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‐俺的同人誌‐ 三種ノ神器を自慢するnote

最近「プトリカ1st.cut」を完走した……のだが、私は「プトリカの感想を書く前に、一度”かみまほ”をやり直すべきなのでは?」と思った。
ので、「紙の上の魔法使い」を再走し、そして見事トゥルーエンドまで辿り着くことが出来た……のだが、私は「"かみまほ"を再走した感想を書く前に、「Minstrel -壊レタ人ギョウ-」を先にプレイすべきなのでは?」と思った。
ちなみに、私はMinstrelで遊んだことはないし、所持もしていない。
ので、この思いが叶えられる日は永遠に来ない。オワオワリ\(^o^)/


……などと、しょ~もない煩悶を抱えているうちに、玄関ポストに異音。
どうやら、”例のアレ”が投函されたようだ。とうとう、我が家にも届いてしまったらしい。私がメルカリにて、わずか出品後1時間で落札した、伝説のファンブック。




    ……其の名もずばり、「腐り姫読本」がッ!!!

👍👍👍自慢👍👍👍





ちなみにどのくらい自慢できるかというと、nyalraが羨ましがるレベルで自慢できる。           
           ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

勝ったよ・・・”オタク”として🤓👆💦






・・・前置きはこのくらいにして、とりあえず中身の説明に入ろうか。
腐り姫読本」2004年刊行。本品は2002年発売のPCゲーム「腐り姫」の公式ファンブックで、設定画やラフスケッチは勿論、作中の用語辞典や制作秘話、果てはオリジナルミニシナリオ&ドラマCDまで付属している。腐り姫ファンには垂涎ものの一品だろう。その中でも、私が思う最大の目玉は虚淵玄×奈須きのこ×田中ロミオ×星空めておwith中村哲也の対談だろうか。錚々たる顔ぶれではないか?当時の人気シナリオライターが、ここまで一堂に会する対談というのも珍しい。個人的には、抜きゲーのHシーンなんかでよく耳にする、台詞外の喘ぎ音声、すなわちBGA(バック・グラウンド・喘ぎ声)システム、その奔りの一つが腐り姫だったという事実に驚いた。喘ぎ声の有無で臨場感がまったく異なるのだから、まさに偉大な御発明(おっパイオニア)である。
他にも、ループ構造を先取りされて肝を冷やした田中ロミオだとか(腐り姫はC♰Cより一年先に世に出ている)、蔵女を指して地球規模の安楽死装置である(by奈須きのこ)だとか、癒し殺す→逆説的に最後まで癒されず、滅びることがない(by虚淵玄、後の”叛逆の物語”のモチーフ?)だとか、見所さんが満載なので、是非とも自分の目で確かめてほしい。


…そうそう、話は変わるが、「腐り姫」関連の本としては下記の「エロゲを絵本にしてみた」も、なかなか個性的で面白いかもしれない。絵本になっちゃうエロゲっていったい何だ・・・?


…さて、それにしても「腐り姫」とは、我ながら因縁で結ばれた作品であるように思える。というのも、私が人生で初めて、途中でぶん投げたエロゲこそ、かの「腐り姫」に他ならないからだ。端的に言って、一番最初に「積んだ」作品なのである。そして、今もなお、その状態から私は抜け出せていない。つまりは、私は「腐り姫」を完走したことがないのだ。今すぐにでも「腐り姫読本」を手離した方がいいのでは?ファンの為にも…
日付を見てみると、2018年11月を最後に起動されていない。実に6年以上も放置されているわけで、さぞや蔵女も心寂しかろう。
特に面白かった場面は思い浮かばないものの、特段つまらなかったワケでもないと思うのだが、何故ぶん投げてしまったのか(というか、恐らく序盤も序盤にぶん投げているので、良し悪し以前の問題)。多分、その時期は並行してランスシリーズも熟していたので、そっちに多く時間を割いているうちに放置しちゃったんだと思う。ごめんよ蔵女・・・

というワケで、私にとって「腐り姫」とは、最も過去に置き忘れてきた宿題に他ならない。だから、この作品を崩す時、それすなわち私がエロゲを卒業する時だと読み替えてもいいかもしれない。最後の作品として、本作以上に相応しい作品があるであろうか?……(否、やっぱり最後は「すば日々」の方が相応しいんじゃないか…?或いは、ちょうどアニメのモチベが尽きかけていた頃に「レインボーライブ」が現れてトドメを刺したように、それらしい作品が突如として私の目の前にやってくるかもしれない。個人的には、「Forest」なんかがそうじゃないかと睨んでいるが…)←優柔不断ェ……

