やさしいあたたかい感情の『好き』っていいな、となった話
私が今年の半ばにとんでもない落ち方をしてしまったカリスマの天堂天彦と、そのCVを勤めている橋詰知久さんの関連する記事が今回で第三弾になる。
まさかここまで続くことになるとは……。
…というところではあるのだが、
ここは私の好きなことを思う存分書いていい場所なので、好きなように綴らせて頂こうかと思う。
今回の内容は、主に橋詰さん中心の記事になるかと思います。
長いです。おそらくかなり長くなります。
前々回の記事:好きの歯止めが効かなくなるくらい好きになった人物が実はかなりの地雷を貫いていた話
前回の記事:地雷?なにそれ美味しいの?
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カリスマにハマり、天堂天彦にハマり、橋詰さんにハマり、少ししてからのこと。
『橋詰さんにファンレターを書きたい!!!』
そういう感情がじわじわと湧き始めた。
だが、私は心の奥底から好きな感情が最高級に𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬級に大きくなればなるほど
【近づけない・遠くから眺めてるだけでいっぱいいっぱい・出来れば視界に入りたくない・そっと見守っているだけでいい】
という具合の感情に見舞われ、かなり消極的になってしまう。
好きな感情は宇宙のその果てのその果てまで馬鹿デカい癖に、
いざ、その気持ちをご本人に伝えるなんてことになったら穴に潜りたくなる&走って逃げたくなってしまう(気持ち的な面でという意味で)。
普段は好きなもの・人物に対して溢れ出る好きな感情を壁に向かってただひたすらに「好き!!!」と叫んでいるだけで、『好きの感情を言葉にして表現している』という感覚に近いので、
ご本人に伝えたいとか、そういうことではないのだ。
本当にただただ垂れ流しているだけ。
だが、応援している気持ちは言葉にして言わないと伝わらない。
人間、誰しも励ましの言葉は嬉しいものだ。
だから少しでもご本人の励みになるのなら……という気持ちで書きたい、と、いう気持ちはあるのだが。
何を書けばいいかわからない。
好きな感情ばっかりが大きくなるあまり、思考が働かない。考えただけで頭が真っ白になる。
心臓が鼓動を速くして暴れ出す。
気持ちが大きくなれば大きくなるほど、受け取る相手のことを考えれば考えるほど、失礼のないように…と考えれば考えるほど、書けない。
過去に、また別の好きな声優さん(小野坂昌也さん)にファンレターを書くぞ!となって書いたのも気持ちの準備&整えるのに約10年近くかかっている。
もうかれこれ7年近く好きでよくライブにも行くはずなアーティスト(川谷絵音さん)にでさえ、何かメッセージを送るだなんてことは恐れ多くて全然出来ない人間なのだ。
もしそのアーティストに何か送れたとしても、ファンクラブ内のお誕生日の企画でメッセージ大募集!とかのタイプのもので匿名でだったら送れる、という具合だ。
そして、まさに今、橋詰さんはかなり好きなお方なので
「書きたい。書きたいには書きたいけど、心の準備が整うまで時間が欲しい……。せめて、せめて半年は必要……書くなら来年のお誕生日に合わせてじんわり温めながら書こう………」
という状態で心の準備をゆっくり整えよう……と思っていたのだが。
タイミングというのは実に不思議なもので、『これはもうまさに今書くしかない』という状況は突然やってくるものだ。
────と、いうところからこの話は始まる。
