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【最終回】「答え合わせ」の旅㉟

ただいま。

シートベルトサインが付き、着席が促される。
いよいよか。
ゴーーーーーーっという音と重力のかかった身体を強引になだめるかのような衝撃だった。
あぁ帰ってこれた。心からの安堵だった。

すぐにスマホの機内モードを外す。数秒の沈黙があり、電波を探し当てたようだ。5Gの表記が出た。もう何も心配いらないと言われた気がした。事実、もう何も心配いらない、と思った。

足取りは軽い。文字が読める。アナウンスが聞き取れる。トイレがキレイ。わからないことが聞ける。私の話す言葉にあん?って聞き返されない。天国かここは。
「日本の方はこちら~!JAPAN Webの青い画面を用意してください~」と言う何人ものアナウンスに従い、荷物受け取り所まで進む。青だけ色覚で捕らえただけで「どうぞー!」と言われる。まさにV.I.P.。日本人様のお帰りだ。控えい。

荷物はなかなか出てこない。ベルトコンベアから荷物が流れ落ちてくる箇所に女性職員が1人立っていた。
どうしたってコンベアのフチにスーツケースが一回ぶつかってしまうところ。でも他所の国では放り投げられてるだろうスーツケースたちだ、大したダメージでもない。
なんと彼女は落ちてくるスーツケースに手を添えて一回その衝撃を収めているようだった。もうクラクラする。外人たちよ、彼女にチップを払え。日本のおもてなしショーだ。この国は素晴らしい。
そして。この国は便利になりすぎた。当たり前じゃないことを当たり前にやりすぎた。それがないと気が利かないなど言われてしまうぐらいに。誇らしくもあり、頑張りすぎだ、日本。とも思う。

感動の光景も見ながら、私のスーツケースはまだだろうか。しまった。ド派手なピンクじゃなくなって、地味すぎるブルーに買い替えたのだ。
似たようなのがいっぱい出てくる。あいつの細かい造形など覚えていない。数十分しか一緒にいなかったのだから記憶も薄い。
あ、あれ?あれかな…確証がない。でもあれかも…。流れ行くスーツケースはタグの番号照合さえも見せてくれない。待ってぇ待って…いいや一回引き上げるわ、と持ち上げる。軽っ。これ絶対空だ。やべやべやべ。人の持っていきそうになった。一人笑いながら返す。
ダメだ、本気出そう。実は配信もしてたが切った。スキポールで撮ったスーツケースの画像を手元に表示し、流れてくるものと見比べた。あ。あれだろ。さすがに。ね。なかなかにのんびり出てきたその子はしっかり私の元に戻ってきた。

このあとどうすんだ?と思ってると、なんか変な機械の前に入れ替わり立ち替わり人が近寄っていく。何それ。おそらくもうロビーに近いのに出ようとするゲートにはなにかコードを提示しなければいけないようだ。私そんなコード持ってない。職員を捕まえて聞くとあの機械ですよ、とそれだけ言う。機械の前に立つがこれこそコードを読み取らせないといけないらしい。だからコードってなんやねん。

若い女性職員を捕まえる。税関だかの手続きが必要だと。それもJAPAN Webで出来てコードが出てくるからそれを機械にピッとすると下準備終了らしい。それか昔からある携行品の紙で書くかどっちかです、と。
なーんだよもう。さっきの長い荷物待ちのときやっときたかったわ。はー案内が悪い!ほら、ね。普段おもてなしし過ぎるとこういう輩が出てきちゃうんですよ。
落ち着いて耳を澄ませると、ずっと放送で案内してたようだけどね。帰国の興奮でそんなの聞こえてなかった。ようやく処理を済ませ、顔認証だかも済んで出れた。

ぶわっと広がる到着ロビー。ただいま!!!!