今現在積みゲーの数は約50作品にも膨れ上がっているので、はたしてそんな日が来るかどうかも怪しい、というツッコミはNGにしてもろて・・・

やっぱり以前ほどエロゲのモチベを保てないあたり、衰えを感じてしまう。
これは一時的なものなんだろうか?…しかし、アニメなんかはもうほとんど見なくなってしまったし(去年見たアニメ、HUGプリとガルクラだけ。しかも両方未完走)、やっぱりいずれエロゲも同じ運命を辿ってしまうんじゃないかと思うと寂しくなってしまう。
消費さえもしなくなったオタクは、もはや不満足な豚ですらないのか?
オワオワリ\(^o^)/


……にもかかわらず、どうやら承認欲求だけは未だに衰えていないようで、今もこうしてパソコンの前でキーボードを叩いている。醜いねえ……
醜いとわかっていても、どうしようもない生理的現象のようなものなので、どうせならヤケクソになるのがここは吉だろう。
…というわけで、折角なのでここから先も皆様方には、私の承認欲求の吐け口として私の自慢話に付き合ってもらおうかと思う。
ま~ぶっちゃけ時間の無駄なんで、暇人以外はブラウザバックを推奨。
一緒に堕落する準備はOK?



















実は「腐り姫読本」が届いた1ヶ月ほど前にも、ある一冊の同人誌が手元に届いた。その同人誌をもって、私が生涯の入手目標として設定していた同人誌3冊が、手中に揃ってしまった。所謂”三種ノ神器”がここに完成してしまったのである。・・・ので、1冊ずつ入手順に紹介したいと思う。

1冊目:「Prism Record」

手が邪魔なんですけど😡

2016年冬コミにて刊行。サークルRosebud/irua氏による「プリティーリズム・レインボーライブ」の同人誌。同年にメロンブックスで購入(多分)

さて、皆様は「プリティーリズム・レインボーライブ」という作品をご存じだろうか?
……いいや、もはや聞くまい。本作が名立たる女児向けアニメ界の頂点に君臨する永遠の金字塔、押しも押されぬ大傑作アニメであるということは、言うまでもない周知の事実なのだから(今私が勝手に決めましたッ!!!)


ちなみにこれは冗談ではなく、割と大真面目に言っています。ぶっちゃけ、今後の私の人生に於いて、この作品を超えるアニメは永遠に現れないと”確信”しています。……本来、こうした物言いは己とアニメとの開かれた可能性を閉ざすだけで、見識の狭さを露呈させるだけの矮小な結果、ないしオタク特有の誇大妄想として周囲に失笑をプレゼントする程度の役にしか立ちませんが、私にはもはや、そんな冷笑すらも心地よく耳に響きます。私はそれでいいと、構わないと思っています。なにもかもが優柔不断な私が、唯一何の迷いもなく、確信をもって「好きだ」と断言できる作品は本作のみです。今後、いかなドラマ映画漫画アニメエロゲ小説が登場しようとも、それが覆ることはないでしょう。なぜなら、人生における”確信”のタイミングが、ただの一つだけに訪れるとしたら、私はもうとっくにそれを得ているのですから。だから、私にはもう何も言葉にする必要が無い。もう二度と、沈黙を恐れる必要が無い。ただ一言だけ、”ありがとう”
それだけで、私はこの”確信”を胸に、生きていくことができます。


…さて、適当に気持ちの悪いことを書き散らかしましたが、少し真面目に書きましょうか。別に「レインボーライブ」は、何も特別な作品というワケではありません。アニメーションに凝っているだとか、深遠な問いかけがなされているだとか、そういった高尚な類の作品ではないのです。あくまでも、大衆向けのエンタメとして高い水準で完成しているメロドラマで、100人が見たら99人は「面白い!!!」と感じるタイプの万人向け作品だと私は思います。なので、私が書いた文章を真に受けて、肩に力を入れる必要はありません。たくさん笑えて、たまに泣けて……どこまでも「当たり前」な人間関係しか描かれていない、普通の作品です。…そう、一言だけ言わせてもらうのなら、本作はまさしく人間”関係”が見える作品です。人間ではありません。”関係”そのものが、プリズムに分光された七色の如く可視化された作品です。もしも本作に非凡な点があるとすればそれは、その分光された七色の、なにものにも勝る美しさを於いて他にないでしょう。
「レインボーライブ」を、どうか見てやってください。私の本当の願いはそれだけです。


…さて、ここまでまったく同人誌の内容に触れていませんが、気を取り直しまして。

本誌「Prism Record」は、職業イラストレーターを生業とするirua氏が2013~2016年の間に発行したプリティーリズムRL個人誌、合同誌寄稿原稿を集めた再録本である。irua氏はCygamesお抱えの公式イラストレーターというだけあって、画力が非常に高い。私も本誌を購入する以前から、DMM公認エロゲでお馴染みShadowverse」を通じてirua氏の事は認知していた。

