『月の女、河の天使、神めくとき。』感想
色んな意味で痛々しい作品だった。それは、鷹凪ひだりのどうしようもない、同情さえも憚られる悲惨な境遇であったり、「誰もわかってくれない」という台詞に代表されるような、思春期さながらの凡庸な葛藤を臆面もなく前面に曝け出せてしまう姿勢であったり、その割には「運命」だとか「神様」だとか、安っぽいフレーズに舞い上がってしまう二人の初心さであったり……
そして何より――世界を拒絶し、己を絶対とし、今はもう失われてしまった彼との幸福な日々を、永遠の相へと昇華するために孤独な神であり続ける事を選んだ彼女の叫びが――あまりにも痛々しくて、見ていられなかった。
どうして、雨にうたれる彼女の姿を見るのがこんなにも辛いのだろう?
…それは、そうした「孤独な神」であることを突き詰めた先には、もはやこの世を去る以外に道はないと、私には思えてならないからだ。
確かに、河川敷におけるひだりの決意は気高く、美しいものだった。だが、河川敷を去った後に彼女を待ちうけているものは何だ?
…どうしようもない「現実」だけではないか。内なる声を踏破したからと言って、ひだりの病気が寛解したわけではない。プライバシーはネットに暴露され、きっと途方もない悪意の波に晒される。唯一といっていい繋がり、叔母との関係も拗れたままで、果たしてまともな生活が望めるだろうか?
――答えは否。それでも、はじめのうちはまだ誤魔化すことができるだろう。しかし、徐々に理解していく。たとえ「孤独な神」であろうとも、人間としての肉体を持つ限り、その柵から逃れることはできないと。決して「一人」で生きていくことはできないと。必ず、周囲に頼らざるを得ないのだと。それは彼女に「妥協」の道を迫るという事に他ならない。…一見して選択のように見えるそれは、その実脅迫にも等しい。彼女にははじめから、選択肢など与えられていない。生きるとは得てして、そうした残酷さを強いるものなのだ。……さて、そのことを理解したうえで、果たして彼女はそれでも生き続けることを願うだろうか?
――答えは否……だと思う。ひだりは小さくて、だけど鋭利なナイフだ。そして、鋭ければ鋭いほど、その刀身が容易に砕けてしまう事を、我々は知っている。私は、「孤独な神」になることを選んだ彼女が、懸命にこの世にとどまり続けるとは、どうしても思えない。決して誰の手も届かない彼岸の彼方へと、天使と共に旅立ってしまうイメージしか持てない。なぜなら、そのような「妥協」とはひだりにとって、あの、神めいた一瞬――ミギとの束の間の幸福――の全てを否定するという事に他ならないからだ。……もしも彼女が、私のように愚かな大衆の一人であったなら、意識することもなく二重規範を狡猾に使い分け、屍を笑顔で踏み潰しながら生きていけただろう。だが、ひだりにその様な”器用”な生き方は不可能なのだ。彼女がそんなにも器用であったのなら、そもそもこの物語は始まってすらいないだろうから。
彼女は遠からず死ぬ。絶対に死ぬ。刹那に抱いた嘗ての幸福を永遠のものとする為に、自ら命を絶つ。その哀れな、そして何よりも美しい彼女の亡骸を見て、我々は快哉を叫ぶ。――生きている時には、見向きもしなかった癖に
「美しい女の死は、この世で最も詩的な主題である」と誰かが言った。
私は、それが嫌なのだ。
だから私は、ひだりの選択を見るのが、つらい。彼女の叫びを聞くのが、心苦しい。私は彼女に生きていてほしかった。たとえ地べたに這いつくばり、泥水を啜ろうとも、「人間」として、「人間」と関わりあって生きていってほしかった。
……それでも、これはひだりが選択したことだから。私は黙って、その選択を受け入れるより、他はない。
尊重と、せめてもの願いを。彼女の未来に、どうか「妥協」を選び取る勇気がありますように。
ミギについて
終始天使の様にふわふわとしていて地に足がついていないけれど、それがいい塩梅にひだりとは対照的で良かったんじゃないでしょうか。その割にはひだりに対しての支配欲が結構あからさまで、印象とは裏腹に割と俗っぽい部分も見え隠れしていますが。コテコテの萌え要素が詰め込まれたエロゲヒロインを乙女ゲー仕様に反転させるとこうなるのかしら。
正直、彼が何を考えていたのかはさっぱりわからないです。何故、老人ばかりを殺していたのか。彼の語ったことのうち、どこからどこまでが真実なのか。何故、彼はひだりの父親を殺したのか。ひだりを神様にするとは、どういうことなのか……