実は急いでいた。
あと30分とかで最寄り駅までの空港バスが出てしまうから。間に合うなら是非乗りたい!楽だもん。
そしてコロナ後の減便のせいか、その便はなぜかこの第三ターミナルは停車しないらしい。私は第二ターミナルへ急ぐ。
ターミナル間バスに乗りたいのだが、その乗り場を探すのにめちゃくちゃ時間がかかった。なぜなら急に案内板が中国語1色になったから。まじで上海の空港とかに着いたのかと思った。ここ……日本だろぉ?って何度も口から漏らした。あそこは本当に何だったのだろう。
ようやくバス乗り場を発見し、タイミング良く来てくれ、するっと乗り込めた。気づけば靴も機内用のから履き替えられてないではないか。んもう。

バスを降りる。券売機でチケットを買った。バスは残り数席しかなかった。あぶねー。こんな空港バス初めて。会社に買ってくお土産を調達できてなかったので、空港で日本のうまい菓子でも買うかと思ったらもう夜なので閉まってた。靴を履き替え、バスを待つ。本当に満席だ。

最寄り駅につくともう22時を過ぎていた。コンビニでなにか買おうと思い、疲れた身体でも食べられそうな冷やしうどんにした。それにおにぎりも足したか。レジでお会計をすると500なん円となっていた。ぶっ倒れそうだ。こんなに買って、あのスキポール空港で食べた冷めたコロッケパンの半額?どうかしてるぜ、この国は最高かよと鼻にツンと来た。油断したら涙が出そうだ。

エレベーターのないマンションの三階まで重い荷物を持ち上げ、家に着いた。配信で視聴者の皆様にも感謝をお伝え。うし、明日からめっちゃしゃべるぞ。
長い長い旅路にピリオドが打たれた瞬間。
お疲れ様。よく頑張ったね。お風呂ゆっくり入りなね。ゆっくり寝なね。

洗面所で1週間待ってくれていた片割れのコットンに、ちゃんと帰ってこれたよと報告した。



ご拝読ありがとうございました。

スポットで見られた方がほとんどかと思いますが、まさか自分でもこんなに長くなるとは思わず。実に3ヶ月も執筆してたようで。実質7日間しか行ってないのを5倍のボリュームの35話になるとは笑

途中から記憶がポロポロと剥がれ落ちてしまい、書き終えられるのだろうかと不安にもなりましたが、無事完走しました。皆様のおかげです。
ここからはもう作者あとがきのようなかたちでズラズラと書きたいな、と思います。


あとがき

こちらまで来ていただいた方ほんとにありがとうございます。そしてなんて物好きですね。笑

改めて読み返したけど、意外に伏線は回収終わってたようで。あの伏線回収されてません!ってあったらコメントで教えてください笑

オランダに行くことは私の人生における一つの夢でした。叶えなければいけないという義務感を持ってました。
それはあの若い頃の自分との約束を果たすような爽やかさもあれば、はたまた、長く続いた執念に決着を果たすような暗い重責だったようにも思えます。
それについてちょっとつらつらしていきますね。

この旅で得たもの

実はこの物語って、成長がテーマとかゴールではないんです。異国に行ったぞー!やればできるんだぞー!って話ではなく。その前段階で勇気を持てたので行けたって話で、成長はもうスタート時点の話なんですよね。
でも、行った先に何があるのか、とは少し楽しみにしていたんですよね。夢の先というか夢の果てでしょうか。帰国後、慌ただしく、時差ボケもなかなか治らず体力も消費していた中で、大きく得たものに気付きました。

それは「大きな喪失感」でした。
心にポッカリ穴が開いたというか。炎が消えて灰だけ残ったような。これを燃え尽き症候群といえばそうなのかもしれないし、また別のものかもしれない。
よく○○行かなきゃ死ねない!と口にする人がいますが、私にとってはそれがオランダでした。
夢を叶えてからの方が、私は死んだような気分でいます。それこそ行かなきゃ死ねないというのは、逆説的に言えば私はオランダに行けたから死ねる、とも言えますから。聞こえが悪いので少し前向きに言い換えると、いまなら死んで悔いなし!という気分でもいます。
少し生きる希望というか、意味、意義でしょうか。それを失ったのでしょうね。もう世界地図でオランダをキラキラした瞳で見つめる自分には戻れない。そんなことに寂しさも感じます。
夢とは生き甲斐そのものなのかと思います。
でも、それに気付けたのは失ったものより大きいのかもしれません。

