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自分というもの
5歳のある日。
朝起きたら親がいなかった。
私と妹を残して母は家を出て行った。
おもちゃを片付けなかったから母が出て行ってしまったんだと仕事から帰ってきた父に泣きながら話した。
父は一言、お前は悪くないと言った。
母は居酒屋で知り合った男性の元へ行ったのだと言う。
親の離婚が成立。私は父方、妹は母方に引き取られた。
母を許さないと思い続けた10年。
15歳 中学3年のある日、父と「母」の事について話をした。
仕事が忙しくすれ違いの生活。
徐々に距離が離れていったのだという。
私と妹を置いて出て行った行為はまだ消化は出来なかったが、少しだけ母の気持ちがわかった気がして涙が出た。
高校で大切な友達と出会う。
彼とはいまだに付き合っている大事な友達だ。
高校2年の時、彼の母が癌で亡くなった。
彼は私に、生きていれば会う事だって出来る と言った。
母親に会いたい気持ちが徐々に増えていった。
会って、恨んでしまっていた事を謝りたい、そして産んでくれてありがとうと伝えたいと思うようになっていた。
21歳の夏。
TBSテレビの再開番組に応募した。
3ヶ月ほど経ったある日、知らない番号から電話が来たが怪しいと思い電話には出ず放っておいた。
すると番組から委託された会社で話を聞きたいという留守電が入っていた。
一気に鼓動が早くなっていった。
電話をかけ直し一時間ほど生い立ちなどを説明し、番組の制作サイドで話が進むようであればTBSの方から連絡がある事を伝えられた。
1週間後、TBSから連絡があり、詳しくお話を伺いたいので赤坂に来て欲しいと言われ、TBS本社へ行く事になった。
それからはトントン拍子に話が進み、VTRの撮影などを経て本番を迎える事になった。
プレゼンターを務めてくれたのは、さくらさん。
ご挨拶に伺った時に物腰柔らかい笑顔でお話ししてくださったのは今でも印象に残っている。
立ち位置などの確認を終え、本番の撮影開始。
高校時代から似てると言われ続けた中村獅童くんに似てるよねと奈美悦子さんに言われたのは良い思い出。
撮影は進み、運命の時間。
安藤アナがドアを開けると、そこには1通の手紙。
頭が真っ白になった。
整理がつかないまま一旦席に戻り、手紙の内容を聞く。
母からはどうしても都合がつかずスタジオには行かなかったが後日会えたら嬉しいと書いてあった。
溢れそうになる涙を必死に堪えた。
17年。
やっと会えるんだと思ったら急に不安にもなった。
こんな自分で大丈夫かな?息子として受け入れてくれるのかな?
そんな不安を抱えながらホテルの部屋で母を待った。
入られますというスタッフさんの声で緊張はピークに。
引き戸が開けられ母と17年ぶりの再会。
母は開口一番、ゴメンねと自分に言ってきた。
なんと答えれば良いのか少し考えた。
そして自分は、もう大丈夫です。と答えた。
許せない時もあったけれど、心から会いたいと思った今、母の事を恨んではいないし、もう許せていたから。
少し遅れて妹も到着。
兄と妹、2人とも人見知りだったので数分間微妙な空気が流れたけど、すぐに打ち解ける事が出来てホッとした。
親の離婚から親との再会まで17年かかってしまったけれど、生きている事が分かり、またこうして顔を合わせて笑いあえる事は本当に幸せだと思った。
あの再会から13年。
自分も妹も結婚して親となった。
自分が寂しい思いをした分、自分の子供には寂しい思いをさせたくないと思いながら日々家事育児に奔走している。
息子が大きくなった時にお父さんとお母さんの子で良かったと言ってもらえるような人間になっていきたい。
暗い過去があったからこそ今の自分が居られるのもあるんだけれどね。
そんな自分の人生の大きなターニングポイントになった22歳の出来事。
関わってくださった制作スタッフの皆さんや、プレゼンをしてくれたさくらさん始めタレントの皆さん、本当にありがとうございました。
長々とまとまりの無い文章でしたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。