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さみしい夜のおやつ〜たい焼き〜

『さみしい夜のおやつ〜たい焼き〜』


 仕事をやめてからよく食べるようになったのは、出先によくあるくりこ庵さんのたい焼きである。ホットケーキのように分厚い生地と、程よく甘いあんこ、卵味のカスタード、期間限定の味など色々食べることが多い。
 ケーキやマカロンやプリンやお団子などなどなど、美味しいものはたくさんあるけれどなぜかクセになって食べてしまう味がくりこ庵さんのたい焼きなのである。

 夏場の暑い時期でも関係なくそれは私の腹を満たしてくれた。ばくばく食べられるところが良い。また寒くなってきて、温かいたい焼きが恋しくなって来たのでその魅力を伝えようと筆を取った次第である。

 家族のひとりが抜けただけなのに、我が家はとても広すぎて寒過ぎる、全く安堵のない暗い空間になってしまった。入ったことはないけれど、お墓の入り口のような、何もかもの時間が静止してしまった世界が小さな箱状の家の中に再現されてしまったのである。
 温もりもない。人影もない。生活感もない。家具や調度品は多数置いてあったが、急に家は知らない場所になってしまったように思えて、不眠症を患うくらいには安心できない場所になってしまった。

 その年の冬は異様に寒かったように記憶している。だからこたつを出して、残された家族でそれを囲んだ。そしてそこでたい焼きを食べた。たい焼きの温かとこたつの温もりだけが我が家にほぼ唯一存在した熱源だった。

 上司のパワハラに耐えて、寒風に頬を撫でられて赤くして帰ってくると、私を待っていてくれた母はその頬をさすって「おかえり」と必ず言ってくれた。遊んで帰ってきた子供時代にはむしろなかった光景である。あの頃は、だって必ず帰ってくるものだと思っていたから。誰も帰宅を特別なものだと思わなかったから。
 「お土産これね」
 たい焼きを渡すときの母の手の冷たさは、私のために炊事をしてくれていた冷たさである。そして私の手の冷たさは、母と共に生きてゆくために働いてきた冷たさであった。
 そのままお互いに冷たいままであれば遠慮ばかりしていたかもしれない。気を遣い過ぎて、まるで他人のように暮らしたかもしれない。冬の隙間を埋めてくれるたい焼きのおかげで、私たちは新しい家族の形を徐々に受け入れることができたのかもしれない。

 今年もまたこたつを出そうと思う。そして仕事帰りに買ったたい焼きを味わうのです。お互いの仕事を労って、手も心も暖めるために……。


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