客観的に見て、彼がひだりに対して行ったことは最悪でしょう。お前が、ひだりの鍵のかかった部屋をこじ開けなければ、彼女はあんなにも痛々しい選択をとらずに済んだはずなのに。ただ捕まるまでの間、束の間の幸福を彼女とともに享受して、それで良かったじゃないか。その幸福をぶち壊してまで、お前が見たかったものは何なんだ?・・・何もわからない。恐らく、本人にさえ、わかってはいないのでしょうけど。
それでも、ひだりにとって束の間の幸福を運んできてくれた天使であることは確かで、そのことについては、素直に礼を述べたい。
邑田について
ある意味、ひだりの最大の理解者ともいえる。彼女への仕打ちは普通に犯罪だが、それはミギも同じなので、御相子で・・・
声優さんの憎らしい演技が上手くて、短い出番ながらインパクトは十分。
でも不思議と憎めないやつ。……やってることは最悪なんだけどね?
スタッフコメントを見るに、どうやら本編後もひだり宅に足繫く通っているようで何よりです。天使に連れらて神となったひだりを、堕天させ人間の場所まで引き摺り下ろせる悪魔は君しかいない!!!たのんだぞ・・・
鷹凪ひだりについて
好きです。
以下クッソどうでもいい自分語り
鷹凪ひだりさんを見ていると、昔読んだ「裸足で逃げる」を思い出す。
この本を読むのは、正直しんどかった。僕が何一つ不自由なく、ぬくぬくと生活していた地元は、一方でとても暴力的な、どうしようもない「現実」が顔を覗かせている場所でもあるからだ。学生生活のなかでも、妊娠や刃傷沙汰が切っ掛けで退学する人は何人もいた。ぬくぬくと生活していたからと言って、そうした「現実」は遠くにあったわけではなく、いつも近くにあった。そういうこともあってか、正直僕は地元が「好き」だとは、あまり言えない。嫌いではない。ただ、「好き」と言いづらいだけ……
この本で描かれている男たちは、些細なことで少女達に手をあげる。何かしら理由があるから暴力をふるう…というよりも、そもそも「暴力」という表象そのものに何か意志のようなものがあり、それが絶えず爆発する機会を伺っていて、ふとした拍子に男たちの身体を乗っ取って発露している…ようにも見受けられる(……別に擁護するつもりは微塵もない。ただ、どうしようもなくやるせない気持ちになるだけだ。暴力をふるう彼らだって、その親、あるいは兄弟から暴力を受けて育ってきたことは想像に難くないから。
だから、これはただの反復なのだ。暴力という表象が、彼らの身体を使って、この演目を何度も何度も繰り返しているに過ぎない。その演目が終わった瞬間、個人の人間性とやらは彼方に消し去られ、「暴力」が残した爪痕だけがその個人を表象する。それが……やるせない。「暴力」だけが、その個人の名前であったと烙印を押されることが、なぜだか悲しい。無論、彼らには法の裁きが下される必要はある。だが、必要なのはそれだけではない筈だ。いつだって、我々に必要なのは、「加害」と「被害」の物語を並列して語る方法なのだから)。
この本で描かれている少女たちは、そんなどうしようもない「現実」を、それでも生きていくしかない。「かわいそう」の一言では済まされない。「たくましい」と呼べるほど割り切れてもいない。ただ、彼女達は必死に、より良い明日が来ることを祈りながら、藻掻き続ける。ある者は親友とともに、またある者は我が子とともに…
そしてその彼女達の懸命な姿を、私はこうして、高見櫓から見下ろしているのである。……私はそこで描かれている彼女たちの姿が美しいと思った。いや、「美しいと思って」しまったのだ。そのことに、酷く嫌悪感を覚える。
現実に生きる人々を「美しい」と評するとは、どういうことか。それは「美しい」という言葉で、何を塗装しているのか。私が彼女達に向ける視線は、彼女達に暴力をふるう男達と、どの程度の違いがあるのだろうか。男たちは、彼女達を人格を消し去った「もの」として扱う。そして私もまた、彼女達から人格を消し去り、「もの/物語」として搾取する。そこに、如何ほどの違いがあるだろうか。……同じなのだ。私も、彼らと。「美しい」という言葉が、実際の現実に生きる彼女達の実存を客体化し、モノ化し、消費可能なパブリックドメインにまで還元してしまう。これが「暴力」でなければ、一体なんだ?
