WEBライターになりたいと思った
noteを始めようと思ったきっかけは何だったのだろう。
ふと、立ち止まる。
書きたいことが思いつかず、日々の生活に追われて、note幽霊部員だった私。
でも、思い出そう。なぜ、書こうと思ったのか。
初心に戻る
きっかけは以前所属していた部署だ。
文章を書く楽しみとその対極にある、書く難しさに気づいた時。
そして、読み手をのことを考え、結果が出た時の喜びが決め手だった。
これは、いわゆるSNSの👍をしてもらう快感に近いのかもしれないが、人に読んでもらえる喜びを得られた。そこから、どのように表現をすれば、読み手(買い手)を得ることができるのかを検証することもできた。
そう。それがきっかけだった。
そして、現在は海外に住んでいるものの、日本への帰国も視野に入れると収入が必要になる。就職活動も考えなければいけないのだろうが、そもそも海外生活が長くなり、年齢も上がってきてしまったので、就職は容易なことではないと思う。収入がなければ、生活できない。可能であれば、どこにいてもできる仕事、そして自分のしたい仕事に就きたいと思ったのだった。
文章を書く難しさにぶつかる
以前の部署での仕事でもそうだったが、まずぶつかるのがネタだ。
・・・・・何を書こう。
仕事の場合は、何を売りたいかによって書くネタを考えるが、仕事ではない場合は自分のアンテナでキャッチしたもの、普段の生活で感じたものを書くことから始めればいいのだろうが、何分、コロナ以降、在宅勤務になってしまったので、外に出ない。出る機会がない。
会う人も限られるし、行動範囲も狭まる。これでは、書くネタが見つからない。
一体、noteを続けている人々はどのようにして書くネタを見つけてくるのだろうか。
SNSに上がってくる記事を見て日本語の衰えを感じる
SNSであがってくる記事を何気なく読んでいると、まあ、誤字脱字が多いこと。
それだけではなく、文章中身の検証が少ないせいか、それとも事実への興味の薄さからなのか、文を読んでいても全く心に響かない。
そんな記事を読む度に、自分でも書く仕事ができるんじゃないか?と思ってしまう時がある(あくまでも個人的な感情なので自分がそれ以上の文章力があるかどうかは別)
しかし、これは日本人に限ったものではないようだ。
ここ、オーストラリアでも新聞会社のWEB版コラムに目を通してみると、見出しと記事内容が全く違う時がある。興味をもって読み始めたはずなのに、記事内容の信憑性を疑ってしまい、全部読む前に離脱することが多い。そして、見出しで食らいついてしまった自分が嫌になったりもする。
それを考えると、日本語だけに限らず、どこの国でも同じような現象があるのかもしれない。
自己啓発をしよう
年に何度かこれからの人生について悩んで落ち込む時がある。
そんな時、毎回新しいことをしてみようと思って、オンライン講座に参加する傾向があるらしい。
毎回お世話になるのが、クラウドワークスの「みんなのカレッジ」だった。
比較的お財布に安い講座料金で、課題提出するなどの実践もあるので、講座期間は仕事と育児、家庭とのバランスで毎回、課題を提出するのが精一杯になる。
しかし、毎回、知識ややる気など、得たものを大きいと感じている。
「鉄は熱いうちに打て」で、心が折れてしまった話
そうそう。
それでクラウドワークスでWEBライターの仕事を探していたのだった。
でも、単価が1文字1円以下。おかしいでしょ?と思う料金。
1分1円よりも低い。文章を書くには、それなりの準備やリサーチの時間が必要なので、時給で言ったら小数点の世界の金額となる。
それでも、経験値を上げようと思って、応募してみるも全然仕事が見つからない。どうやったら仕事が見つかるのか。
それでも、アウトプットをしない限り、前に進めないのでこのnoteを始めようと思ったのだった。
定期的にくるメンタルダウン
こういう時にSNSやnoteを始めると、反応がないと正直、落ち込む。
なので、今回、noteで書いてみているものの、大丈夫なのか?と我ながら思う。
でも、アウトプットの練習になるし、自分の気持ちの整理にもなるので、少しずつでも続けていこう。
同じようにWEBライターを目指す人も多いだろうが、ライバル、そして戦友と思いながら、そんな方々とも繋がっていけたら思う。
まずは、今の気持ち整理。
少しずつ前に進もう。