「答え合わせ」の旅⑤
夢の舞台と現実の狭間で
30US$の価値
親に無事乗り込んだと連絡を入れ、離陸まで少し待ったが返事は来なさそうだった。スマホの飛行機マークのアイコンをタップし電源を切った。この返事を見れるのは13時間半後。長い。
イスタンブールで無事に通信がつながるのかも心配。無事トランジットできるかも心配。まぁ全部心配。
一旦この13時間半はこの機の機長と空港で飲んでおいた酔い止めに身を任せることにした。
+30US$の通路側の席は出発前に外人の男性が窓側の席につき、隣の真ん中の席よ来るな来るなと願って(呪って)いたら、誰もこないまま搭乗が打ち切られた。心の中でガッツポーズと30US$の価値を噛み締め、私は最高の席を手に入れた。
快適を買う、ないしは快適につながるものにお金をかける、はここ最近の私のポリシーなので、そこを貫けたのは大きな収穫だ。
noodles
定刻は22:40。
細かく時間は見てないが、おおよそ定刻通りに出発したのだろう。一通りモニターの日本語の映画をチェックしたが絶対みなきゃ!と思うものはなかった。暇潰し程度に適当に見よう。
日本時間は夜なのでもう寝ながら向かおう、と寝る体制をとる。
でもきっと変な時間に機内食が来るんだろうな、と予想してたらやっぱりおよそ2時間後に来た。日本時間なら0時台に食えと。機内では時差などない。機内食を転がしてきたCAさんが「○×△☆♯♭●□▲★※ or noodles?」と聞いてくる。「ヌゥードォッ」と答えたら2回ぐらい聞き直されたのち、noodleのメニューを私のテーブルに出してくれた。
ドリンクも聞かれたが、事前に見ていたメニュー表にはcherry juiceがあると書いてあった。いつもなら妥当な「オゥリンジ」を頼むとこだが、今回は「チェルリィジュース」と答えさせていただいた。少し間があったが、深紅な液体がコップに注がれてでてきた。
機内でのあれこれ
食べ終わってトイレを済ませ歯を磨き、さぁ今度こそ寝よう。あぁなんてトイレに行きやすい席。しかも近い。捗るって昔ネット上で流行ってたけど、まさにネット上の捗るって感じ。私これやたらとすこぶるって読んじゃうんだけどはかどるなのよね。
この幸せを噛み締めて眠りにつきましょう。
急に寒くなったと思いきや急に暑くなる機内でおちおち休んでもいられない。時折ディズニーシーのインディジョーンズのアトラクションくらい急にガタガタと揺れだすことも。
しかし私のパフォーマンスは下がらなかった。
トラベルミン様ありがとう。私はあなたを一生信仰すると地上約10,000mから誓います。
世界へと飛び立つ女は世界基準で優しい女になりましょう。ってことで頻繁にトイレで席を立ち、窓側の席の外人くんにもトイレチャンスをたびたび与えた。
トイレに備えられたハンドソープと保湿クリームは強い中東の香りがして、それがもう癖になる。魅惑的な香りが海外一人旅の高揚感をさらに押し上げてきた。
減点
ちなみにな話では、私の後ろは2席しかなく、通路側の席が欠けている。
つまりは、私の真後ろには席がない。
そんなとこもいい席!と思って選んだがこれは予想が外れた。私の後ろのスペースは通路の退避場所として使われた。時に通路のすれ違いを避ける乗客たちの退避として。時に機内食のカートの退避として。
機内が急に揺れて立ってた人が私の座席をつかむ。グンと席が後ろに引っ張られる。機内食のカートが通路の人と交わらないよう退避して私の座席にカートを突っ込む。ガン!という今度は前にかかる衝撃がたびたび起きる。これは寝てる間も起きてる時間も。ここに関しては-5US$減点。
最後の機内食
日本時間は何時だろう、みんな1日が始まってるのか~と日本時間の計算を何度もしながらも私の身体はどんどん日本から離れていく。
13時間半は刻一刻と過ぎていった。
空路を辿った世界地図をモニターで眺め、イスタンブールへと近づく様子をたびたび見ていた。
日本を出てからおよそ12時間。機内食が運ばれてきた。またもヌゥードォッを要求し、焼きうどんがでてきた。さよならラスト日本食。くたびれた焼うどんもまた愛おしい。
ドリンクはもちろんチェルリィジュース。ハマった。
複雑な涙
日本はお昼頃。今日はWBCの決勝だった。
ネットも見れない異空間にいるせいで途中経過も見れない。と思っていたら2,3個斜め前のモニターが野球のチャンネルだった。メガネ越しに目を細めるとやっぱりそうだ。絶対WBCだ。慌ててチャンネルを探す。ニュース…スポーツか!くー気づかなかったーー!
観終わるわけなどない残り時間しかない中、時間潰しにピクサーの「あの夏のルカ」を見始めていた1時間前の自分を悔いた。
チャンネルみつかる。
8回裏。しかも3-2だと?!勝ってる!源田からの打席。なんていいとこ取りのチャンネル回し!源田さんは乃木坂OGの衛藤美彩ちゃんと結婚したからもう私的には親戚みたいなもん。いつもお世話になっております、という気持ちで源田をみつめた。
9回表。ピッチャー大谷翔平。一球一球が重く素早くミットに吸い込まれてく。さすがに日本語解説はないからその音を楽しんだ。
見事なストライクやアウトが続くにつれ、機内ではささやかな拍手が聞こえるようになった。実はこの機内、日本人は3割くらいしか乗っていない。私も途中から応援部隊にひっそり参戦。
そしてあの瞬間。大谷の手からボールが離れる。バッターが気持ちいいぐらい空振る。機内では声を上げる男性もいた。大谷が雄叫びをあげてグラブと帽子を投げ捨てる。メンバーが大谷の元へ集まってくる。
機内ではささやかな拍手がパラパラと聞こえた。私もその音の一員になりながら、鼻水をシュンシュンとすすり、ぼやける画面を見つめた。
この歴史的瞬間を見てた頃、私の身体は異国の地トルコ・イスタンブールへ着陸していた。私がチャンネルを探し当ててた頃、飛行機は順調にイスタンブール空港へ向け着陸態勢に入っていたのだ。
9回表になってから私は目の前に広がる眩しい夢の舞台とふと横の窓をのぞけばいつの間にか広がる地上の風景の現実を見比べ混乱していた。
一気に怖くなり、不安が心の隙間という隙間に流れ込む。みっちり詰まった不安は、使ったら捕まりそうな薬ぐらいでしか取り除けないだろう。
異国へ到着。そんなときに日本が優勝を決めた。舐めれば苦みを感じそうで、触れば温かそうな複雑な涙だったと思う。
回遊を終えた飛行機が止まり、すぐに携帯をONする外人たち。自国の通信が安易に使える様子をひどく恨めしく、悔しく、そして絶望を含んだ眼でみつめた。
私は日本の誰かとちゃんと連絡が繋がるだろうか。
20年来会話が途絶えていた兄との雪解けを起こしてくれたもう1台のOPPOのスマホ。この子がこの旅の命綱。
縋るように祈るように電源をつけ、涙を拭き、鼻をシュンシュン鳴らしながら機内の出口へと進む長い行列に並んだ。