椎名誠氏について
【さらば国分寺書店 椎名誠雑感】
脱線が続く。キレると言えば簡単だが、それで済むカンジでは無いのである。
国鉄始め、「鉄道関係の人々が好きで無い」から始まる。
その中身を当然検証し始める。
元々、椎名誠は、脱線人生かもしれない。喧嘩がその本質だ。電車で何処かに向かうが、途中で喧嘩の為に降りる、なんて事が暫しあった様だが、それこそ脱線である。
で、それが椎名誠の真骨頂と言える。
椎名誠の脱線にあるエネルギーを感じてならない。それは、怒りと言えば其れ迄だが、そこに人が生きる事の意味を見出す事が出来るのだ。
彼のこの処女作の「さらば・・」は次の作品である「わしらは怪しい探険隊」に続くのであるが、その共通点を考えることで分かる。つまり、自分らはおじさんであり、それで探険なる楽しみを勝手にするという中に、世に対する怒りが見え隠れする。
この世は、そんなに真面目に相手していたら、保たないぞ、という哲学だ。
この椎名誠的怒りというエネルギーを目の前にして、我々は何を考えるか。それは、椎名誠が拒否する誰かからの賛成、シンパシーである。
孤独感に負ける事なく、自己を貫く生き方を感じざるを得ない。と同時にある挫折感も感じざるを得ない。
そこで、我々は昭和というものに出会うのだ。
24時間働けますか?というCMにあるように、頑張りましょう頑張れるまで。これは、「さらば・・」の中にある「ガンバリズム」という言葉に達する。
それが出てくる文脈は、電気ドリル声(車内放送のがなり立て)に対する椎名誠(サラリーマン)の怒りの中からであるが、それはエラい管理職のそれとは違うと椎名誠は言うのだ。
それを説明するのに、カラオケ超人願望という概念を持ち出す。
そのカラオケなんとかとは、マイクを持つと人はあるシンギュラリティを超えるという発想である。観客がいないががんばっている自給自足的な玄人番組の様な人を例に出して、または、クソガキを持ち出して、人には何かを超えたい願望があって、それは、頑張ることで生まれると椎名誠は問い直している。
ということは、昭和の場面で我々が体現した「頑張る」人々(サラリーマン)は、何かを超えたいがゆえなのだ。超えたいものが何かであるのが、それは後述する。
「鉄道関係の皆さんのあのがなり立て、というものはですね、いろいろ考えると、この「マイクを持った時のぼくってすごいんだぜ」という例の一種の超人願望からきている」この文章が以上の事を意味しているのは明らかである。
我々が体現した昭和は、椎名誠によって表現されている怒りという現象、そしてその根本にある頑張ることで乗り越える事ができる孤独感。それは、目の前のものへの怒りであり、それを頑張ることで越えられる(そこにマイクという仕掛けが椎名誠はあるというのだが)だが、現実は誰も越えられなかった(富裕層はそこではオミットされるが)。これこそ、昭和であるとその本は語っている。自虐的に語るその文章は、その昭和の時代の大衆の敗北を表している。