ムヒョヒョwww
あの・・・リーダー付与にしませんか???
ケツだけ星人定期

irua氏の画力が如何ほどのものであるか、おわかりいただけただろうか。
私は今でもマーズをロイヤルのスキンとして設定している程度には、氏のイラストが気に入っている(そもそもシャドバ起動していないとか言わないの)。そんなirua氏が、長らくプリリズ、プリパラの同人活動に携わっていたことを、当時の私は知る由もなかった。

…しかし、やはり私は運命に愛されている。そう、私の人生は昔から運が良い。思えば2016年もまた、私が運命に愛された1年であった。4月に「レインボーライブ」と出会いアニメ史に幕を降ろし、6月に「素晴らしき日々」と出会いエロゲの幕を開け、8月に「Shadowverse」、ひいてはirua氏と出会った。これだけでも僥倖ではあったが、さらなるサプライズが私を待っていたのだ。……そして私は知る。なんと、12月の冬コミでirua氏がこれまでのプリリズ合同誌に寄稿した原稿を纏めた再録本を発刊するということを!!!

まるでその年全ての伏線が回収されていくかのようであった。これを運命と呼ばずして何と呼ぼうか?
私は控えていた大学受験をも放り投げ、コミケ会場へと向かいたかったほどだ!!!(無論、その願いが叶う事はなかったのだが……これは私の数少ない後悔の一つでもある。あの時の私に貯金さえあれば!)

…とまあ、過ぎたことを悔いていても仕方がない。確か当時の私は「Dies irae(ディエス・イレ) ~Amantes amentes~」を漫画倉庫に売却して、そのお金でPrism Recordを購入したはずだ。…正直、年明けに手元に届いたような気もしないではないが、まあ誤差みたいなものだろう。
私は2016年に、本誌を入手したのだ!!!(確定事項)


さて、それでは肝心の中身の紹介である。当たり前の話だが、プロというだけあって流石に絵が上手い。正直台詞なしの画集であったとしても、文句はないレベルなのだが、綴られている物語の方も本編の内容を上手く補完しているものばかりで、あ~これは本当に「レインボーライブ」が好きな人が作っている同人誌なんだな~としみじみ実感でき、嬉しくなった。どれも珠玉揃いのエピソードではあるが、中でも私が好きなのは、「Let me tell you」だろうか。

メインキャラクター達の保護者(ここでは、”母親”)に焦点を当てたSSというのも、なかなか珍しいのではないか。こうしたメインキャラクターを取り巻く周縁のディテールに凝っている所も、「レインボーライブ」の魅力の一つだ。”母親”という形骸的な役割に終始するだけではない。むしろ、本編における”母親”達は皆なにかしら問題を抱えているし、当たり前に子供との接し方を間違える(これは”母親”だけではなく、”父親”も言わずもがな)。
レインボーライブ本編において、特にそういった部分が顕著に描かれていたのが蓮城寺律というキャラクターだろう。彼女の娘=蓮城寺べるへの愛情は、口癖である「貴方の為を思って言っているのよ」という台詞に代表されるように、そのまま過剰な抑圧として表出する。それは、海外に単身赴任し長らく家を空けている夫の為に、立派に育ったべるの姿を見せて安心させたいという、一つの愛情から引き起こされた抑圧だった。幸か不幸か、娘のべるは飛びぬけて優秀であったから、そうした抑圧を受けながらも、律の期待に十分すぎるほど応えてしまう。それが更なる律の抑圧をよび、べるを雁字搦めにしていく。…確かに始まりは愛情であった筈なのに、どうしてもこうも拗れてしまうのか。憎んでいるから傷つける、のではない。愛しているからこそ、どこまでも傷つけずにはいられないというこのジレンマ。母娘ともども、まさに”薔薇の棘”の表象がつくづくお似合いであるなどと、呑気な事は言えないが。レインボーライブ本編では、そうした母娘関係の決壊と、そして再生が描かれているのだが、それは蓮城寺べる自身の内面の変化に依る部分が大きい。彼女はいつも傍にあった愛情に気付くことが契機となり、律の抑圧を跳ねのけることに成功する。律に反抗することで初めて、母親と娘としての適切な距離感を保つことが出来たのだ。そして律もまた、娘との距離が生まれたこと、そして夫の帰郷を契機として、自身のべるへの愛情をもう一度確かめ直すことに成功する。二人は母娘としての関係を再編し、再出発するという形で、母娘の物語は幕を降ろす。

