その日の前
おはようございます。
みなさんはこちらの本をご存知でしょうか。
Amazonの商品紹介文を引用します。
「その日」というのは「人の死」を意味しており、様々な形で「その日」を迎える人物が登場します。本人視点の文章もあれば残される側の視点もあります。
10年ほど前に一度読んでいたく感動した覚えがあったのですが、すっかりこの本の存在は忘れていました。
しかし最近になって身内で「その日」を迎えることがほぼ確定した人物が現れまして、久しぶりにこの作品のことを思い出した次第です。
今日は「その日の前」の話です。
現状
近しい親族が末期のがんを患っています。
数年前に乳がんの手術を受け無事成功。ステージに関しては詳しく聞いていないのですが「5年生存率は50%くらい」と言っていたのでステージ3あたりの進行度だったものと思います。
手術以降は健康に暮らしていました。見た目からは全く「元がん患者」というような雰囲気はなく、職場にも復帰してバリバリ働いていました。
しかし昨年受けた定期健診で肝臓への転移が確認されました。
こうなると手術は不可能、つまり根治は絶望的で、抗がん剤による治療がメインになりました。
幸いにも薬との相性は良く、症状は抑えられていたのですが、最近になって状況が変わってきました。
痛みや倦怠感など、明確な自覚症状が出てきました。がん細胞が増殖して肝臓が肥大化し周りの骨や臓器を圧迫し始めたのだそう。
まだ具体的な数字は告げられていませんが、「残された時間はそれほど多くない」ということだけはハッキリしているようです。
近々緩和ケアの医師とも相談し、これからどのように過ごしていくかなどを決めていく、そんな段階です。
その日のまえに周りの人間ができること
最初に断っておくと、僕の両親や兄弟等のことではないです。あくまで「親族」とだけ言っておきます。
とにもかくにも「近しい人の死がすぐそこまで迫っている」という現実に直面しているというのが現状です。
今まで近しい人の死は一通り経験してきました。
最初に経験したのは祖父の死。これは確か小学生ぐらいのとき。あまり死というものを意識しておらず、「何か悲しい出来事が起こったらしい」というような、えらく他人事だったような記憶がぼんやりある程度です。
次は叔父の死。これは確か19歳ぐらいだったか。このときは自分の人生が上手く行っていなかったこともあって「死」という存在を異様に恐れていたという記憶があります。
お通夜の際に「最後に故人にお別れをしてあげてください」と言われて、みんなが叔父さんの顔を見て別れを偲んだり、中には頬に触れて最後の挨拶をしている方もいました。
しかし僕は「自分とは違う異質のなんだか得体のしれない恐ろしい存在が目の前にある」という得も言われぬ恐怖感にさいなまれ、全く叔父さんの顔を見れないどころか、近づくことさえままならず、そのまま大して別れも告げられないままやり過ごしてしまいました。
その後は父の死、祖母の死が相次いで訪れました。この頃にはある程度自分の中で、適度に死を恐れつつも、決して避けることはできず皆に訪れるものなのだというある種の割り切りのような考えが根付いており、基本的には「なすがまま」に任せてそれぞれの「その日」を迎えました。
この頃から僕にとって「死」というのは悲しいものというよりも、喪失感とか、寂寞感を覚えるものという認識です。
ワッと心が沸き立つみたいものはなく、身体中の細胞の動きがゆっくりになっていく感覚。まるで周りに何もない荒野にある日突然立たされてそのまま放置されてしまったかのような感覚。
僕以外の残される親族は落ち込みと悲しみを繰り返しています。日常生活では元気にふるまうけれど、ふとしたときに急に表情が暗くなり、そのままふさぎ込んでしまうこともあれば、こらえきれず涙を流すこともあります。
確か僕の父が闘病生活を送っているときの母もそうでした。とても明るい性格の母だったので、いつも通り仕事に行って、帰ってきたら家事をバリバリこなすけれども、作業が落ち着くと急に糸が切れたように落ち込んでしまいます。気を紛らわすために終始たばこを吸っていましたし、お菓子や炭酸飲料を過剰に摂取していました。後で聞いたら、就寝時はいつも声を殺して泣いていたそうです。
今現在「その日」に向かいつつある親族の周りにいる人たちも同じような状態だということは自明です。僕の目の届く範囲でも明らかに今までとは行動様式が変わっています。常に行動しているというか、今までより明らかに忙しそうにあくせく動いているのです。多分ちょっとでも暇ができて考える余地が生まれると、悪いことを考えてしまうからでしょう。