(あまりにも長すぎる冒頭)
①『ミラクル』というものは、何故かトントン拍子に続く時は続いてしまう
9月某日。
前回の記事にも書いたのだが、
私は一時期天堂天彦のことが好きになりすぎるあまり、その感情が変な拗らせ方をしていた。
だが、9/28の『カリスマジャンボリー』を配信で楽しんでいた時、橋詰さんの存在によりその拗らせ具合が一気に吹っ飛んだ。
(前回の記事に詳しく書いてありますのでここでは割愛)
そこで、カリスマジャンボリーを楽しんだその気持ちで
「橋詰さんにお手紙、書きたい!今、この気分が高揚して感動している余韻のまま書きたい!!!」
となった。
そして、その勢いのまま天堂天彦と橋詰さんのファンアートを描き、それを使ったポップアップカードを制作してそれを同封しようと作業を始めた。
だが、日が経つにつれて、また
「何を書けばいいかわからない…」
と、気持ちがだんだん消極的になり、再び気持ちを整える期間になってしまった。
それでも
『10月の終わりまでには絶対に書き終えて、ジャンボリーの感想としてはちょっと遅くなっちゃったけど、11月に絶対に書いて送るぞ!!!』
と意気込んでいた。
そしてその時私は
「もし、朗読会のようなものがあったら是非足を運ばせて頂きたいです」
というのを最後に綴って、手紙を出そうとしていた。
が、大変なことが起こった。
送る前に、
「朗読劇出るよ~」と、お知らせされてしまった。
先を越された。
そしてそのお知らせを受け取ってすぐ10分もしないうちに橋詰さんの出演されている日のチケットを取った。
しかもS席。
人生でわざわざS席を取ったこと自体初めてだった。
(普段、ランクのあるタイプのチケットを取る時は「その会場の雰囲気も含めて楽しみたいからまあ観れればいいかな」程度なのでランクの低いものを選びがちになる)
これはもう、この朗読劇の感想も含めて一緒に書くしかないではないか。
そんな状況になってしまったのだ。
そしてここで新たな問題が起きた。
朗読劇のお知らせが解禁されたのは開催する日程の2週間前だった。
2週間後なんて直ぐではないか。
そして、チケットを取った後に気づいたのだが、S席は前列付近保証の特典が付いていたことに気付く。
先程も書いたように、
私は心の奥底から好きな感情が最高級に𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬級に大きくなればなるほど
【近づけない・遠くから眺めてるだけでいっぱいいっぱい・出来れば視界に入りたくない・そっと見守っているだけでいい】
で、ある。
会場もそこまで大きくないホールの前列付近。
「やばい、待って、これ、これはもしかしてだいぶ近いんじゃ…?」
と、一気に頭が茹って顔が耳まで熱くなった。
話は少し変わるが、
東京(大阪)コミック・コンベンションというアメコミ・SF映画系のイベントで好きな海外俳優に会える!という催しがあるのだが、
その海外俳優たちの撮影会・サイン会のチケットが販売されるのでさえ開催1ヶ月前で、
無事にチケット取れた!争奪戦に勝った!となればコミコンまでの1ヶ月間で対面するまでの気持ちをじっくり整えることが出来る。
(ちなみにコミコンの記事もまとめてあります:奇跡の連続ばっかりで情報・供給過多続きの最高の週末)
だが、今回、朗読劇のお知らせされたのは2週間前で、
その2週間で心の準備を整えてね、ということになる。
整えられるわけがない。
生身の橋詰さんのお姿、生の橋詰さんのお声。
それを2週間後に…?
