「Geminids」歌詞考察 ――孤独を分け合えるたった一人の「君」
2020年12月20日、にじさんじの叶さんと葛葉さんによるユニット「ChroNoiR」の新曲「Geminids」が投稿されました。
「ヘテロスタシス」から続く二人のIFストーリー(CNR+さんのTwitterより)は、この「Geminids」で完結という扱いとのこと。
私自身はくろのわリスナーなので、追ってきた物語の結末にも並々ならぬ感情がありつつ、この「Geminids」という曲そのものの素晴らしさに打たれてヘビロテが止まりません。
というわけで、いっそのこと歌詞を徹底考察してみようと筆を執りました。
もっと色んな人にこの歌を聞いてほしいというのもあり、紹介も兼ねて超個人的な考察を述べてみます。
もう一度言いますが、このnoteは超個人的な考察です。
歌は色々な聞き方をされてしかるべきものであると思っているため、これが正解!と言うつもりは断じてございません。
また、この曲に物語性が付与されていることは理解していますが、曲単体としての考察をしてみても面白いかなと思ったので、なるべく歌っている二人のことや、MV等で表されるバックストーリーなどは加味せず考えていきたいと思います。
それでは早速1番から見ていきましょう。
夜が来る前にさ
君の手を握って良かった
震えてるでしょ わかるんだ
僕も同じように生きてきた
曲は「僕」が「君」の手を握るところから始まります。
「夜」から連想されるものは一般的には「闇」や「不安」「恐怖」「孤独」でしょうか。
「僕」が握る「君」の手が震えていることからも、「君」がそれらの感情を抱いていることを表していると考えられます。
「君」が抱く不安や孤独を「僕」はわかると言い、同じように生きてきたと言います。
個人的にはこの「生きてきた」というのがかなり重い言葉だなと。
最初に聞いた時、この言葉が続くとは思いませんでした。
続くのは「思う」とか「感じる」とかかな?と思っていました。
「生きてきた」という言葉を使うことで、二人が共通して抱く不安や孤独が一過性のものではなく、人生を通して感じてきたものであるということがわかります。
鈴の音が響く街
笑い合う声に埋もれた
君の合図が聴こえたの
寂しくないよ 側にいるから
MV製作者であるCNR+さんのTwitterによると、この曲は「クリスマスソング」として作られたものでもあるそうです。
そして、ここはかなりクリスマスソングを意識して創られた詩に思えます。
「鈴の音が響く街」「笑い合う声」から連想されるものは、前段に出てきた「夜」とは打って変わって楽しいムードです。街はクリスマス気分、人々は楽しんでいる。
けれどこの段の結びは「寂しくないよ 側にいるから」です。
鈴の音や笑い声の中で、「僕」と「君」が感じているのは「寂しさ」であり、やはり「孤独」であることがわかります。
しかしそれは、お互いにしか聞こえない「合図」を「僕」が察知することで解消されます。
「合図」というのが好きです。直接的な言葉や行動ではなく、暗号めいた響きがあるので、二人だけの共通言語であるような印象があります。
思えば何かを望みもしなくなった
絡まりあうたび溶かしてゆく
君の体温 香り その全てだけを 今は
ここは二番の歌詞と合わせて考えたいと思います。
思えば誰かを呪いもしなくなった
触れ合えばきっと許してゆく
君の感情と表情 その全てだけを 今は
何かを望まなくなったり、誰かを呪わなくなったりするのはどんな時でしょうか。
「愛を知った時」と「何もかもに絶望した時」の両方だと私は考えています。
今回の場合は、後者のニュアンスも微かに含ませつつ、前者であると感じました。
なぜなら「君」が一緒にいるからですね。顕著なのが二番で、「許していく」から「呪いもしなくなった」のです。
誰かを呪いながら生きてきた「僕」は、「君」と触れ合うことで、許すことを知ります。
そして今は、誰かを呪うことなんかより、「君」の感情と表情を追っていたいという願いが感じられます。
「何もかもに絶望した時」のニュアンスを感じると言ったのは、この歌詞における「僕」が「君」以外のものをどうでもいいと感じているような歌詞が散りばめられているからです。
つまり、この歌詞の「僕」は、「君」以外の何かには絶望してしまっている。
一番の歌詞も、「何も望まなくなった」のは「君」がいて満たされているから。
反せば、「君」以外は要らないという意味にも考えられます。
余談ですが、「ヘテロスタシス」でも「足りないものなんてひとつもない」という歌詞があるので、その流れを受け継いでいるのかもしれません。
ではサビに行きましょう。
いつも叶わないって泣いてた
夢と踊る星空
何度生まれ変わっても君を
探してしまうのなら
いつか崩れてしまう世界の端
重なり合うメロディライン
誰かの明日なんていらない
2人だけのユートピア
ここは動画のコメント欄でも指摘されているとおり、「叶わない」「崩れてしまう」にボーカルであるお二人の名前が含まれています。
「何度生まれ変わっても」など、ヘテロスタシスから続く物語のテーマが散りばめられたサビですね。
さて、ここで着目したいのは「叶わない」と思っていた「夢」とはなんなのかです。
あらゆる様々な大小の願いを指しているのか、特定のものを指しているのか。判断材料が少なく断言はできないのですが、今は星空の中でその「夢」と踊っている。
