争うように導かれていることに氣づけない。。。
ぼんやりした記憶。そんなこともあったっけ?理不尽な仕方ない世界。好むと好まざるとに関わらず。
決まった年齢になると始まる「教育」
それは先生という「システム」に「教えてもらう」世界。先生は「偉い」と教えられる。偉い人の言うことは「正しい」と。
まっさらな心に深く刻まれる「先生は偉いから・・」
偉いのと正しいのは違うと言えない世界。
「先生の言うことを聞きましょう」「言うことを聞きましょう」
そうして自発的な考えは封印させられる。
教科書に載っていること「だけ」を覚えるだけの世界。考えることじゃなく、覚えることがすべてになる。
己で考えることを剥奪された人々は、教えられることだけを呑み込んでいく。
先生の言うとおりに問題を解いたら○。そうでなければ×。
「雪が溶けたら春になる」は間違い。先生は「水」を求めている。間違ってるとは思えない。でもそう答えたら「×」になる不思議な世界。
そして常に順番を争う。得点の多い順。先生の言うとおり。
そうやって無意識に競うことだけを覚える子どもたち。意識的か無意識的か知らないけれど、競うことだけが全てだと教える大人達。それが争うことに繋がることだと氣づいているのか、いないのか。。。
エンドレスに続く中で争うことだけが伝えられる。自分のためではなく、誰かのために。
でも・・・
そうではない世界があることを知っている人はいるんだ。
そこから抜け出す術はあるんだ。
ならば・・・
争わなくても生きていける世界があることを、知らせる術はあるか・・・
そこに光が届くのならば・・・
人の無意識のその下にある「みんなの無意識」に伝えよう。
教えられなくてもみんなが持ってる共通の氣持ち・・・
争わなくても、競わなくても、そのままでいいんだよ。
自分の得意なことをして、生きていいんだよ。
そこにみんなの光を集めよう。
みんなで光を届けよう。
そこを光でいっぱいにして、みんなが楽しく集まる場所にしよう。
だから、私は光を探す。
光に導かれる同志を探す。
みんなで歩むんだよ、光の方へ。
みんなで光になって、そこで輝くんだ。
争ってばかりの世の中から、抜け出すために。
自分のための時間を始めよう。
さぁ!向かうよ!٩( ᐛ )و 明るい光の射す方へ。