なんて、そんなことを考えたら平常心なんてものはどこかに飛んでいってしまい、
そもそも画面越しだけでもかなりいっぱいいっぱいな状態だったので、
その瞬間から橋詰さん関連のお声(主に天堂天彦の声とキャラソン)は気が気じゃなくなるのでしばらく一切聴けなくなってしまった。
そしてそのソワソワドキドキした気を紛らすように別のジャンルのものを数日掛けて描き殴るなどして意識を逸らし、
結局、橋詰さんのお声を改めて解禁出来るようになったのは橋詰さんの出演日の3日前くらいからだった。
と、言っても、お声を聴いてしまえばやっぱり気が気ではなくなるので、
日が近づけば近づくほど、私の鼓動は速く鳴り続けるばかりだった。
*
朗読劇前日。
もう、ずっと朗読劇のことばかりをずっと考えてしまってふわふわしてしまい、ずっと上の空状態だった。
そして仕事中、私はふと思った。
「せっかくの機会なのに、明日の一回きりでいいのか?」と。
普段、私がよく行くライブのバンド/フロントマンのお方(主に川谷絵音さんのことを指している)は常に曲を作ってるかライブするかのお方であるので、ライブの数が意味わからないくらいに多く、
「まあ行けるタイミングで行ければいいや」
になるのだが、
(↑そもそも彼の場合はバンドを5つ掛け持ちしていて単独公演をやったりなどもするので、
それぞれ別のバンドあるいは別の公演で3日連続とか毎週なにかしらのライブがあるなんてことは日常茶飯事である。なので本当に本当にキリがない)
橋詰さんの場合、ナレーター兼声優さんであるため、そこまで表に出るタイプのお方ではない。
と、同時に私は
映画鑑賞や舞台やお芝居の観劇がかなり好きなタイプなオタクでもあるため、
そんなオタク心が発動して
『物語の流れも含めてちゃんと楽しみにいくなら、初見は初見の感動を噛み締めて、そのまま物語をちゃんと知った上でお代わりしたくなるのでは…?』
という考えに至り、
別の回のチケットを追加で取ってしまった。
(↑結果、この選択はやっぱり大正解だった)
しかも、チケットお取り置きで、だ。
随分前、好きな芸人さんを観に行くためによくお笑いライブに通っていた時期があったのだが、
その時に好きな芸人さんに
『〇〇(名前)で、チケットのお取り置きお願いします!』
とお取り置きのお願いをしていたことがある。
いわゆる『置きチケ』というやつだ。
若手芸人さんはファンとの距離がだいぶ近めだったのと、
むしろ芸人さん側から「お取り置き承りますのでお気軽に〜!」みたいな感じだったので結構気軽にお取り置きをお願いしていた。
何よりも、芸人さんの場合はチケット代を自分で負担しているというのもあり、
又、ほぼ無名に近い自分たちのことも世に売れていかないといけないので、売る側も必死なのだ。
それももう数年前の話になるが。
そんな経験をしているため、
まさか、好きな声優さんにチケットのお取り置きが出来る状況があまりにも珍しい状況で、
そんなことあるの?!
状態だった。
流石にチケットのシステム云々は若手の芸人さんたちとは違うだろうが、
「せっかく当日券買うなら、橋詰さん専用ページからチケット買うか…」
となり、お取り置きフォームから本名名義で申し込むこととなった。
ちなみに、芸人さんにでさえチケットを本名でお取り置きをした事は一度もない。
*
自分が観劇する回まであと24時間を切った頃。
仕事を終えて帰宅して、
『明日の朗読劇に備えて何もしないで体力充電に専念しよう』
と、意気込んでいた時のことだ。
そこでまた新たに私の心臓を掻き乱すことが起きた。
既に記事内に文字をツラツラ綴っているので、
もうこの際、何が起こったか画像のスクショを貼り付けることにする。
色々ジャストタイミングすぎるだろうよ、という話で。
橋詰さんのことで頭がいっぱいなタイミングで、
そのご本人から別のタイプの好きの供給を浴びせられ、
そのタイミングでカリスマのグッズ(というか天堂天彦)が届き、
もう何が何だかわからない状態で朗読劇前日は終えた。
ちなみに、前日は全然眠れなかった。
②待ちに待った朗読劇当日:DAY1
当日、私の感情は思いの外落ち着いていて、
朗読劇を観に行くことを話していた職場の先輩には
「一周回って観音菩薩みたいな表情になってるね」
と言われるほど気の昂りもそこまでなく過ごしていた。
それでも退勤時間に近づけば近づくほどやっぱりソワソワドキドキした感情が高まってしまい、
「頑張って!楽しんできなね!」と先輩に送り出されたその足で退勤後にふわふわしたまま電車に乗り込んだ。
幸い、会場が渋谷だったこともあり、
過去に渋谷のお笑いの劇場に通い詰めていた頃の名残で渋谷はかなり行き慣れていたので土地勘の心配をする必要がなく、