(「美しい」と眼差すことの暴力性を描く作品もまた、美しいと評されるらしい)
……私がエロゲをやる理由の一つは、こうした「現実」からの逃避である。
以前、どこかでキャラクターの実存がどうのこうのと書いた記憶があるが、もちろんあれは嘘である。私はその実、エロゲを含むありとあらゆるフィクションにおけるキャラクターの実存を認めていない。なぜなら、彼ら/彼女らは、我々の「現実」たる三次元空間には存在しないから。だから私は安心して、二次元の世界に生きている(ように振る舞う)彼ら/彼女らを消費することができる。たとえ手足を捥がれようが、内臓をぶちまけようが、私の良心はチクリとも痛まない。満面の笑みで残虐な凌辱を眺めることができる。ああ良かった。君たちが「現実」に存在しないでいてくれて、本当に良かった!
……ところが、である。
たまに痛まないはずの良心がチクリとする場合がある。「めくとき」をプレイしていた時もそうだった。鷹凪ひだりを見ていると、「裸足で逃げる」で描かれていた少女たちを思い出すように、ふとした拍子にフィクションと現実の垣根が揺らぐ瞬間があるのだ。まるでフィクションの世界に生きるひだりには、現実の世界に生きる人々の血が流れていると言わんばかりに。そういう作品を前にすると、私は言葉を失ってしまう。完璧に寸断されているはずのフィクションと現実が、実は地続きであることが否が応でもわかってしまうから。気づきたくもないのに気づかされてしまうから。だから、こうなってしまうと、もう私の負けなのだ。私は、何も語れない。私は、鷹凪ひだりという少女の実存を、認めてしまったから。
・以下適当なメモ
お~、UIが商業エロゲっぽい。
今時の同人ヴィジュアルノベルエンジンってこんなに高品質なのか・・・
う~ん、顔が好き!
主人公はCV今谷皆美さんか・・・
消耗戦線の七虹とは反対の、ダウナー系メンヘラっぽい。
この娘、薬物でもやっているのでしかね?
まあ、そりゃあ重い過去背負ってるよね……
容姿を見ればわかる。←これは偏見
イケメンきた~~!!!ホストにしか見えね~~!!!
「河の天使」なのに、出会いの場は公園なんだ
あ、この娘病気なのね……薬中扱いしてごめん。
他人の食べ物を勝手に食べるイケメンにしか許されないムーヴやめろ
容姿を褒められるのは嫌い。でも、服を褒められるのは悪くないかな。
エロいですね~。性経験豊富な男女が、ただ添い寝するだけっていうシチュエーション。プラトニックなエモさを演出する手段としては、安直すぎる気もするけど……でもやっぱり、エロいですね~。無限煉姦を思い出す。
「貸し」と「借り」がワンセットじゃないと、バランスを崩す。
借りとは言ってしまえば呪いと同じようなもので、清算できなければ澱として溜まり続け、身を蝕む。無償の善意なんて猛毒なだけ。
叔母さんの善意が……つらい。
ひだりさんポエマーだな……詩人を気取るには、意味がとおり過ぎだけども
ナンパ男、ミギとCV同じ?
母親の台詞はひだりの妄想???
実際に言われたものだとしたら、閉口してしまう・・・
「お前には何がある?」という内なる声の問いかけに、君には美しい「容姿」があるじゃないかと言いそうになった最悪な俺を殴ってくれ。
――ふと混線する。←これ好き
ひだりさん演劇やってるの?
