「おしまい」
生きる意味って何ですか?
何千何万何億回と繰り返され続ける問い。
この陳腐な問いについての答えはすでに決まっている。
生きる意味なんかない、と
この地球に生命が誕生して、およそ38億年…いや36億年だっけ?まあ誤差みたいなモノでしょ、なにもかも。意味なく生まれた意味ない生命。
遠大な時の流れの中で、ただただ増殖を続ける生命。…何のために?
当然答えも目的もない。ただ増え続けること、それのみが生命に課せられた至上命題。
増殖
増殖増殖
増殖増殖増殖
…そして千四百兆の一の幸か不幸か、我々は「こころ」を持って、生まれてきてしまったのである。致命的なエラー。
なぜこんなものがあるのだろう?こんなもの要らなかった。
猫を見たまえ、鳥を見たまえ、魚を見たまえ。永遠の相を生きる彼らの、なんと幸福なことか。
ただ生命の大河に流される、一粒の小石であれば良かったのに。
ただ大いなるシステムの一部であれば良かったのに。
それで私は幸せだった。だのに、何故「こころ」なんか与えたのだろう。
…わかっているとも。
「こころ」があるからこそ、喜びや悲しみがあるということ。それらを尊いものとして大切にできるということ。
それになにより、「愛する」ということができるしね。
…愛ってすごいよ。こんなにも強く輝いているものが、自分の中にもあったんだ、って。そう思えるだけで、胸が熱くなる。愛するものと出会えた奇跡。「こころ」とは奇跡の連続なのだろう。
すべての無意味なものに、すべての意味を与えるということ。
きっとこれが、「こころ」が成しえた、一番の奇跡。
「こころ」があって、ほんとうに良かった。
めでたし。めでたし。
おしまい
…おしまい?
奇跡もやがては「おしまい」へ
おしまい。おしまい。 すべては「おしまい」
美しいものも醜いものも、いずれは「おしまい」
幸福な人も、不幸な人も、み~んな「おしまい」
不平等極まりないこの世界で、たった一つの平等なもの。
それは「おしまい」
…何だこれ。
何でみんな、そんな風に笑えるの?何でみんな、そんなに幸せそうなの?
すべてが「おしまい」だというのに、何でそんなに平静でいられるの?
まさか、自分は「おしまい」にならないなんて、本気で思っている訳じゃないよね?ありもしないから、Happy Ending
嘘、欺瞞、虚飾。
「おしまい」を目にして、どうして狂わずにいられようか!
みんな本当は発狂しているんじゃないか?そうに違いない!くるえくるえ、皆狂え!発狂した我々にできるのは、ただ叫ぶことだけだ!
”おしまいだ!Oh My God!”
神様はあらゆる奇跡を人に与え、そして最後には”死”でもって、何もかもすべてを人から奪っていきましたとさ、おしまい
これは悲劇か、それとも喜劇か。その差は多分、かみひとえ。
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