とりあえずぼーっとしてても辿り着けることだけは安心だった。
会場に入って、自分の席に着席すると、
やっぱり近かった。
これ私大丈夫なのかな。
とソワソワしながら開演を迎えた。
開演を迎えてからは、
物語にのめり込んでいたのでかなり集中して没入していた。
そして、集中していたタイミングで
真(主人公)のお父さん役である橋詰さんが出てきて
「は、は、は、橋詰さんだ〜〜!!」となった直後、
私の好みドンピシャの髪型をされていて
「えっええ?!?!すんごく、す、好きなのですが?!」
とびっくりしながらそのまま朗読劇を楽しんだ。
↑この髪型で出てくると思っていたので、
全然違くて好きが増してしまった。
そもそも、お話自体が私のかなり好きなタイプの物語だった。
カラフル自体は名前だけは知っていただけで、観たり読んだりしたことが無かったので完全に初見だった。
こんなに素敵な話なのか、と、とても温かい気持ちになった。
終わった後、思わず感涙してしまい、
会場を出て電車に揺られながら余韻でずっと涙目で潤んでしまっていたほどだった。
原作の小説もその余韻のまま某通販サイトで買った。
橋詰さんの役は『穏やかな優しいお父さん』ということで、とにかくお声が本当にお優しくて。
あたたかいぬくもりを感じるような、包み込むような優しいお声で。
滲み出る素朴なふんわりしたあたたかい優しさとお人柄の良さとが、本当に声によく現れていらっしゃったのが実際にこの耳で肉声のお声を聴いての感想だった。
↑観劇後すぐの感想
やさしい物語だった事、
そしてやさしいお父さん役があまりにもドンピシャに橋詰さんにハマっていた事。
そんな相乗効果とで出会えたことが本当にすんごく嬉しくて幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。
そして同時に、
「このお方は何故天彦さんを演じてるんだ…?」
という気持ちにもなった。
お父さんの役のお声があまりにも優しすぎたのもあって、
このお方のお声は卑猥なキャラ(天彦さん)で印象付けてしまっていいのかな……という気持ちになってしまった。
とはいいつつ、天彦さんは奇抜で癖が強いキャラではありつつも彼は彼でとても優しい人物であるので、
やっぱり優しい役がお声にすごく合うんだろうなとも思って、更に好きが増した。
9月のカリスマジャンボリーの時は、その時はその時で、弾けつつすんごく楽しんでいらっしゃったので、それもそれで愛おしかったな~と改めて思うなどもした。
そして橋詰さんの良さと魅力を、天彦さんボイスだけでは語ってはいけないとすごく感じた。
ひしひしと感じた。
②ふわふわした余韻に浸ったまま2回目の朗読劇:DAY2
一回、橋詰さんを生で堪能出来たから〜♪なんて、
ちょっと油断をして手短に準備をして家を出てたこともあって、
ちょうどホームに到着した電車に走って駆け込んで、なんて気を緩めながら会場へと向かった。
※駆け込み乗車はおやめ下さい
電車に乗り込んだ後、車内で
「今日は二回目だから、物語の筋もわかっているわけだし、まあ、ゆったり楽しめるだろう」
と、東京事変の『音楽』のアルバム(全く関係ない私の完全なる趣味)を聴きながらゆったりした気持ちで電車に揺られた。
東京事変や椎名林檎を聴いていると、気分だけでも”イイオンナ”になれる気がするので気分を高めるには丁度いい。
(という全く関係のない蛇足)
会場に着いてから、当日券を受け取りにチケットカウンターに向かい、お取り置きリストから名前を追っているスタッフさんと相互確認をしていると、
私が行った回に橋詰さん扱いで当日券のお取り置きしていた人がなんと、私だけだった。
いや、まさか。いや〜〜まさか、そんな。
えぇ…………???(上手く働かない思考)
それだけで心臓がドッと揺れて顔が熱くなって仕方がなかったのだが、
私の本名の隣に橋詰さんの名前が並んでいるという時点でなんだかその絵面が更に気が気じゃいられなくなった。頭が沸いて仕方がない。
そして極め付けに、チケットカウンターの方に
「S席空いてますけど、そちらに変更されますか?」
と言われ、
「エッ!?!?……いやっ!!!大丈夫です!!!」
と、予定通りの当日券受け取り、前回よりも後ろ目の座席に着席した。
会場自体の箱(座席のキャパ)が小さくて近いから、この近さだけでも十分満足過ぎるくらいではあったし、
今回は二回目だったからというのもありステージからちょっと距離がある座席から全体を観ながら楽しみたい、というのがあった。
(実際の所はまたそんなに近くですぐ目の前で、だと、心臓ドキバク人間になるからというのが一番の理由ではある)
開演ブザーが鳴り、そのまま物語が始まると
出演メンバーが全く違う…!!!
