LGBTやフェミニズムなどの社会問題から考える、二元論の限界、多様性への展開


現代社会はLGBTだの、フェミニズムだのいろいろと多様性を求めるようになってきている。肌の色であったり、思想信条であったり。これは昭和までの誰も目に留めなかった個性を尊重した教育の自然な作用なのかもしれない。

私は今日、シコった後の賢者タイムで考えてみた。男女で分類する理由、しいては二者択一で考える、善と悪、正と誤、真と偽、強弱、そして男女。人類はあらゆるものを二元的にとらえて、答えのない世界に挑んできた。まず概要から話してみたいと思う。

そもそも答えのない世界、つまりは相対的な世界をとらえるときに簡単に考えられるものがある。それは個人の尺度でしかないということ。”私は○○は正しいと思う。”わかるだろうか。答えのない世界では思うことしかできない。人が見たり、思ったり、感じたりして、自分の中に物事をはかる基準ができる。それが正誤であったり、様々な二者択一のものだ。当然、こんなことを普通は意識して居ないだろうが、無意識に行っているのだ。答えのない世界、相対的な世界の定義づけをした。次にどういった構造なのかを話したい。

二者択一のもの、二元的なものには、大体多くの人が貴賤で物事を考える。どちらがすごいのか、どちらがダメなのか。そして判断をし終えるとポジションをとる。そのあとはひたすらポジショントークをして、罵りあって一方は満足して、もう一方は自慢げに話を終える。ここで致命的に間違っていることといえば貴賤で物事を考えることと、多様性を求めているはずであるのに貴賤で考えているので二元的になってしまうこと。そして、最初に行ったフェミニズムなどの言い争いは基本こういった構造だ。

次に有能と無能に沿って考えてみる。現在は資本主義という環境で、能力にも使えるものと使えないものがある。使えるものを有能、使えないものを無能としよう。例えば日本で人を効率的に殺せる能力を持っていたとして、殺したいと思っても、それは環境によっては全く使えなくなり、むしろ法治国家なので捕まってしまう。戦争があれば栄光を求めて人殺しをスコアとして誇れるのかもしれないが日本にいる限り現時点では不可能である。二元的なものは環境によって二元性が定まり、その二元性を別の二元性で見てはいけない。これをひとまず頭に入れていただきたい。

そもそも、貴賤もくそも正しいもくそも何もない。というか、二元的に見るから多様性にたどり着かないのである。ではどうすればいいのか。方法論として自分が賢者タイムで考えた提案してみたいと思う。


多様性を求めるうえで大切なことは、環境要因と、二元論を二元的に見ないことを話した。そもそも二元性である有能と無能はYESorNOのようなものに近い。環境要因という問題にyesかnoかで答えるだけ。そしてその答えが個性であり、多様性というものはその個性を認めようということだ。ここで個性とは何ぞやと疑問が出てくるのだが、相対的な世界では個性というものほど正解に近いものを私は知らない。むしろ個性というものが答えなのではないかとさえ思う。個性の定義だが、個性は有能無能でいう、その人が持っている使える能力、使えない能力をひっくるめた全体の能力のことを指す。これまでの概念を現実の問題と照らし合わせてを説明してみる。

フェミニズムで考えてみよう。フェミニズムは本来、女性の女性らしさからの解放を謳う思想だと思う。私が書いた考えに当てはめて考えればこんなことは本質的に当たり前なのだ。男性性、女性性はyes,noでしかない。別に女性性をnoといっているわけではない、あくまで例えだ。そこで環境要因を据えよう。例えば地位向上を目指しているのであれば環境要因を仕事としてみよう。そう、仕事と性別は全く関係のない話である。もはや、性別で区切る意味が分からない。だけど現実は女性らしさを求められるし、もちろん男性らしさも求められるから、そういうのやめにしね?という、思想運動なのだろう。ただ日本の場合のフェミニズムだと女性の年収などにフォーカスを当てているので話がややこしくなる。私見だが、仕事は能力で見るべきであるし、そこに性別を持ち込むのはおかしいと思う。

LGBTで考えてみよう。私自身全く学がなく、勉強不足なので違うのであれば申し訳ない。手前味噌で思想運動について調べて、当てはめて考えてみる。と思い、調べてみたが、『男らしさ』『女らしさ』『ホモフォビア』『異性愛核家族の優位』(Heteronormativity)といった支配的な解釈に異議を申し立てることである。政治的な目標は法改正と新たな権利に政治家の関心を集め、支援と危害からの保護を求めることである。」とあった。ほぼフェミニズムで話したようなことで、それに加えて、そもそも社会的に認めてほしい、という申し立てである。結婚だったら、妻として法律上認められているのといないのとでは大きな差があるように、パートナーとして認めてほしいということだ。

みんなも様々な二元性について考えてほしい。めちゃくちゃ面白い。3年くらい時間潰せる。そして、自分はどう思うのか、個性を生み出してみてほしい。それが多様性に向ける第一歩だと思う。

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