……さて、一見するとこれ以上語る余地の見当たらない母娘の物語に見えるが、それでは「Let me tell you」は一体何を語るのか。それは、”贖罪”の物語である。話は冒頭、ベルローズの保護者会という名目で三人の母親が居酒屋に集う場面から始まる。そうして酔っぱらた律は(麦酒一杯で!)、二人の母親に愚痴を漏らす。それは、どうやって娘に謝ったらいいかわからない、というものだった。

酔っぱらいりっちゃんかわいい

その問いかけに、森園フタバは応える。

今更だからこそ、今やらなきゃいけないんです

律の問いかけに応えるのが森園フタバである、というのも素晴らしい。フタバは、元ヤンであった過去を隠して夫と結婚した猫被りの女性だ。家庭内では元ヤンだった頃の面影は一切なく、しおらしく夫をたてる妻を演じていたが、それが後に夫の家父長的な増長を招き、娘である森園わかなを抑圧することに繋がってしまう。彼女は夫をたてる真面目な妻に憧れがあったぶん(そして夫に告白する際に口にした言葉の負い目も相まって)、なかなか夫に強く出ることが出来なかった。そんな彼女は、物語が中盤を過ぎ、佳境に差し掛かったところで漸く重い腰を上げる。なんと、夫に暴力で反旗を翻し、家庭内ヒエラルキーの頂点を強引にすり替えることで、わかなを父親の抑圧から解放するというアクロバットな幕引きで家庭の問題は解決されるのだ。この一瞬の大嵐のような展開は、まさしく画面の前の我々を置き去りにしてしまう。この解決には賛否両論わかれるだろうし、「そんな力があるのなら、もっと早くにわかなを……」という意見も御もっともだろう。だが、重要なのは、その言葉は当のフタバ自身にとっても”そう”であったということだ。「今更」という言葉は、何よりもフタバ自身に重くのしかかっていたものに違いない。だからこそ、彼女は拳を振り上げることを躊躇していたのではないだろうか。「今更」立ち上がっても、手遅れではないか?……「今更」立ち向かっても、娘は許してくれはしないだろう、などなど…今更、今更……。だが、彼女は逃げなかった。最終的に、彼女は拳をかかげる決断をした。例え「今更」ではあっても、彼女は「今やるべきこと」を成し遂げた。その一点において、私は彼女の行動を高く評価する。…我々の生きるこの現実、言ってしまえば、世の中の殆どの事は「今更」である。我々にとって「今更」とは呪いの言葉として機能する。それは、行動の債務から私を免責してくれる甘美なドラッグとして。頭ではわかっているのに、体がわかろうとしないという経験は、誰しも当てはまる事だろう。「やるべきこと」を”やる”か”やらない”か。…その境界で真摯に悩んだはずの森園フタバだからこそ、この場で律に言葉を送る者としてもっとも相応しい。彼女は知っているのだ。世の中「今更」なことは山ほどあっても、「手遅れ」なことはほとんどないということを。

本エピソードは、律がべるに話しかける場面で終わる。彼女はどんな言葉をべるに投げかけるのだろうか。「Let me tell you」……話すことを、許してください。たとえそれがどんな言葉であったとしても、きっと、べるは彼女を赦すのだろう。


謝罪で終わる、というのは実にレインボーライブらしいと私は思う。本編だって後半は謝ってばっかりだし、最終回でもたくさん謝った。人は誤るからこそ謝るとは、よく言ったものであり、まさしくここにこそ、レインボーライブが描きたかったものの総てがあると言っても過言ではないだろう。本編では絡みのなかった母親たちが、こうも違和感なく立ち振舞えるあたり、如何にレインボーライブという作品が丁寧に作られているか、改めて実感できた(無論、irua氏の力添えがあってこそだが)。

素晴らしいSSをありがとう、iruaさん。

閑話休題

それにしても、母親キャラが魅力的すぎる・・・

レインボーライブに登場する母親の皆様は、大変お美しい方々ばかりである。ので、其のスジの方々にも是非お勧めしたい。私は特段母親キャラが好きというワケではないのだが、最近レインボーライブ本編を見返したときには、母親キャラばかり目で追いかけている自分がいて、「俺も歳をとったもんだ・・・母親キャラが刺さるようになるなんて」などと思ったりもしたものだ。が、よくよく考えてみると初見の時から母親キャラにドギマギしていたという記憶が蘇ってきたので、これはもう間違いなく本作は、母親/人妻スキーのためのアニメだと”確信”を得ることが出来たのである。私の好みとしては小鳥遊おとぎ/神浜奈津子/彩瀬詩夢さんの三択かな~?

