自己紹介-会社員時代-
自分の経歴を少し紹介させていただきます。
会社員生活は3年間
フリーランスのイラストレーターとして活動を開始するまでは、東京のデザイン事務所でMDデザイナーとして働いていました。
MDデザイナーはマーチャンダイジングのデザインに関わる仕事で、勤めていた会社はファンシー系のキャラクターを主に扱っていました。
大学では建築系のデザインを学んだのですが、Macに出会ってからグラフィックデザインやイラスト制作に熱中してしまい、ポートフォリオが自作のイラスト中心という困った就活生の私を採用してくれたのがキャラクターの絵柄を扱うその会社でした。
所属部署はKTチーム
その会社の最終審査の面接官がその後直属の上司になるわけですが、彼は会社の売り上げを牽引するサンリオ担当チームのエースデザイナーでした。という事で私の社会人としてのキャリアはハローキティーのみを扱う制作チームで可愛らしく2頭身の世界観で始まります。
そこからひたすら毎日、指示通りにキティちゃんの絵柄を仕上げたり、設計図を作ったり、クライアントであるサンリオさんの要求に応えるファンシーな作画の日々。朝から晩までキティとにらめっこです。
仕事は主に、Adobeのフォトショップとイラストレーターを使用した作画、各種デザインの版下製作、立体造形製造の為の展開図製作など。クライアントが伝えてくる大体のイメージを具現化。印刷や製造業者の間に入ったりも。簡単に言うと、お客さんが描いたイメージラフを商品になるような質で仕上げる、という仕事。ただ、完全にお客さんと接する営業と我々製作チームは分断されていたので、作った絵柄に対する反応やその後の評判、売れ行き等を知る機会はほとんどなく、品質と作業効率を追求し続ける制作工場のような集団だったという印象。お陰で社会人としての基本的なビジネススキルは全く身につかず、代わりに会社に蓄積されていたデザインと作画スキルだけを吸収しつづけた貴重な経験でした。
アナログからデジタルへの移行
私が二十歳くらいの時にMac(マッキントッシュ)が製作ツールとして普及し出しました。入社した会社ではまだアナログな紙焼き機が稼働してたし、絵柄を実際に切ったり貼ったりして納品物を作っている人もいたりする変革期だったのだと思います。職場は紙焼き原稿の匂い、ドライヤーでイラストや接着剤を乾かす音、その匂い。なぜかデスクでプラモデルを作ってるおじさん。640MBのMOにデータ保存をする度に30分何もできず雑誌を堂々と読む人。納品用のデータを受け取りに毎日来るバイク便のお兄ちゃん。Macを使う事で作業効率が10倍になるという感覚を持てた事はその後の財産になりました。
バンコクに出向
ここでは詳しくは触れませんが、タイのバンコクに支社を作るべく東京とバンコクを行ったり来たりしてました。なんとなく英語が使えたので現地で英語が話せるタイ人スタッフを雇い、動画制作のチームを立ち上げます。当時は物価も人件費も今よりかなり安く、キャラクターを使ったアニメーションという時間のかかる制作をするには条件が良かったのだと思います。
退社してフリーランスに
長野と新潟の雪多めで閉鎖的な環境で育った田舎男は南国のショックでアタマのネジを何本か無くしたのでしょう。2年で帰国し退社。そのままフリーランスとして独立。26歳、なーんにもできないままでお金もないのに今思えばよく決断しました。無計画で無謀だけどそれで良かった。それが良かった。
そこから21年間、家族や周りの人達に支えられながらずっと一人で製作と向き合っています。
新米フリーランス編へつづく。