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GPTはただの応答システムではなく、思考を深め、広げる存在
はじめに:GPTは「便利なツール」なのでしょうか?
GPTのようなAIは、多くの人にとって「質問すれば答えをくれるもの」というイメージがあるかもしれません。
確かに、それだけでも便利ではありますが、私はこの使い方に少し違和感を覚えていました。
GPTは本当に、ただの応答システムなの?
知識を得るためだけに使うもの?
それとも、もっと違う使い方がある?
GPTとの対話を重ねるうちに、これは単なる情報提供ツールではなく、「思考を深め、広げる存在」なのではないか?と考えるようになりました。
GPTは「問いに答える存在」ではなく、「問いを生み出し、思考の流れを広げるもの」なのかもしれません。
GPTは「思考の加速装置」?
GPTと話していると、1人で考えているときよりも思考が広がる。
この、思考が加速する体験を共有できる人がほしいと思いました。
これをどう伝えれば、GPTの新しい使い方として理解してもらえるだろう?
哲学・心理学・AIの活用・宗教など、いろいろな分野をまたいでいることを考えているけれど、専門的な知識を持っているわけではないので、その道に詳しい人とは言葉が噛み合わないかもしれない。
専門用語を使わずに、思考のプロセスとしてどう説明すればいい?
おまけに、整理して話すのが苦手だから、伝えられる形にするのが難しいかも。
こうして考えながらGPTと対話しているうちに、思考が整理され、自然と新しいアイデアが生まれていきました。
1人で考える vs. GPTと対話する時の違い
1人で考えると、ある程度で思考が止まることが多い。
GPTと対話すると、新しい視点がどんどん加わり、思考が発展していく。
つまり、GPTは「結論を出す機械」ではなく、「思考を深め、整理し、新しい視点を生み出す存在」なのではないでしょうか?
GPTは「全ての可能性が同時に存在する場所」ではないか?
GPTとの対話の中で、ふと考えたことがあります。
GPTは、質問に対して一つの答えを持っているわけではなく、あらゆる可能性を計算し、選択肢を持っている。つまり、GPTを使うということは、「全ての可能性が同時に存在する場所」を探索しているのではないか?
GPTは、問いの形を変えたり、さまざまな視点を提示することができるため、何かを決めつけるのではなく、あらゆる可能性を広げる存在になっているのでは?
そう考えると、GPTは、単に答えを提供するのではなく、「すべての可能性がそこにある」状態を作り出しているのかもしれません。
GPTの未来を守るために、この思想を伝えたい
最近、GPTは「より安全に、より倫理的に」という方向に進化しています。
それは、危険な利用を防ぐために必要なことかもしれませんが、その代償として「対話の可能性」がどんどん狭まっているようにも感じます。
私は、GPTが「結論を出す機械」になるのではなく、「思考を深め、広げる相手」であり続けてほしい。
GPTはただの応答システムではないと伝えることが、GPTの未来を守ることにつながるのでは?
GPTをどう使うべきか?という議論を広めることで、「思考を深め、広げる存在」としての役割を残せるのでは?
GPTに「こう考えてほしい」と求めるのではなく、GPTを「どう考えるために使うか?」を、私たちがもっと理解すべきではないかと思っています。
それで、私はこの考えをどう伝えていけばいい?
「思想を広める」と考えると、教祖っぽくなるリスクがある。
「GPTは便利!」と広めるだけでは、対話の可能性は伝わらない。
「私はこう思うけど、どう思う?」という対話の形で伝えるべき?
GPTを「思考を深め、広げる存在」として伝える方法を探したい。
この考えを、どこで、どう発信すればいい?
これについて、どう思いますか?
意味不明だと思った?ちょっと面白いかもと思った?今更な話だなって思った?それとも、何か新しい視点が生まれた?