おとぎさん、僕を養ってください!!!
なっちゃんは涙目が似合うね~、あと僕を養(rya
僕の股間も、ハッピーな~る!!!←死ねよコイツマジで

閑話休題終わり


さて、以上の紹介は「Prism Recod」に収録された僅か1エピソードに過ぎないが、それでも本誌の魅力が少しでも伝わってくれただろうか。他のエピソードも、紹介したものと遜色ないクオリティを誇っているので、是非その目で確かめてほしい。最後に、私が一番好きなページのコマを貼って、本誌の紹介の締めとしたい。

りんねちゃん、ありがとおおおおおおおおおおお!!!!!!!!



2冊目:「Node Ꚙf Farthest - the lost categories -」

2015年夏コミにて刊行。サークル:フロウタリウム/砂義出雲氏による、「最果てのイマ」10周年記念小説。2024年に駿河屋で入手。

さて、「最果てのイマ」とは、また語るのが難しい作品の名前が出たもんである。私が本作のプレイを始めたのは、2020年であるし、正直内容はほとんど覚えていないし、そもそも二周しないことには何も語れない作品な気がするのだが、それでも一言だけコメントしよう。本作は、メタ演出を徹底的に排しながらも、それでもメタゲ―として完成してしまった悲劇の作品である。本作におけるメタ要素は、テクストという最もベタな次元の中に織り込まれ、浸透してしまったが故に我々の目に映ることは決してない。代わりに目に映るものは美少女だが、いまやそれはモニター越しの画面の中にではなく、我々の頭の中に巣食う腫瘍として胎動しているに過ぎない。もはや美少女は回想の中でしか生を許されず、千々に撒かれた記憶の断片のみが、彼女の手掛かりとしてわずかに残るばかり。我々が散れ散れた断片を編纂し、並べ替えるのは、それだけが我々と美少女とを繋ぐ交信足り得ると確信しているからに他ならない。……さあいまよ、頭の中の掲示板を建てておくれ。そして願わくば、彼女の足跡をその掲示板に残しておくれ!!!
……今日も今日とて、私の言葉は思考をかけ巡り、奔流となって掲示板を埋めていく。その書き込みのうちの一つが、もしかしたら貴女からのGiftであることを夢見ながら。

…なにが書かれているのかわからないかもしれないが、私にだってわからないのだから、聞かれたって困るし、回答できない。そもそも最果てのイマの記憶なんて、遥か彼方の向こう側だしね。

さて、本誌はそんな「最果てのイマ」の10周年を記念して刊行された砂義出雲氏によるミニシナリオ小説らしい。……”らしい”というのは、私がまだ本誌を1ページたりとも読んでいないが故に、本当はどういった本なのか全く把握できていないという現状に依拠して口から出た言葉である。
さて、ここで読者の皆様はきっとこう思うだろう。「読んだこともない同人誌をとり上げるとか頭沸いてんのかコイツ?」と……。確かに、その誹りは免れないが、それでも、私には本誌をとりあげる理由があるのだ。それは、本誌の中身ではなく、外身にまつわる経験として。

私は2020年の、多分2月くらいに最果てのイマのシナリオを開始し、2020年の7月に読了した。当時の私は、「なんでも実況J」に入り浸っていたのだが、折好く「最果てのイマ」をクリアした翌日にエロゲの話題で馴れ合うスレッドが立っているのを発見した。そのスレッド名は「【エロゲニキと】エロゲ業界終わる★5【濃厚接触🥰】」という名前で、これは僥倖とばかりに、私は「最果てのイマ」をクリアした感想を投稿した。
曰く、「最果てのイマはキモオタニート向けのクソゲー!(意訳)」と……
当然、レスポンスなど期待していなかったのだが、以外にも安価がついた。
曰く、「昔コミケで最果てのイマ本出したことがあるけど、イマたんが可愛すぎる(意訳)」と………
「ほ~ん、熱心な人もいるもんやな~」と、私は安価をつけたその方の他のレスを覗いてみる。すると、何やら田中ロミオについて熱く語っているではないか。

※ちょうど当時のレスをそのままコピペして保存してあるので、此処に載せておこう。

439 風吹けば名無し 2020/07/13(月) 22:32:42 ID:c5OYggpfa.net

>>363
田中ロミオもエロゲ論で言及してたやで

ロミオは家族計画や最果てのイマでもそうだけど人と人とのコミュニケーションがテーマとしてかなり重要視してるやで
ある作品の全てのシナリオを終えた美少女ゲームはひとり取り残された太一のようなものや
もう一度プレイしなおしてもそれは既に知っている展開をなぞる「追想」にすぎないんやで
太一がそうだったようにや
コンプリート後の閉塞状況を打ち破り物語と睦みあい続けるには方法はひとつしかないんや考察と創作等で物語を自分で再構成しそして誰かにその感動を話すことや
エロゲプレイは孤独な作業になりがちや身近な人に話して聞かせることのできる話題でもないしな
話して聞かせるとしたら画面の向こうの別世界が多いはずや
自分のために他人が必要であると認めること
「家族計画」で語られていたことと同じテーマやで

