テレビの本質を無視した木村花さん追悼
テラハ出演の木村花さん死去について
木村花さんという女子プロレスラーが、出演した『テラスハウス』での振る舞いについてSNSで誹謗中傷を受け、どうやら自殺に至ったらしいというニュース。
これについて、彼女の死が悼まれると同時に、誹謗中傷に対する批判が渦巻いている様子。
この光景だけを見たら、いかにも人道的でいかにも善であるかのように思えます。
しかし、私から言わせれば、事の本質を完全に無視した的外れなものとしとか言いようがありません。
誹謗中傷するヤツはクズだが【責任】はない
確かに、誹謗中傷するような連中はクズですよ。でも、責任はそこにはないのです。
なぜなら、本来テレビ芸能というのはそういう危険を孕んだエンターテイメント業界であり、こんなこと昨日今日に始まったものではないからです。
特にテラハのような、プライベートを露出する(ように見せる)、最近流行りの所謂「リアリティー恋愛ショー」は、そもそも番組の趣旨としてゲスいものであり、クズが寄ってくるようなコンテンツなんです。
同カテゴリの番組として『バチェラー』なるものがありますが、そのCMで指原莉乃が「早くケンカしてほしい!」と感想をもらしていましたが、これこそこの手の番組視聴者の意識の象徴でしょう。
テレビに出るヤツなんてみんな頭がおかしい
「テレビに出る人なんてみんな頭がおかしい」と言ったのは、オタキングこと岡田斗司夫氏。もちろん、その「頭のおかしい人」には岡田氏自身も含まれます。
そりゃ当たり前でして、テレビなんて出たら顔と名前その他もろもろの個人情報全部晒しちゃうことになりますからね。テラハなんて視聴率10%前後獲ってますから、放送された次の日には、「1000万人の日本人が自分という存在を知っている」世界に変わってしまうのですよ。
それを幾度が繰り返すうちに、自分を知る人は増え続け、基本的には死ぬまで顔を刺すようになります。ディズニーランドでスプラッシュマウンテンに並んでいようが、居酒屋で酒を飲んでいようが、スポーツジムで汗をかいていようが、異性とチュッチュしてようが、常に監視される世界になってしまうのです。
そこまでしてなぜテレビに出たい?
ではそこまで犠牲にしてテレビに出ることを選ぶ人は、一体何を得られるというのでしょうか。端的に言えば、「富と名声」ですね。
お金がほしいのはもちろんのこと、「有名になりたい」と思うのは社会的動物である人間の本能とも言えるかもしれません。
1000万人が観るテレビに出演した際の「承認欲求の充足」は他の手段で得られるものではないでしょう。
誹謗中傷やプライバシーの棄損は、言わばその対価です。
だからと言って誹謗中傷して良いことにはならない?