1人で行った理由

そして、1人で行った理由。
これはこのエッセイを書かなきゃ気付けなかったです。
気付いた瞬間は、もう泣けて泣けてしょうがなく。

あぁ、私は中学生のときに作ったあの自作の旅行パンフレットを持ってあの頃の自分と回っていたんだな、と。この話を書いてて、この主人公を客観的に見ることができて、やっと気付くことができました。
あのとき調べたオランダはどんなところなのか。その答え合わせに行ったんだと思いました。
だから誰かとヨーロッパ観光のついでに、とか、誰かに行程が組まれたツアーでは解決できなかった。
自分の決めた行程でこの国を見なくてはいけなかった。過去の自分をなだめるように、そして納得してもらえるように。一緒にあの国を歩きたかったのです。

あのとき調べたチューリップと風車の国は本当にあったし、チーズもいっぱい売っていた。あのとき真ん中に大きく描いた民族衣装と木靴も見れたね。ミッフィーはこちらではNijntjeと呼ぶのも本当だったし、干拓地から出来上がった国は平坦で自転車大国の由縁も感じられた。あのとき世界レベルを感じたサッカーも観に行けたね。
スマホ越しに撮った写真たちは、もう想像や空想ではなく、いまでは記憶を呼び起こす。知り得ていた知識は平面の写真や文字から、立体的に記憶として形をなして色付いている。
やっと納得してくれたでしょうか、あの頃の私は。

同時期にフェルメールの『牛乳を注ぐ女』に出会い、これもまた、ずっと好きでいてくれました。今でもあの絵と対峙した瞬間を思い出すと、ぶわっと涙が溢れます。あの絵が私の「好き」を大きく支え、そして思い起こさせてくれた大切な大切な存在です。

手紙 ~拝啓 三十五の君へ~

いつも思い返すのは失敗したときの自分
誰かを傷つけてしまったこと
あぁすればよかったのに
どうしてみんなと同じ風にうまくできないのだろう
という感じの反省&自己嫌悪のループの人生だったのだけれど。今回は本当に過去の自分に感謝しかありません。

まずは中学の頃の自分へ。
「好き」を忘れないでいてくれてありがとう。
好きとか感動ってどうしても日常生活を送る上で、ちょっと蓋しなきゃいけなかったり、日々に忙殺して忘れ去ったり。そんな大層な話じゃなくとも、その場の雰囲気に合わせて誤魔化したりしなきゃいけないこと、私にはいっぱいあったので。昔好きだったな~ぐらいの思い出話に閉じ込めずに、好きを維持するのって度合いにもよりますけど、大変だと思うんですよね。
20年以上も忘れずに守ってくれたことに感謝と、その健気さが本当に愛おしく。
忘れられない出来事って誰しもあると思うけど、私は、忘れちゃいけない、忘れたくない出来事として削除厳禁とその箱にラベルを貼って心の中に大事に大事にしまっていたんだと思います。
しまってるだけじゃ思いは箱の隙間から流れてしまうのでたまに取り出しては見返してたのでしょう。その繰り返しがこの国を思い出へと風化させないでくれました。辛抱強くこの臆病者が勇気を出すのを待っててくれてありがとう。

そして三十五の君へ。
よく身寄りもない異国まで1人で行けるまで、心を奮い起たせられるまで成長してくれてありがとう。他の人みたいになにも怖くない無敵の若者時代を送れてたら、もっと早くたどり着けたと思うのだけど。全ての物事、特に人間関係かな。私は人より難しく考え、引っ掛かることが多くて、スムーズに行かないことっていっぱいあったので。
でも年をとって色んなことがわかってきて失敗も怖くなる年齢に行けたことが、却って大きな意義をもたらしたようにも思います。

