私達は現象世界に生きています。所謂「この世」です。従って、生卵を床に落とせば割れます。現実の波動です。
全ての事象に霊的な意味はありますが、卵が割れるのは、なにも悪霊の仕業ではありません。
霊主体従を気にしすぎると、全てのことが自分以外の目に見えない存在のせいのように思えてきますが、それは違います。
なぜなら、現在あなたが体験している苦楽は、予め自分で決めてからこの世に来ているからです。
全ては気付きです。
苦の本質に気付いた時、苦は雲散霧消します。しかし、現状が変わらない、変えようとしないならば、苦はそのまま残るでしょう。あくまで気の持ち方が変わるに過ぎません。
即ち、現実的な行動をもって、人間の努力、忍耐力で現状を切り開いていくのです。そうでなければ、神仏の加護はありません。
世間に働きかける時、たまには仁義礼智を越えた「ズルい」手段を使わなければならない局面があります。しかし、あなたはその時に罪悪感を感じる必要はないのです。
他に手がなければ、そうするしかないのです。真面目な人ほど後味の悪い思いをするに違いありません。
私の知り合いに、友人の過ちを庇って、学校を辞めざるを得なくなった人がいます。状況の詳細は分かりませんが、私が彼の立場でも同じように振る舞ったかもしれません。
しかし、これは間違い。全ての人間は自分の行動の結果を受け取るようにできているからです。
視点を変えて庇われた人の気持ちを考えましょう。その時点で感謝はするかもしれません。しかし、その人はどうやってそれに報いたらいいのか悩みます。一生かかるかもしれません。逆に心掛けの悪い人ならば助かった、運がよかったと、庇ってくれた人に対して感謝することすらないかもしれません。
人間、それぞれの波動で生きています。色々な人がいます。だからこの世は面白いのです。ただし、低い波動の人が急に高い波動になったりはしません。
鬼に法を説く。
聞く気が端からない人には、伝わる言葉を使うか、まずは強引にでもこちらを向いてもらう必要があります。
私は因果でヒーラーなどやっていますが、決して聖人君子ではありません。口もどちらかというと悪い方です。
それは肉体人間として生きているからです。
六根清浄です。口に諸々の禍事を言いて心に諸々の禍事を言わず、です。
このようにこの世を渡るからには、世渡り、処世術を身に付けなければいけません。世間智です。清濁併せ呑むということ。
私が師匠から教わった重要なことのひとつです。