伊達政宗と五常訓
伊達政宗「公」敢えてそう言いますが、
私の先祖はこの殿様に仕えており、
私自身、因縁浅からぬ関係ですので、
尊敬の念でそう呼びます。
普段は「伊達の殿様」と呼んでいます。
三日月形の前立てと眼帯で、最もポピュラーな戦国武将の一人だと思います。
この「伊達の殿様」が儒教について言及しています。曰く、
仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂いとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。
どうでしょう?綺麗事ではない処世術と儒教に対する皮肉がたっぷり込められています。
もともと伊達の殿様は、師匠である虎哉宗乙禅師に「へそ曲がり」であることを叩き込まれました。
体調不良の際も決して昼は横にならず、柱に自分の身を縄で縛り付けてでも座っていたという逸話もありますから、いかにも言いそうなことではあります。
ただし、正史の上では確認できませんので、本当に伊達政宗公の言であるかは残念ながら定かではありません。
問題は、中身です。
儒教の足りない部分をつく内容になって
います。
「過ぎれば」の部分です。
ただやみくもに道徳的に生きればよい、
というほど、世の中簡単ではない。
そうすると逆に生きづらくなる。
中庸の精神、なにごとも
「ほどほど」が肝心だということです。
蛇足ですが、天然痘で目が不自由だったのは本当ですが、眼帯は実際はしていなかった
そうです。
(ロマンを壊すようですいません)
話は変わりますが、同様のことを作品内で
記した著名人がいます。夏目漱石です。
「草枕」の中で、
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
と書いています。
漱石が何から引用して自分の言葉で語ったのかわかりませんが、(複数の人物がこの
「五常訓」を言ったことになっています)
作品になっているからには、そういった考えを持っていたことは疑いがないと思います。
このように「五常」という考えは耳に心地
良く響きながら、取り扱いに注意が必要な
ものである、というのが、私の結論です。
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