ほ~ん、流石コミケでイマ本を刊行する人はレベルが違うな~🤔
などと感心した私は、この方なら私がC♰Cで抱いた疑問に応えてくれそうだと感じ、反応を期待しながら新たなレスを投下する。すると、やはり私の願い通りにこの方は答えてくれた。

555 風吹けば名無し age 2020/07/13(月) 22:39:24 ID:rQnAx1uja.net
クロスチャンネルってどういう感情で最後のシーン見ればええんや…
ワイは「それでええのか太一」って感じで唖然とした表情でED見てたわ


760 風吹けば名無し 2020/07/13(月) 22:46:23 ID:c5OYggpfa.net

>>555
クロスチャンネルって作品全体がインタビューでロミオが言ってたけど美少女ゲームのメタファーやったりするんや
だから太一=プレイヤー(ワイらなんや)
美少女ゲームにおいて攻略を終えたヒロインは次なるヒロインのシナリオでは舞台から消えるし少なくともただの背景になるんや
あるいはひとつの作品のシナリオがどんなにすばらしくてもその「現実の」人間関係に持ってはいけないんや
ゲームのプログラムを終了したら彼女とつながるにはその場で「回想」するしかないんや

「思い出」だけをもらって
彼女はハードディスクという違う世界で彼女の役割を演じ続けるんや
これはロミオインタビューでワイらの人間関係が変質しつつあることを投影していると言ってたんや
人の移動転職が増え
ネットを通じた交流が当たり前になり
「降りようと思えば降りられる、その気になればそれっきりにできる」関係が増えたんや

太一はひとり世界に取り残され
幻想の中の母親の記憶からなくしていた心を取り戻す
そして太一が送るメッセージは電波に乗って世界へ飛び立つんや
投げかけるメッセージは今は別世界にいて交流もない知り合いの中にもあなたのメッセージを待っている人がきっといるから寂しいなら勇気を出して連絡を取ってごらんよ
そしてそれは電波に乗って誰かに伝わるんや

これはワイらへのはなむけの言葉なんやで

「これはワイらへのはなむけの言葉なんやで」←か、カッコよすぎる~😍

すっかりこの方に惚れ込んだ私は、その後のレスの行方を追いながらも、どうにかしてこの方が刊行した同人誌の詳細を知ることができないものかと煩悶していた。…しかし、やはり私は運が良い。私は私の望む情報を手に入れることが出来た。どうやらこの方は、「藤原将にインタビューしたことがる」らしいのだ(※ホントのところ真偽は不明であるが、私はこの方の反応から”そう”であると睨んだ)。そして情報をもとに、私は当該の同人誌に辿り着いた。

それこそが、本誌「Node Ꚙf Farthest - the lost categories -」である。

…さて、辿り着いたはいいものの、やはり希少な同人誌の例に漏れず、すでに本誌の入手手段は途絶、中古市場にも出回ってはいなかった。せっかくここまで辿り着いたというのに、私は諦めるしかないのだろうか。

…それから数年がたち、私の記憶からも本誌ことが消えつつあった。このまま風化は免れないかと思われた、その時!!!――しかし、やはり私は、運命に愛されていたようだ。
なんと、2024年に本誌の再販が決定されたのだ。

さて、しかしここで問題がある。私は、本誌を入手した時点では、まだ再販の事実を知らなかったのだ。…これはどういうことか?私は折角本誌が再販されていたのにもかかわらず、わざわざ駿河屋の中古市場に出回ってきた本誌を、「ラッキ~♪」とばかりに高値で攫んでしまったのだ。本家大本では700円で販売されていたというのに!!!
馬鹿すぎるにも程がある。…そもそも、今まで(私が観測した範囲では)一度だって中古市場に流れてこなかったのだから、まずは出所を疑ってかかるべきだったのだ。あ~あ、こうやって情弱はカモにされていくのである。
世は無情なりしか。ファッキュー駿〇屋!!!

