本当は、冷たくてあまいのが好きな彼の話。
「「「かんぱーい!!」」」
金曜日19時。
駅前のこじゃれたチェーン店居酒屋。
『…なにが、かんぱーい!だ。うざ』
そんな内心の毒はもちろん隠して、周りのノリに今日も合わせる。
ーーー
それなりの中堅どころに就職して5年。仕事はそこまで嫌いじゃない。でも、好きでもない。
こうして毎週のように開催される「飲み会」に内心うんざりするほどには、社会というやつに辟易している。
「…にが」
手には生ビール。
本当は嫌いだ。俺が飲みたいのは「カシスオレンジ」とか「ピーチフィズ」みたいな甘くてジュースみたいなやつだから。
ーー全員生でいいな?!!
毎度おなじみの課長の一声に、「いや、俺はカシオレが良いです」と異を唱える勇気は今日も出なかった。
そんな小さな我慢が、社会に出てから5年…いや物心ついたときから少しづつ積み重なっているような気がする。
「飲んでるかーーーー!」
「…うざ」
「うわ、お前またビール飲んでるし」
騒々しい声と共に隣に座ってきたのは同期の川上。手には梅酒のロック。そう言えばさっき課長の「全員生でいいな?!!」の一声に、
「俺は梅酒ロックで!!」
と大声で注文を通していた。
「ほんとはカシオレとか飲みたいんだろ?店員さーん!」
「おい!いいって!」
「我慢して飲むなよそんなもん。あ、すんませんカシスオレンジひとつ」
こいつはいつもこうだ。
俺が小さな我慢をグッとため込んでいる隣で、「梅酒!」と自分の欲しいものを叫ぶ。飲み会のドリンクだけじゃなくて、ランチミーティングと称された鬱陶しい上司との昼飯でも堂々と自分の食べたいものを言う。
「もう皆できあがってるから大丈夫だって」
そう言いながら手渡される、カシオレ。
ーごくん。
「…甘い。うまい」
「ほんとお前って子ども舌な」
「うるせえ。お前もビール飲まないくせに」
「俺はビールより梅酒が好きなの」
そう言いながら「お姉さん!梅酒ソーダ割で!」とオーダーしている。どんんだけ梅酒すきなんだよ。
「お前さあ、周りを気にしすぎなんだよ」
「え?」
「カシオレ位頼めなくてどーすんの?」
「…だって、みんながビール飲んでるし、なんか雰囲気壊したら嫌じゃん」
「お前が好きなドリンクをオーダーしたくらいで誰も気にしねえって!」
だって、言われたんだ。
新入社員のとき、歓迎会でビールを断ってカシオレを頼んだら、「そんな学生みたいな酒飲んでたらいかんぞ!」って。飲み会のたびにそんなこと言われるの嫌だし、それからはもう、自分の飲みたいものより周りと一緒のものを頼むことに決めた。
「コーヒー、コーヒー、コーヒー、イチゴパフェ!」
俺がそんなことを思い出しながらぼんやりしていると、川上が大声で意味不明な言葉を言い出した。
「え、なに?」
「コーヒー!コーヒー!!イチゴパフェ!!」
「いやちょっと意味わかんねえんだけど…」
「お前は喫茶店で周りがコーヒーを頼んでる時に、『俺はイチゴパフェ!』って注文できるか?」
「いや、俺イチゴパフェきらい…」
「例えだから!お前が好きか嫌いかは今はいいから!」
「‥周りがコーヒーって言ってたら、俺もコーヒー頼む」
「苦いのに?」
「砂糖入れたら、飲めるし」
「お前あれだ。俺と飯行って、俺がA定食!って頼んだら『俺も同じのを』って言うタイプだな」
「‥‥う」
図星。図星だ。
自分の食べたいものより、人と合わせることを優先する。当り前のように続けていた習慣。あれ?俺の好きなものってなんだっけ…。
「あのさあ、その癖、いつかお前をじわじわ潰すぞ」
「は?」
「そうやって自分の感覚とか、好きなもんとかを見ない振りしてると、やられるぞ」
…やられる?
なにに??
