サバンナのクリスマス

5年前のクリスマスイブ、私はケニアにいた。

当時、私はケニアのKibweziという町に住んでいた。サバンが広がりバオバブの木がボコボコと生えている地域だった。私は住民と森林管理の活動を展開していた。


学部林学科を卒業して、世界で森造りをしたいと意気込んで、飛び込んだ国際協力の世界。蓋を開けてみれば、自分の行動力とは裏腹に自分の無力さが身に染みるばかりだった。

新参者の自分が、新天地の地域や人を変えようだなんてなんて烏滸がましい考えだったことか。先進国が偉いわけでもない、私が特別なにかできるわけでもない。スワヒリ語もあやふや、1人で鶏も捌けない、地域の人に助けられてやっと生きていける状態だった。

私がケニアで奮闘しているからといって世界は変わらなかった。私を抜きにした日本では、同級生が昇進したり結婚したり出産したり、華やかな話題がSNSを賑わせていた。画面の向こうの話題はどこか遠くの夢物語のようで、現実味がなかった。

当時の私の日常は、手洗いで洗濯をして、洗濯物に赤土がつかないように願い、マーケットで安い野菜を買って日の入りとともに家へ帰って1人で調理をしていた。


職場もほぼ閉鎖状態だったので、地域のコミュニティを巡回して森造りのワークショップをしたりしていた。


牧歌的な日常。よく人と会ってチャイを飲み、地域の人がやりたいことを聞いては考えてみる。

すると、世界なんかじゃなく家族やコミュニティを守る逞しい人々が森造りの活動を活性化させるようになった。


彼らの、子供たちにより良い環境を残したり、いろいろな世界を見せたいという思いは強く、森造りのグループは組織化したし、彼らの提案で外国人の私は日曜日の教会(といっても土壁で出来た小屋)で子供たちに日本語の歌や折り紙を教えるようになった。


世界は変えられなくても、ささやかな楽しい時間はつくれるし、視野も広げられることを実感した。


その年のクリスマスイブ、私はサバンナにある教会に招かれた。昼間から子供たちが歌ったり踊ったり楽しそうにお祈りをする様子を眺めていた。


夜になっても、その賑やかな様子は収まらずささやかな料理が振る舞われた。

日付も変わろうという頃、牧師がその場にいた皆を教会の外に集めた。

大人、子供併せて100人近くいただろうか。とにかく小さい子供たちが多かった。少し涼しい赤道直下の夜、満点の星空の下、皆で手を繋いで大きな円になった。


クリスマスになる直前、皆で手を繋いで目を瞑ってこれからの幸せを願った。それは、静寂に包まれた純粋な祈りだった。

日付が変わり、拍手が巻き起こる。子供たちは騒ぎ出す。


私はそれまで地域の人と、こんなに心を一つにしようと務めたことがあっただろうか?家族とすら、こんな時間を過ごしたことはなかったのかもしれない。

素朴な優しさに包まれて、純粋な祈りを感じて、変わったのは私の方。



5年前のクリスマス、私はケニアにいた。

いくら時が経とうとも変わらないその事実がかけがえのない温もりとなって私を支えている。





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