…さて、八つ当たりも済んだことだし、今は素直に本誌を入手できたことを喜ぼう。正直ほとんど諦めかけていただけに、本誌が届いたときには思いもよらず、感慨にふけることが出来た。私は本誌の内容を1ミリ足りとも知らない。それに、そもそも砂義出雲氏は私にレスポンスをくれた人とは別人かもしれない。だが、そんなことはもはや些細なことでしかない。私にとって本誌にまつわる物語は、既に語られているのだ。それは、虚構に仮託することを夢見るオタクへと、花束をくれたあの人の言葉そのものだ。私も、最果てのイマに倣おう。私も私の記憶を編纂し、物語を紡ごう。


閑話休題

しかし、せっかく入手した本誌が読めるのはいつになる事やら・・・
つーかまず、最果てのイマを再走する気が起きねええええええ!!!
あんな長い作品、今じゃもうモチベが最後まで保てないだろう。というか、クリアするのに半年近くかかってるやん!!!まあ?、俺のプレイ時間最長記録保持作品であるWHITEALBUM2の1年6ヶ月に比べたら?、可愛いもんだけど?、それでも再走なんかしたくねえええええええええ!!!!……(いや、でも俺今ニートなんだから、やっぱりニート向けのゲームとして掲示板で吹聴した以上は今こそ再走すべきなのでは!?)

…ニート生活、もうすぐ終わりそうなんだけれども、はたして俺は再送できるのでしょうか???…答えは神≒イマのみぞ知る。

閑話休題終わり




3冊目:「恋愛ゲームシナリオライタ論集30人×30説+」

2010年夏コミにて刊行。サークル:theoria/故then-d氏の編集による、シナリオライタ論集。2024年にメルカリ経由で入手。

さて、エロゲ批評誌といえば、直近でもくるみ瑠璃氏が主宰を務めた「ビジュアル美少女」などが記憶に新しいが、15年近くも前となると、やはり今とは活気のレベルが全然違う。本誌に収録されている原稿の数は33本、総ページ数は427pにも上るのだから、驚愕というほかない。こんなにもエロゲで賑わっていた時代が確かに存在したのだと、私の手に圧し掛かる本誌の重量が教えてくれる。

こちらの本誌も、もう再販されることはないので入手を諦めかけていたのだが、去年の暮れに偶然メルカリで出品されていたのを見つけることができたので、そのまま落札した。やはり私は運が良い(n回目)

私が本誌の存在を知ったのは、確か2019年頃だったと思う。残響さんがはてブで書いたエロゲーマー諸子百家という記事からvostokさんの存在を知り、彼のブログからthen-d氏が手掛けた本誌の存在を知ったのだ。ちなみに、本誌に掲載されている原稿の一部は、then-d氏のブログに載せられているリンクから読むことが出来る。

もしかしたら、全ての原稿のリンクが埋まる未来もあったのかもしれないが、残念ながらthen-d氏は故人となってしまい、リンクが埋まる日が訪れることはない。いずれはここに載せられている幾つかの原稿も、そのうちリンク切れになってしまい、消失してしまうかもしれない。そう思うと、少し寂しい。……だけれども、今、私の手には確かな重みと共に、確かな記述が残されている。面識が無くとも、私はいつでも遺された文章を読むことが出来るというのだから、不思議なものである。……これを「弔い」と言ってしまうにはあまりにも傲慢で覚束ないが、これも「御縁」ということでここは一つ、せめて笑い話の肴にでもなりたいものだ。

最後に、then-d氏の原稿を読みながら結びとしよう。

3.麻枝准 亡き現在のためのパヴァーヌ(then-d)

麻枝作品の仏教的解釈とはこれまたアクロバティックでたまげたなぁ・・・
でも、確かに麻枝作品の受容を宗教的体験のそれとして捉える語り口は割と頻繁に目にするかもしれない。かくいう自分も、よくよく思い返してみれば、僕は麻枝作品を原典 ― テキスト ― として遊んだことはほとんどないし(かろうじて智代アフターのみプレイ済み)、アニメーションとして体験したものがほとんどだ。特に、Kanon、AIR、CLANNADあたりは京都アニメーション制作ということもあって、「空」だったり「光」の描き方なんかは、まさしく宗教的体験としかいいようがないものとして、幼少期に経験したはずなのだ。だから、直感的内面的な霊的体験のモチーフとして仏教を持ち出してくるのは、割と自然なことなのかもしれない。麻枝が一番最初に手掛けた「Moon.」はまさしく”宗教的体験”そのものが描かれているあたりも示唆的であるし。

「いま/ここの否定」と、超越的世界への志向、そして超越的世界の棄却と生活空間への回帰。結局、仏教的モチーフで捉えられのは内的な宗教的体験のアナロジーとしてだけであって、解脱へと突き進むことはなく、元の空間へと帰還する。

【悲報】リトルバスターズ!、末法の世界だった・・・😱😱😱
やっぱりthen-dさんってリトバスアンチなんじゃ・・・😭😭😭

なるほどね~、リトバス以前は生活空間の営利から始まっていたものが、リトバス以降は幻想的世界の営利から始まっているわけね。予め崩壊することが確定しているセカイであるが故に、末法のモチーフを当てはめているわけだ。←自分の「末法」解釈に問題ありの可能性、大!!!