・・・それにしても、いい演技だ。
ミギ、都合の良い男すぎな。ここからでも、まだ「実は妄想でしたパターン」で巻き返せるぞ!!!→ひだりも疑っててワロタ
ほっぺにちゅーするのあざと過ぎだろ・・・
→ここで放置プレイ
”殺人鬼”というワードに反応するミギ。
→ひだりが殺されるエンドか、もしくは心中エンド?
・・・これって、ひだりにとってミギが都合のいい男というだけではなく、ミギにとってもひだりは都合のいい女であるということか
おそろしく早い挿入、オレでなきゃ見逃しちゃうね・・・なんてことはなく普通に見逃した。テキスト飛ばしたか!?・・・と思ったけど、背後から抱きしめた時点で、もうあてがっていたんだな……やりおる。→と思ったら素股で焦らしてるんか~い!!!ミギのテクに翻弄されるオレ。←ひだりと同じ
Hシーンにも男の喘ぎ声がある+1145148101919点
「わななく」という表現、エロゲ/官能小説でしか見たことがない。
境遇が似ているから惹かれあうってのもまた、安直だけど・・・
まあ実際の恋愛もそんなもんか。きっかけは別に、なんでも良いんだよ。
「運命」だとか、口してみると安っぽい言葉でキャッキャしているのを見ると、微笑ましい気もするけども、壮絶な前振りにも見える。今後、実は「ミギの境遇は全て嘘でした~」とかやられても、別に驚きはしない。
日雇い労働者って、暗殺請負人か何か?
ひだりさん、役者であることを隠してたんだ。→本当は才能が無いのがばれるから?
激情と共に周囲を否定するひだりさん、痛々しいんだけど、またそれが若いな~とも思えて微笑ましい(本人は全然笑えないし必死なのだろうけど)
ミギ、てっきり「自意識過剰」の一言でバッサリ切り捨てるのかと思ったのだけど(ひだりもそれを望んでいたんじゃないの…?)、まさか素朴にひだりの訴えを肯定するとは思わなかった。ホストの手口か?都合良すぎであ、怪しすぎる~……もしかしてミギも役者だったりする?
…だめだな、ミギの事を疑いの目でしか見れないせいで、ナイーヴな告白も嘘くさく見えてしまう。……でも露骨過ぎて、ミスリードな予感もする。でも本作って別にミステリではないよね・・・?ここまで穿った見方しない方がいいのでは
…いかんな~、こうして展開予想ばっかりしていても物語にのめり込めないし、つまらない。
>「見る目がない、見る目がとことんない」→見る目はあるぞ。ただ、下卑た欲望にまみれた暴力的で残酷な視線だけど
お~、いきなり濡場。特に前振りもなかった。セックスが完全に日常の一コマとして溶け込んだことが示されたようで、エロいですね~
セックスを舞台上の演技に例えるひだりさん。まあ、性行為は他者に開かれたパフォーマンスの場だからね~。どこまでも自らの裡に閉ざされたオナニーとは違うのだよ
死体になって演技してほしいとお願いされるひだりさん。死体がベラベラ喋っちゃっていいの?
やけに叙情的に実況?していて、リアル官能小説というか、リアル「私の凌辱はポエムなのよ!」状態でワロタ。……でも、いいシーンだと思う。
ひだりの首が細いのは、絞めるためなのかと思ったのだけど、別にそんなことはなかった。
ミギも病気なのか~、ここはマジっぽい。←ナチュラルに嘘つき扱いするな
どちらも父親から遺伝した病気なんだな
なんだか精神分析っぽい流れになってきたぞ~?父殺し不可避
「神様」だなんて…人っ子一人に押し付けるにはまた御大層な名前出しちゃって。いいじゃん、そんな名前持ち出さなくたって、俗物のまま傷をなめあう関係性のままでさ~。自分が如何に凡俗な人間であるか、というのを自覚していく過程がエロいんじゃん・・・
二人はもう一人
おしまい
彼女の叫びは、痛々しかった。