「お前、自分の好きなものわかってる?」
「え」
さっきまさに「俺の好きなものってなんだっけ…」と考えていた。まるで頭の中を覗かれているような質問に、思わず黙り込んでしまう。
「…じゃあ、そうだな。目の前に唐揚げと、エイヒレがあります。どっちが食べたい?」
さっき運ばれてきたばっかりでほこほこと湯気を上げる唐揚げと、うまそうなエイヒレを指さして聞いてくる。カロリーとかを考えたら…
「エイヒレ?」
「いやなんで疑問形なんだよ。ほんとに?ほんとーーーにエイヒレが食いたいか?」
え?ほんとうに?
エイヒレは好きだし、いや、唐揚げの方が好きだけど揚げ物は身体に悪いし…。
「お前まさか、カロリーとかそういうのグダグダ考えながら選んでないよな?」
「え、なんでわかった」
「はあああああああ…もおおおおおおおおお!!」
え?え?なんでそんなに呆れられてんの?
「だって、もうすぐ30だし揚げ物は良くないって常識だし…」
「俺は、どっちが食べたいかって聞いてんの!そういうごちゃっとしたことは置いといて、お前はどっちが食べたいんだよ!?」
「うーん…」
「だめだ。質問を変える。明日世界が滅びます」
「唐突だな」
「世界が滅ぶ前に、あなたはエイヒレか唐揚げしか食べることができません。さあ、どっちを食べますか!!!」
そうすごい剣幕で聞いてくるから思わず、
「…唐揚げ」
ポロリと口から飛び出ていた。
ーーー
「好きなの頼めよ。俺はアイスコーヒー」
あの後、「ほらやっぱり唐揚げが食いたいんじゃねえか!」と俺の皿にどしどし唐揚げを積み上げながら、「二軒目行くぞ!」と誘われた。
二軒目もなにも、いつも飲み会の後はスナックでカラオケ(もちろん行きたくない)が定番コースだし…と聞き流していた。
そして、「二次会行くぞ!」と課長が上機嫌で声を上げた時、
「俺とこいつは抜けます。すんません!」
またしても堂々と宣言しやがった。
考えてみれば、こいつはいつも二次会は不参加で、いつの間にか消えている。それでもなぜか、課長や上司から嫌われたりしていないのが不思議だった。
そして連れて来られたのは、遅くまで営業している駅前の喫茶店。俺がおごるから好きなものを頼めと言われ、目の前のメニューを延々と眺めている。
アイス抹茶ラテ?うまそう…。でもアイスは腹が冷えるか…。
プリンアラモード?!子供の頃食ったなあ。でもカロリーが…。
さっきの唐揚げとエイヒレのくだりをすっかり忘れた俺は、またしてもグルグルと頭の中であーだこーだと考えていた。
「おい!まーたグルグル考えてんのかお前は」
苛立った声に顔を上げたら、もう注文をすませた川上の顔と、「さっさとオーダーしろや」と顔に書かれたバイトの女の子の顔。
「あ、ごめん。えーと…アイスこーひ・・」
「お前さっきコーヒー嫌いって言ってたよな?」
「え、あ。」
「おごりだぞ?好きなもん頼んでいいんだぞ?」
「え、あ…」
「5・4・3・2・・・」
「ああああああアイス抹茶ラテとプリンアラモードでっ!!」
「繰り返させていただきますー。アイスコーヒー、アイス抹茶ラテ、プリンアラモード。以上でよろしいでしょうかー」
「はい」
「少々おまちくださーい」
…なんか異常に緊張した。わけわかんなくなって、結局冷たくて高カロリーで甘いものを頼んでしまった…。
「抹茶ラテとプリンアラモードって(笑)」
「お前が好きなもん頼んでいいって言ったから!」
「いいじゃん、甘い物。お前好きなんだろ?」
「好き、だけど…」
「じゃあいいじゃん」
そう上機嫌で言う顔を見ながら、そういえば今夜はあんまり疲れてないな…と気づく。飲み会のある日はいつも心底疲れてしまって、翌日までそれを引きずってしまうことがほとんどなのに…。
「ドキドキするだろ」
「へ?」
「好きなものを頼むのって」
「あー‥‥」
「それ、覚えとけよ」
社会に出て5年。生まれてもうすぐ28年。仕事は好きでも嫌いでもない。内心うんざりするほどには、社会というやつに辟易している。
「…うま」
抹茶ラテとプリンアラモード。
ずっと忘れていた、ずっと食べたかった。
こうして「好き」のかけらを集め始めたこの日。
俺にとって転機になる1日だったと知るのは、もう少し先のおはなし。