前期に見られた難解さ≒宗教的要素が薄れ、大衆迎合的、教義的にわかりやすくなったリトバス以降の後期作品群。つまりは、麻枝初期作品が上座部仏教をモチーフとした個人的修行的姿勢であったのに対し、後期作品は大乗仏教をモチーフとした衆生救済的姿勢であると・・・ここでいう、”衆生救済的姿勢”とは、プレイヤーにとってわかりやすい「感動」を提供する甘さということか。要は、リトバス時代には、既にインターネット上でのコミュニケーションが広く膾炙していた為に、作品の受容が個人的な次元で完結することがなくなったということ?

しかし、その両方をも否定しようとする麻枝の前進的姿勢とは何か?
上座部仏教的な個人の探求から生活空間への帰還をもって、ナルシシズム的姿勢の回避とみなすこと、ここまでは、”作品内の情報”のみで完結するが、大乗仏教的な衆生救済的姿勢は、必ず”作品外の情報”が伴うという事。→大衆への迎合化が進む一方で、智代アフターや朱鷺戸沙耶に見られるような、大衆を突き放すかのような描写の挿入。常に前進的姿勢で高見を目指そうとする麻枝の姿勢は、再び上座部仏教的なそれへと回帰するのか?

智代アフターにおいては、獲得されたはずの家族が崩壊していく様が描かれている。そして智代は、最愛の人を失ってなお、それでも幸福だったと言うのか?……よくよく思い返してみれば、そもそもCLANNADの時点で朋也は渚の死と直面していたし、終盤には汐だって亡くしていたのだから、家族の崩壊は既にこの時点で織り込み済みだったのかもしれない。それが、”町の奇跡”とでも呼ぶべき不思議な力で、確かに失われたはずの家族は再生を果たしたのに対して、智代アフターではそういった”奇跡”は起こらない。智代アフターはCLANNADのアンチテーゼよいうよりも、むしろCLANNADが直接的に描写しなかった部分を、智代アフターでわかりやすく再演しただけであって、問いかけそのものはCLANNADの時点から変わっていないのかもしれないな~と思った。

(余談だが、智代アフターで描かれていた内容と同じものを、一番私好みに描写していたのは「キラ☆キラ」のきらりルート1だと思う。…私って、やっぱり”ベタ”なものが大好きなんですよ)

あ~、そういえば智代アフターってクリア後のミニゲームあったな。多分やってない気がする・・・
鷹文の「おかえり」という言葉で迎え入れられる智代の描写でミニゲームは終わり?えっ、なんかめっちゃええ終わり方やん!!!
最後の最後で崩壊したはずの家族の再生というか、他者ともう一度開かれる可能性が描かれるって・・・智代アフター、やるやん!

【悲報】俺氏、エンジェルビーツ以降の麻枝作品を知らない・・・

てか、「Light-colors」の歌詞めっちゃいいな~。今までずっと「プリズム落とした~」だと思ってたわ・・・




私が本誌を持っている限り、私はいつでもthen-d氏に触れることが出来る。
ありがとう、そしておやすみなさい。

閑話休題

ついでに田中ロミオについての原稿も見てみたんだけど、冒頭からやっぱりめっちゃ面白くて笑えたのでぜひ見てもらいたい。

wwwやはりヤバイ(確信)
書き出しからして、一言も田中ロミオについての言及がなく、怒涛の現代思想タームで埋め尽くされていてすごい(小並感)
多分こういう書き方で許される作家って、田中ロミオだけだと思うんですよ。SCA-自だったらギリアウト。というか、ロミオ作品の中だったとしてもC♰Cとイマだけだと思うわ~www

話は変わるが、実は私が「腐り姫読本」を入手できたのは、田中ロミオ論の原稿に「腐り姫読本」からの引用があったからなのだ。「あ~、そういえばそんな本もあったな~」と思いながらたまたま検索にかけてみたら、なんとメルカリで、ちょうど1時間前に出品されたばかりの「腐り姫読本」を見つけたので速攻で落札することができた。やはり、私は明らかに運が良い。

閑話休題終わり






おしまいに

久々にたくさん自分語りができて気持ち良かった(小並感)
私の自慢のコレクションに嫉妬してくれる人が沢山いたら嬉しい😍

・・・しかし、「三種ノ神器」と言いながら、四冊も紹介してしまった。
どうせなら、あと一冊揃えて「エクゾディア完成~♪」(呂布カルマっぽく)とかやればよかった。・・・やはり、もう一冊狙うしかないか、あの伝説の「プリズムアライブ」を!!!



おしまい


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