と言いたくなった貴方は、しっかりと続きを読んでください。
誹謗中傷するヤツを叩くのは何の解決法にもならない
これ、自分のブログやツイッターで何度も出してきた例なのですが、
「家に鍵をかけ忘れたら空き巣に入られた。自分と空き巣、どっちがどのくらい悪い?」
みたいな問題がちょいちょい出てきます。
皆さんはどう思うでしょうか。
「空き巣も悪いが鍵をかけなかった自分も3割は悪い」
「世の中に泥棒がいることなんて分かっていること、99%自分が悪い」
と、多くの人はこの論題に乗っかって様々な意見が交わされるのですが、私が先生なら全て不合格です。
その理由は、自分と空き巣を同じ評価軸に載せてしまっている時点で、提起された問題自体が間違っているからです。
泥棒は100%悪いこと。だから空き巣が100%悪いのです。ただし、この「悪い」は「善悪」という基準における「悪」。
一方の自分は、しかるべき対策を怠ったという点で100%「悪い」のであり、この「悪い」は「善悪」ではなく、「賢愚」の「愚」なのです。
空き巣は「性根が悪い」、自分は「頭が悪い」のです。
つまり、それぞれ違う評価軸で評価を下さなければならないのに、「どっちがどのくらい悪い」と同じ評価軸に載せられていることに気づかなければならないわけですよ。
責任はあくまで演者側にある
木村花さんの件も同様。
誹謗中傷してくる連中は『ウォーキングデッド』のゾンビと同じで、人格を認めるべきではありません。つまり、彼らに責任を追及したところで詮無いだけなのです。
そこに着眼するのではなく、あくまで演者・製作者側を問題とすべきでしょう。
具体的に言えば、第一の責任は演者である木村さん。
しかし、年齢を考えるといくらなんでも酷というもの。
だから周りのサポートが必要で、そのサポートとなるのは言うまでもなく所属事務所です。
私の身内にも芸能界に首を突っ込んだのがいるので、ある程度は聞いているのですが、ちゃんとした事務所であればこの手の番組に出る際には事前からケアされるそうで、またそうするべきでしょう。
「君はそういう番組に出ることになるが、何があっても心を乱すな。覚悟がないなら断れ」とマネージャーが言ってやるべきです。
木村さんが所属していたWALKという事務所は、所属タレントが20数名の、弱小ではあるけど個人ではない、それなりの芸能事務所のようです。知ってる顔が2人いました。
具体的にこの事務所社員さんがどのようなケアをしていたのかは知る由もありませんが、結果的には不足だったと言わざるを得ないでしょう。
改めて、テレビとはゲスなものである
例えば木村拓哉は昔、国産大衆車のCMに出ていましたが、キムタクがそんな車に乗るはずがないのです。それを皆分かった上でも、その車には良いイメージがリンクされます。中には、本当にキムタクが200万円以下の国産車に乗っていると思い込んでる人も一定数いるでしょう。
何十年来その車に乗り、その良さを知っていたとしても、そこらへんのオッサンがCMに出演することはありません。そこらへんのオッサンには影響力がないからです。
有名タレントの影響力に期待して、当人が使ってもいない商品のCMに起用する。テレビを作る側は、テレビがイメージを作る装置であり、大衆の意識を変えることができる媒体であることをよく知っています。
タレントが「善」を追求するなら、「自分が使ってもいない商品の広告には出ない」となるでしょうが、1億の金を積まれりゃそりゃ出るでしょう。
一歩娑婆に出れば一挙手一投足が監視され、不倫をした、クスリをやった、政治的発言をした、箸の持ち方が悪い、セクハラ発言をした、何から何まで批判されるというのは、その反作用として当たり前なのです。
先日ブログにも書いたきゃりーぱみゅぱみゅの件もそうで、自分が発信する際は一般人の5万倍のフォロワー数の発信力を活かそうとするくせに、批判を浴びると「私だって1人の人間で、傷つく」と言うのは虫が良すぎるのです。他にいろいろ選択肢がある中で、自分が望んで芸能人になり、自分の意思で政治的発言をしているくせに、攻撃された途端被害者ぶる。覚悟がないなら芸能界を去れば良いだけなのですよ。
まとめ
こういう注釈が必要かどうかは分かりませんが、この記事の趣旨は「次の犠牲者を出さないこと」です。
「誹謗中傷するヤツなんて許せない!」という意見は一見「正義」であり、大衆の共感を得やすいものです。でもそんなものは自分の一時の「正義感」を満たして自己満足に浸るだけで、何の解決法にもなりません。
というか、今回の木村さんを含めて、出演タレントの振る舞いが気に食わなければSNSで叩くっていう連中だって、自分が正義だと思っているんです。ベクトルとして、やってることは同じなのです。
本当に解決したいなら、テレビを作る側、出演させる側が、テレビ芸能の本質を再認識し、それなりの「構え」と「受け身の取り方」を演者に教えておくことでしょう。
https://chinokobito.net/politics_economy/pamyupamyu-burning
https://chinokobito.net/academy/schadenfreude
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