それまで誰かが悲しまないよう、とか誰かが喜ぶよう、とかそういったことに気持ちと行動が行きがちで。私は周囲の空気、誰かの期待、そんなものを察するのが得意で、その場で間違ってないと思われる行動をとることがそこそこ上手で。だからこれを活かさなくては生きてる価値がないと思ってました。

「人のため」とそう呼んで、それを自分の生き甲斐だと思ってたし、私はそれが好きな人間だと思ってました。
でも頑張りすぎてしまうこともしばしばで、無自覚な自己犠牲の元でそれは成り立たせてたし、好きでやってるではなく使命でやってるだけでした。
こんなにやったのに、尽くしてるのに、とか報われない反発はいつも1人の時間に膨れ上がって悲しみやモヤモヤというかたちで爆発してました。

「人のため」「誰かのため」というのは、結局「人のせい」にしてるも同義なのですよね。誰かの期待に応える、とか誰かが喜ぶから、とか聞こえがいい言葉も含め。それでうまくいかなかったとき、だってあの人がそうして欲しそうだったから…とか、期待が重かったとか、あぁあの人を悲しませちゃう、とかそういう思いばかりで。行動に自分の意思が入ってないとこうなるんですね。

数年前、プライベートで決していい出来事ではないのですが、長年の禊を終えたような出来事がありました。それに対して私は何もできなかった、という後悔を長年抱えていたことに気付くきっかけでした。
もうあの頃の何もできなかった自分ではない、と思うことができて、ようやく自分を許すことができました。
その後悔は「人のため」に生きなくてはいけないという禊として十字架を背負っていたのかもしれない、と今では思えます。

私に都度都度、影を落としてきた存在は、憑き物がとれたように消えていき心が軽くなりました。ごちゃごちゃ考えずとりあえずやってみよう、がこの年ながら少しずつできるようになりました。
うまくできない、と、もがき苦しんでいたあの頃も、今ではもがき苦しんでたのもしっかり問題から目を背けずにいた証拠だと思います。振り返ると苦手なことも嫌いなことも人も出来事もいっぱいあったけど、どこでもなんだかんだやっていけてることをやっと認めてあげられました。
本当によく頑張ったね、ありがとう。

これからは

本当はモヤモヤ期の方が、深く考え、感じ、その燻りを表現できる力があったと思うけど、あのときの100点を求める私じゃこの70点くらいのものは最後まで書ききれなかったと思います。

自分ファーストの生き方を選択できるようになりました。実は自分のために生きる方が人のために生きるより何倍も難しいと思います。正解がないから。
人のため、って楽なのよ。まるで正解のようにそこにいて、それを行動すれば多くの人が喜んだりホッとする顔するから正解に見える。でも限界があるんですよね。みたいなことを「おかえりモネ」のりょーちんも言ってました。すごくわかります。そうなんですよね。

自分のためと言ってもあれよ?自分がまず楽しんでその先に周りにいる人が笑ってくれてればいいって話ですからね。自分がよけりゃいいって迷惑系な人になるって話じゃないので、そこは誤解なさらず笑。
私は人にいっぱい傷つき悩むくせに、人にどれだけ救われているかもものすごく憶えている。結局人が大好きなのですよね。

この旅は自分の声だけに耳を傾けた旅。
すべて自分で選択した旅。
それはすべての責任は自分にあるということ。何があっても時代のせいにも、環境のせいにも、誰のせいにもできなかったこの挑戦は、経験値となり、これからの私を守ってくれることでしょう。

それでは、まずはオランダ王国様、1週間お邪魔しました!楽しかったです!私の大好きなこの国の次に大好きな国です。ありがとうございました。
そして。読んでくださった方も、この挑戦を陰ながら支えてくださった方も、もちろん私も、みんな心も身体も健康でありますように。

チューリップと
風車の国。またね。

ちゃんちゃん。