というのが二回目の観劇・お代わりが始まってからの感想だった。
そして同時に思った。
初めて初見で見た時とメンバーが違うだけでその人それぞれによってこんなに演技の仕方が違うのか、と。
おんなじ物語を追っているはずなのに、雰囲気も印象も全く違う。
とても興味深くて、『その場限りでしかない・その瞬間でしか作り出せない空間』というのが、
生での観劇の面白い所で、これこそが醍醐味だと改めて感じた。
そして、次々と出てくる初見で見た時とは違う方々の演技を観ながら
「待って……ちゃんと橋詰さん出てくるよね……?あれ?私来る回間違えてないよね…?」
という若干の不安に襲われていると、ちゃんと橋詰さんが出てきたので安心した。
橋詰さんはやっぱり優しいお父さんだった。
そして改めて思ったのは、
ナレーターの方だからひとつひとつの言葉がすんごく聴き取りやすい。
当たり前だけど声がとても良い。耳馴染みが良くて心地が好い。
不思議だ。1回目と2回目とでこんなにも感じ方も捉え方も変わるのだから。
2回目は物語をのんびりゆったり楽しんでいた。
はずなのだが、最後の最後で、
橋詰さんを眺めていると
丁度私の座っていた座席の位置が橋詰さんの目線の先に位置していて、視線がぶつかってしまっているような感覚に陥り(おそらく気のせい、絶対気のせい)
「………………ん???????ん?????…………えっえっ???わっわ〜〜〜〜〜っっっっ!?!?!(顔から火を吹きそうになりながら今までにない心臓ばっくばく)」
と、その突然の悶えにより平常心が保てないまま思考が止まり、
平常心が保てなくなり過ぎて、一時期のお笑いライブ通いに狂っていた頃の名残でお笑いライブを観る訳でもないのに
「と、とりあえず、とりあえず、無限大ホールに行こう……(?)」
と気を紛らすためにふわふわよろよろした足取りで会場を後にした。
そして、その平常心は消滅したままふわふわした感覚は一向に収まることはなく、1時間弱電車に揺られて最寄りに着いてからもぽやぽやした状態でずっと頭を抱えたままふらふらだった。
④11月8日(金)と10日(日)の二日間で生身の橋詰さんを拝見&拝聴して
生で肉眼で見て感じたことで、本当に本当に素敵なお方だなと橋詰さんへの『好きの感情』のベクトルが少し変わった。
今まで感じていた【見ているだけでいっぱいいっぱい&近すぎると走って逃げたくなる&穴に潜りたくなる】の感情は消滅した。
むしろまた別の朗読会とかそのような機会があったら積極的に足を運びたいと思った。
そして圧倒的に好きな感情も倍増した。
橋詰さんの素朴で柔らかくてふんわりしている雰囲気と、素敵なお人柄が本当に本当に好きだなと心から感じた。
入り口は天堂天彦ではあったけど、橋詰さんという人間が好きなのだ、と。
(もちろん天堂天彦は天堂天彦で好き)
橋詰さんへの好きな感情は穏やかなあったかいやさしい気持ちで「好きだな〜」とほくほくしたようなやさしい感覚になれる『好き』に変わり、
このあたたかいやさしい穏やかな感情の『好き』の状態でなら、落ち着いた気持ちでお手紙を書くことができそうだ。
当初の予定で書こうとしていた
「もし、朗読会のようなものがあったら是非足を運ばせて頂きたいです」
というフレーズには、『また』という言葉を付け加えてお手紙を送りたいと思う。