つまりは「夢」というのは、「君」と一緒にいること、そのものなのではないでしょうか。
そして、「世界」の「端」にいるというのがまた印象的です。
二人は世界の中心にいるのではなく、端にいるのです。
追いやられてなのか、自ら進んでなのかはわかりませんが、端にいるということから伺えるのは、二人は隠れているということでしょうか。
そして「誰かの明日なんていらない」……個人的に一番好きな歌詞です。
前述したとおり、この歌には排他的な言葉が散りばめられていますが、このフレーズは最たるものです。
「誰か」というのは「僕」と「君」以外の「誰か」であり、その「明日」をいらないと切り捨てているわけです。
二人だけのユートピアには、「誰か」の存在は不要、むしろ邪魔ですらあると言っているように聞こえます。
非常に排他的で閉鎖的な関係を「僕」は望んでいるわけですね。
でも同時に、それは「いつか崩れてしまう」ものであるとも予感しています。
さて、2番です。
静まり返った夜と
2人を映し出してるショーウィンドウ
願いと欲望で渦巻いてる街と
僕らの共依存
閉じ込められたセカイのなか
泳ぎ回ってフザケてはきっと
笑いあう夢を見ていた
ここは少し閑話休題的に感じます。動画コメント欄にもありましたが、これまで投稿されてきた曲の要素が散りばめられているのかもしれません。
「静まり返った夜」は1番の「鈴の音が響く街」「笑い合う声」との対比でしょうか。夜が深くなり、誰もいなくなった街で二人きり佇んでいる情景が浮かびます。
そして「共依存」。「僕ら」は自覚しているわけです。排他的で閉鎖的な自分たちの関係をちゃんと俯瞰して見ることができている。
そして、何も不安なく「笑い合う夢」を見ていた。
一貫して描かれているのは、「世界」に溶け込めない二人が寄り添う姿です。
二人だけで、二人だけに通じる合図で出会い、二人だけのユートピアを欲している。
それは、多くの人が息づく世界では叶わぬ夢なのにも関わらず。
思えば誰かを呪いもしなくなった
触れ合えばきっと許してゆく
君の感情と表情 その全てだけを 今は
ここは前述したため割愛します。
いつか叶えたいって笑えば
痛みを忘れるから
何度生まれ変わっても僕を
諦めてしまうのかな
ここで叶えたいのは、やはり「君」とずっと一緒にいられる「夢」でしょうか。
「僕」はそれを叶えられないということも知っていて、その痛みを無理矢理楽観的に笑って誤魔化しているわけです。
「僕」を諦めてしまうというのは、この曲の中で一番難解な歌詞だと個人的に思います。
「自分自身」を諦めるということ。「自分らしくある」ということを諦めてしまうこと?それは「君と一緒にいたい」と思う自分?それとももっと深いところでの「自分」?
そしてラスサビに入っていきます。
敵わないな、君の笑顔に
高鳴るこの鼓動は
冬の寒空を照らしてく
2人だけのユーフォリア
ここは、これまでの歌詞に比べるとかなり「恋」に近しい感情を表現した歌詞です。
「僕」は「君」の笑顔を見て胸を高鳴らせている。クリスマスソングに相応しいきらきらとした感情は、これまでの暗さを孕んだ雰囲気を覆すような明るさすら持っています。
世界との折り合いとか、不安や恐怖とか、そういうものがあっても、「君」の笑顔一つで全部払拭されてしまう。
二人でいれば幸せなんだと。それは根拠のない幸せで、理由のない「愛」です。
「ユーフォリア」とは「根拠のない幸福感」です。
他の誰かから根拠を示せと言われても無理な話なのです。理解はされない。二人がわかっていればいい。そんな「二人だけのユーフォリア」。
いつも叶わないって泣いてた
夢と踊る星空
何度生まれ変わっても君を
探してしまう僕ら
いつか崩れてしまう世界の端
重なり合うメロディライン
誰かの明日なんていらない
2人だけのユートピア
「何度生まれ変わっても君を探してしまう僕ら」ここが前段のサビと異なる箇所です。
どちらかが一方的に探すのではなく、お互いに探してしまい、そして相手が探していることをお互い知っているのです。
想いは一方通行ではなく、相互に伸び合うものであることを示し、再び二人だけの世界は閉じて曲は終わります。
さて、この歌詞における「君」は、「僕」にとって恋人というよりももっと深い、それこそ「Gemini」=双子のように近しい存在を指していると思います。
歌詞中における「僕」と「君」は、おそらく本当の双子ではないのでしょうが、外見ではなく精神性が双子のように似ている、という二人なのでしょう。
広い世界で、共にいれば寂しくないと思える人。人は誰しも孤独だと言いますが、その孤独を唯一分け合うことができる、世界でたった一人の「君」と出会った「僕」の歌。
私がこの曲を素敵だと思うのは、この曲中で示される愛が、排他的であってもひどく純粋で、なにものにも脅かされないほど強く輝いているのに、どこか儚く切ないからです。
二人だけのユートピアがどこかにあればいいのにと、強く思わざるを得ません。
最後に、曲名が「Gemini」=ふたご座ではなく「Geminids」=ふたご座流星群である理由も少し考えてみたのですが、ふたご座は空にとどまっているのに対し、流星群は流れていくものと解釈すると、儚さを感じてしまうところです。
けれどそれこそ、何度空を流れてしまっても、「何度生まれ変わっても」、また再び冬の空で星たちは出会うのだと思います。
いつか手を握り、星座になることを夢見て。