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兄貴😁2

兄貴は よく笑い よく喋る!
明るくて 運動好きな兄貴だった。
顔は 少々モンチッチに似て 猿顔。
趣味も沢山あって 釣りも好きだった。絵も上手で 釣りキチ三平の絵や魚の絵を書いてくれた。今と違って 写し絵とか そんな道具もない。
見て書いたにしては めちゃくちゃ クオリティ高い絵だったのを覚えてる。
漫画家になれるよ!!お兄ちゃん!!

2階には 部屋が4部屋あって
兄貴2人の部屋、姉と私の部屋、そして姉と私と母が 寝る部屋、父の寝る部屋になっていた。

引っ越してからは 皆が部屋に籠るので、あまり 会話もしなくなっていった。まぁ、思春期と言うのもあるんだろうけど…☺️  兄弟姉妹、仲良く話した記憶は あまりなぃ。

私が小学校に上がる頃…
母親が 子宮がんになる。😭
そして、そこで 母は 知り合いのツテによって 命を救われる。
それは 真光と言うものだった。
その知り合いの方が手かざししてくれた事によって、母の命が救われたとかで…母は その宗教を始めるようになった。
もちろん 私たち4人も 連れて行かれて 入信させられた。そして、みんな 手をかざし 神様を信じる事を教わった。
確かに 信じ難い事が 目の前で起きる為 信用せざるを得ないのだが とにかく その道場に出掛けるのが 億劫だった。
手をかざすと 霊障が出て 体が揺れ出したり、倒れてしまう人も居た。

かなり びっくりしたのは 母親が バイクで買い物に行った際に 転んで 血だらけで帰ってきたことがあった。
アチコチが擦りむけて 全身血だらけ。玄関開けたら血だらけで 佇む母親の姿を今でも忘れない😅

なのに 母親は 救急車も呼ばず 私に
転んじゃったよー!手かざしをしてくれ!!と頼んだ。
私は 唖然としながらも 泣きながら必死に手かざししていた。見る見るうちに 怪我も治っていき、擦りむけた肌も1週間くらいでキレイになっていった。
えっ!?マジか!!!と。
だから 疑う心も 持たず その時は 信じて 母親の言うがままに 続けていた。
信じない理由がなかったからだ。

兄貴たちは 小学校高学年くらいから 遊びに行ったら 遅くまで帰ってこなくなった。 気が付いたら 道を逸れていた😅  どーして、自分に 記憶がないのだろう…ほんとに 気が付いたら 家の中が荒れていた。

通っていた中学校も、荒れていた。
ビーバップハイスクールだった。😅
兄貴も パンチパーマだし バイク盗んで 警察来たり。それこそ 尾崎豊の歌の世界だった。兄貴の部屋には ヤンキー達が集まり シンナー吸ったり…タバコ吸ったり…木刀置いてあるのは当たり前。喧嘩上等の世界であった😅
でも、母親は ご飯作ってあげたり 皆と仲良く話したりして、家の中で暴力振るうとか そんな事ではなかった。友達たちは 個人的だと素直で優しいと聞いた。
そんな兄貴は父親とは 全く気が合わず…父親が、帰ってくると 家のブレーカー落とされて 真っ暗闇に させられて…家から出てけ!!とか始まるのだ。そして 友達と兄貴は 外に出ていく…そんな日々だった。
毎晩毎晩 そんな ドタバタ劇が 繰り返されるのだった。
ある日は 警察が家に来て 兄貴を探してるとか…
ある日は 家の廊下に火を付けて…家が燃えかけた。
そんな兄貴は 高校生になる時に、近くのヤンキー高校に行きたいと言ったのだが、父親が 兄貴を無理やり 有名高校に 入学させた。野球が少し出来たから それで 裏口入学させたのか?!と想像だけども。
そして、そんな強者共の、高校に 兄貴がついていける訳もなく…先生に厳しくされ…兄貴の心はポキッと折れたのであろう…。
更に悪事がエスカレートするのであった。高校中退してフラフラする日々に突入するのであった。

私が高校生になる頃には ヤンチャな車でお迎えに来てくれたり…それはそれは 恥ずかしかった😂
いや、私にとっては 優しい兄貴だから 嬉しいのだけども…迎えに来なくていぃから!!って気持ちの方が大きかった😂

たまに 家に帰ってくると お腹すいてないか??と言ってチャーハンをつくってくれたりもした。
私には いつも笑顔で優しい兄貴だった。☺️
駅から歩いてると、兄貴が後ろから来て パォーーーーン!!!とホーーンを鳴らすのだ😅その度に心臓が飛び出るくらい ビックリしてしまうのであった。いや、ほんとに素通りしてくれないかな…と思う時もあった。😂

なんだろう…兄貴はいつから グレたんだろう…と記憶を辿るのだけれど…全然 出てこない…😅

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