自分の身を自分で守る
こんな可愛いニャンコ戦士のトップ画像があったので、こんな話題をつらつらと(*´艸`)
『保身』というとなんとなく「自分さえ良ければ・・」とか「なりふり構わず己の利益」みたいな風に取られがちだけれど。
自分の身を保つ、と書くのだから、そこそこ立派なことなんじゃないの?とちょっと思う。
それが「他の人のことなんか知ったこっちゃない!己が一番じゃい!」だけになっちゃうのはいただけなくて、そうなりたいと思ってるわけでは決してない。
そうじゃなくてね、純粋に「自分の身は自分で守りたい」のよ。
そこに「他の人のこと」は1mmも関与していない。
ただひたすらに、自分のことに専念している状態。
自分が食べるもの、見るもの、聞くもの、使うもの。
自分が感じる風景や氣温や風や雨や空氣や自然の全て。
それらが全て合わさって、今の自分の体や心や感情が創られている。
今までの経験や、今の一瞬の出来事たち。そのどれか一つ欠けても、「今の自分」にはなっていない。
それら「自分の構成要素」を選んできたのは紛れもなく「自分」なのだ。
だからそれらに対して「自分で責任を持つ」ただこれだけのことなんだけど。
だからと言って、特別に孤独感に浸りたいわけでもない。
周りと敵対してでも、個を貫く、そんな極端な思想があるわけでもない。
自分の身は“出来るだけ”自分で守ろう
そう思うことは私にとってとても自然なことなのだ。
そう思うことで、自分や周りに何かが起きたって、誰かのせいにしない生き方が出来る。
カッコつけて!と思うかもしれないけれど、他人を恨み続けるエネルギーほど無駄なものはない。そこからは何も生まれてこないのは周りをみて学習してきた。
他人の判断を基準に生きていたら、不具合が起きたら他人のせいにしたくなる。それも自然な心の動き。
心を他人に取られたら、自分を生きている意味がなくなっちゃう。
あいつが謝るまで許さない、ってよく見る言葉だけれど、謝ってもらったら本当に許せる?
「絶対、謝ってなんかやらないもんね、べ〜!」って言われたらどうするんだ?
もしくは
口先だけでの謝罪を受けたとして、本当に許せるの?
と、まぁこんな風に思えるのは、自分がこの歳まで生きてきて、いろんな雨風にさらされて、文字を読んだり映像を見てきたおかげなんだよね。
とはいえ、若い頃から割と変な人ではあったけれど🤣
ふと見つけたニャンコ戦士の持ってる盾から思いを広げたら、こんな文章になりましたとさ。
剣の方については・・・あんまり得意ではないので💦
続きはあるかもしれないし、ないかもしれません(笑)
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