「飽きる」事が本当に怖い
久々に140文字では収まらなさそうな事が思い付いたので、ここに書く。
ここ数年でオタクの高齢化が進み、オタクコンテンツ黎明期にどっぷりオタクライフを送っていた層からの「アニメ飽きた」等の声が聞こえるようになってきた。
孤独ライフを10年以上送ってきたが、
アニメ、ネット、ネトゲ、この三種の神器でそこそこ精神保って暮らしてきた
だが28くらいからつまらなく感じ始め、30歳にして完全に飽きた
やることがない 本当に絶望しか感じない
一生、アニメ、ネット、ゲームは飽きないと思っていたのに、飽きてしまった
昔は走って会社から帰ってきて夢中でネットして撮りためたアニメ消費できねーしネトゲやるために会社やめようかとか考えたり
してたくらいなのに 今はまったくもって何も興味ない
飽きてやめたのではないが、見たりやったりするより惰性で買うのが趣味になりかけてると気付いた時、何かバカらしくなって大幅にジャンル減らしたりしたことはある。
あとアニメとかゲームとかって、登場人物がティーンエイジャーだったり舞台が学園だったり、なんだかんだ言って「若い者」の話なので、自分が老いるにしたがって、作品に共感できなくなったり、いまいちピンと来なかったりする部分が増えてくる。
まあ何も考えないでゲームやらアニメやら消費しまくって
気がついたら三十路で自分が本当にただただ消費していただけなんだなぁとか思うとね。
虚無にひたすら情報を流し込んでも所詮はすべて虚無になる。無駄。すべてが無駄。
消費行動しかしてこなかった奴がぶつかる問題。
こういう問題に飲み込まれない為に皆ガキを作ったり生産的な行動をするんだな、と。
何らかの形で生産していかないといずれは虚無に飲み込まれる。
おれはこうなるのが本当に怖い。おれはまだまだ20代前半で、「ツイッター死ぬまで辞めない!!www」等とほざいているが、実際どうなるかなんてその時になってみないと分からない。常にスマホが無いと不安になり、ツイッターのバグでタイムラインが見れない時や、dアニメストアのメンテナンスの時間は、ただただ天井を眺めているようなインターネット中毒の人間が、所謂良い大人の歳になった時に全て飽きてしまう事が本当に怖い。
おれはこの現象の怖さを知っている。おれが中学生だった頃、パズドラにどハマりしていて、当時出ていたモンスターの体力、攻撃力、回復力を完璧に暗記していた。当時は本気で一生パズドラというゲームをすると思っていたが、高校生に入ってからは、パズルが苦痛でしかなかった。「どうしておれはこんな何も価値が無い物をずっとやっていたんだ?」この疑念を抱いた瞬間に、今まで自分の費やしてきた時間が全て虚無であったかのように感じる。
「飽きる」という現象は、とてつもなく強い負のパワーを持っており、一度でも発生したら誰も抗えない。
パズドラだけではない、元々飽き性のおれは、何かを始めては辞め、始めては辞めを繰り返してきた。そしてそれが全て虚無にしか感じられなくなった頃、何かを始める時に「どうせこれもまた飽きるんだろうな…」という予測が立ち、真剣に取り組む事が出来なくなってしまった。
もう「飽きる」という事に飽きた。これ以上何も飽きたくないし、何かを始める時に飽きた時の事なんて考えたくない。
まァ…何が言いてェかッつ~とよォ~…