パートナーが大好きな私の純度100の惚気話です。
パートナーとの馴れ初め
私とパートナーは中学の同級生だ。
とはいえ、中学の在学中に交際していた訳でもなく、卒業後に交流もなかった。
ただ、印象には残っていた。美少年だったからだ。
一昨年、SNSを通じて11年ぶりに再会し、メッセージのやりとりからはじまり、10日で初デート、そこから5日で交際関係がスタートした。その後、遠距離ながら2週間と空けずにデートを繰返し、交際8ヶ月で同棲、交際から1年の頃合いに私の妊娠がわかり、様々手続きを経て、1ヶ月後のよき日に結婚した。
再会から結婚までおよそ13ヶ月ほどである。
あまりにスピーディー。
実は私はパートナー以前に交際した経験がない。
好意を持ったこともあるし、幸いにも好意を向けていただいたこともある。愛している家族も友人もいる。
しかしながら、どうにしてもいわゆる交際するという状態を思い描けず、そうはならなかった。
他者との接触が苦手だったことも大きい。
いわゆるボディタッチのコミュニケーションはとても苦手で、身体系のワークショップはことごとく避け、ダンス等も苦手。
愛する家族友人でさえ、握手やハグの際、どうしても違和感がある。(できないことはないし、そうした愛情表現はすきなのだが、安心感はない。)
明け透けなことをいうと、交際関係に至った場合、多くのひとが経験するらしい性的接触に対して、嫌悪感、恐怖感さえあった。
そのため、私はずっと愛し愛されるという関係に憧れながらも、自分は特定の相手と愛し愛されるパートナーシップを築くことはできないタイプなのか、とあきらめていた。それならば愛する家族友人へ、この有り余る愛を惜しげなく届けようと腹をくくっていた。
しかし、パートナーとハグをしたとき、私のなかですべて変わってしまったのだ。
そもそも、この人と私、ハグしたいな、できるな、とおもったのだ。触れたいというはじめての感覚。
そして、ハグしたその瞬間におなかの真ん中にストンッと落ちてきた感覚。
ああ、私はこの人とこの先ずーっといっしょにいるな。
いっしょにいたいな、じゃなかった。ずーっといっしょにいるな、とおもった。腑に落ちるとはまさに。
ハグがこんなに安心して心地好いものだったなんて!
もちろん、それは個人の感覚だし、ハグがすべてのひとにとって安心の愛情表現とは限らない。そのひとのパーソナルスペースによるとおもう。
ただ、私個人の話をすれば、衝撃の感覚上書き体験だったのだ。
その腑に落ちた感覚は会話からみえる彼の人柄、価値観、同棲するなかでみえた生活態度や判断基準、そうしたものを知る度に、より確かなものへと変わっていった。
やっぱり私はこの人とこの先もずーっといっしょにいるな、いられるな。
予定日間近な先日の会話
予定日も間近になり、思い出話に花が咲いた。
実母いわく、中学時代の私は度々パートナーの名前を家庭で口にしていたという。当時の本人には自覚がなかったが、その頃からパートナーに惹かれていたとだとおもう。
そんな話をすると、彼ははにかみながら、こう言った。
いままで言わなかったけど。
実は、中学のとき、君に対して、
「この人と結婚するかもな」
っておもったんだよ。なんでか。
その頃はまだ恋愛感情がよくわかんなくて
全然すきとかじゃなかったのに、ふとそんなことおもって、不思議だった。
私は豆鉄砲くらった鳩である。
私を喜ばそうとして言ってるんじゃなくて?
うん。すごい不思議だよね。
運命~~、、!!!!
運命と書いてうんめい~?!(出典:映画『大洗にも星は降るなり』マスターの台詞 演:佐藤二郎)
はにかむ彼のうつくしい横顔を見ながら、心は大暴れである。大乱舞。舞うしかない。
中学生の頃からこのはにかみが大好きなのだ!
このいただいた縁をぜったいぜったい放さないし、幸せをふたりで育てて歩いていくと心新たに誓うに充分すぎる話だった。
これからもこのパートナーを大切なように大切に、ふたりでコミュニケーションをきちんととりながら、歩いていきたいとおもう。
そうできる相手だ。そうしたい相手なのだ。
あまりにも運命~!なエピソードで、誰かに話したくて。
ただ、友人に話すには惚気がすぎるので、ここで書かせてもらいました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?