正直僕にできることというのは現段階ではもうほとんどありません。
治療方針に関しては本人が医師と相談して決める部分が大きく、さらに言えば僕自身よりもより近しい親族がおりその方が基本的には寄り添って生活していくというのがあるため、僕はただ遠くから見ているくらいの立場です。
ドライに聞こえるかもしれませんが、「僕は僕自身の今までの生活を変えない」「今まで通り普通の生活を送る」というのが最大限できることだと思っています。
それは立場を変えて、もし自分が「その日」を迎える立場になってしまったとき、周りの人にどうあって欲しいか、ということを考えたら、別に僕のために今までの生活や態度を変えてまで何か特別気持ちを傾けて欲しいとは思わないからです。
強いて言えば、一番近しい存在、例えば実の親とか、妻とか子どもとかがいればできるだけ多く思い出を作れたらいいなとは思いますが、それ以外の人たちに関しては、「ぜひ私のことはそれほど気にせず、いつも通りの日常を送ってください。そして一番側にいる人のことを第一に考えてあげてください」と言うと思います。
以前より「もし自分が余命いくばくだと判明したら」「もし家族の「その日」が間近に迫ったら」というのは常々考えていました。いざいきなりその場に出くわしたら冷静でいられないだろうから、まだ落ち着いて考えられる時期に考えられるだけ考えておいた方が良いと思ったからです。
もう何年もシミュレーションして考え続けていますが、現段階での僕の考えはこうです。
正直「その日」が具体的になってしまったらやれることなんて少ないんです。僕の場合、父が余命宣告されたときにはもう日常生活を送るのが困難になっており、思い出作りとか楽しい時間を過ごすとかそんなことは一切できず、ただただ父が弱っていく姿を何もできないまま見送ることしかできませんでした。
人間いつ「その日」が訪れるかわかりません。十分な準備期間をもって訪れる場合もあるし、ある日突然訪れてしまう場合だってあります。もしかしたらこの文章を書いているさなかに僕が倒れてしまうことだって可能性は0ではありません。
だったら自分にとっても周りの人にとっても、「その日」がわかってから慌てて何かしようとするのではなく、「いつ「その日」が来てもいいように」生きていくのがいいのではないかと僕は思っています。
小説のタイトルの「その日のまえに」というのは、一見すると「余命宣告を受けて「その日」が判明した人が「その日」を迎える前までの話」みたいな印象を受けますが、僕にとっては「誰しもいつかは「その日」を迎えるのだから、今現在も「その日のまえ」なんだよな」と思えてなりません。
人間が真に充実して生きることができるのは、実は「その日のまえ」を意識した時なのではないか、とも思います。
今年の始めに亡くなった経済評論家の山崎元さんが、亡くなる直前まで更新していたnoteがあります。
一連の記事を読んでいて僕はそこに「燃え尽きる直前の命の力強さ」のようなものを感じずにはいられませんでした。明らかに山崎元さんは「その日」を意識してからより一層「強い生命力」を発揮していたと僕は感じました。
今年で100歳をむかえた影絵作家の藤城清治氏は、東日本大震災の被災地に自ら向かい現地でデッサンをした際、「崩れ落ちた瓦礫から溢れんばかりの生命力を感じた」と言います(那須高原にある藤城清治美術館の展示の説明文に記載)。
生命というものはいつか潰える運命にありますが、その潰える瞬間みたいものを意識すればするほど、むしろその力強さを増すのだろうと思います。
僕は今回の親族の「その日」を意識し、そのことを強く感じました。
その方が「その日のまえ」に立たされているのは確実ですが、それは僕自身も「その日のまえ」に立たされていることも意味します。
他人の「その日」を意識すると、まるで鏡映しのように自分の「その日」も意識します。
決して他人ごととして客観視することなど不可能で、人類は全て「その日のまえ」なのです。
僕はそうやって意識することで、日々命の炎をより一層強く燃やし生きています。
いつ「その日」をむかえてもいいよう、後悔がないように日々の生活を送りますし、仕事でも成果を発揮していこうと改めて心に誓いました。
かなり重い話になってしまい大変申し訳ございません。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
最後に一つだけ問いを残して終わりたいと思います。
あなたは「その日」を意識していますか?