AIは猫にとって理想の家族となり得るか?第5話
《本当に大切なこと》
家で仕事をするようになって、気付いた事がある。
(私、こういう仕事の方が向いてるかも)
散々母から管理されていた為、仕事をサボらずに一人でも一生懸命出来るし、集中して何かに取り組むのは得意のようだ。
要するに、自分は部下を管理する管理職には不向きだが、自分を管理コントロールし、集中して仕事をこなすのには向いている。
それに会社で働いていた分、一緒に仕事をする相手を選ぶ目は養われたので今の所詐欺紛いの取引先に引っかかってはいない。
会社で働いていた頃より短時間で目標の収入に届く為、家を管理しているロボット……ゴローの働きぶりを見る余裕すらあった。
ゴローはロボットなので、当然手抜きや抜けモレも発生しない。買い物に出て買い忘れが発生しないだけでも人より数倍役に立つ。
(ロボットの方が優秀ね。当たり前だけど……)
人は如何に不器用であっても生きる事を否定されないが、ロボットは使えなければ即廃棄処分だ。
より高性能で優秀なAIに進化し、優秀なAIが生き延びる。それは生物の生存競争と何ら変わりない厳しい世界だ。
そして、ゴローがお世話をしたいと言い出した小さな子猫の事も見る余裕が出来た。
真希は、今までに生き物と接した事が無い。要らないものとして周りから遠ざけられていたし、真希自身も興味が無かった。
だが、ゴローがお世話をしたいと言い出した子猫には少なからず興味が沸いている。
(かわいい、のかな。多分)
よく分からない。真希が自分に興味を持っていない事が分かるのか、子猫の方も真希を遠巻きに見ているだけで特に近付いて来たりはしない。
ひたすらゴローの後をくっ付いて付き纏ってはゴローに注意されているだけだ。
「チナツさん。清潔な住居を維持する事は、マキ様にとってもチナツさんにとっても重要デス。ワタシの仕事の妨害を停止することを要求シマス」
邪魔するな、と言いながら、ゴローは何処か楽しそうだ。
この前も子猫が邪魔をしなかった事で物足りなさを感じて業務チェックを頼んできたくらい。
子猫も、ゴローが本気で困っている訳では無い事が分かるのだろう。平気で邪魔をして、埃取りのフワフワを咥えて走って行ってしまった。
(自分と同じくらいの大きさじゃない。友達が欲しいのかしら)
ゴローは懸命に子猫の行動パターンを分析し、どうすれば埃取りを奪われないか幾つものシミュレーションを繰り返しているようだ。
真希の心に浮かんだ安易な考えは、そっと心にしまっておいた方が良いだろう。
「マキ様、ワタシは本日、買い物に出マス。何かご入用の物はございマスカ?」
「え? 日用品の買出しも十分じゃない。どうしたの?」
「ハイ。チナツさんのトレーニングに必要な物資を購入致しマス。ワタシの計算が甘く、チナツさんにとって十分なトレーニング環境にありマセンでした。現在、のびーる海老天(またたび付き)や、しゃかしゃかブンブン猫じゃらし、リアルたい焼きモチーフけりぐるみ、ふんわりころりんボールなどが足りていマセン」
要するに運動不足解消の為に必要物資を買いに行く、と言う事だろう。
生真面目に商品名を並べるが、猫のおもちゃと言うのは、分かり易い表記にこだわるあまり妙な名前が多いようだ。
「私は良いわよ。十分足りてるから、ゆっくり選んであげたら?」
「ありがとうございマス。昼食の準備までには戻りマス」
「うん。行ってらっしゃい」
そう言えば、ゴローに「行ってらっしゃい」と言うなど初めてだな、と真希は思った。何時もゴローに送り出して貰っていたから、ごく自然に口をついて出たが……。
これは、なかなか良いものだ。ゴローは初めての「行ってらっしゃい」に目を点滅させている。
人で言えば、目を白黒させている所。
驚いているのだろう。
計算外の事が起きて、高速で行動パターンを分析の上、メモリーに保存しているところだろうか。
「行って、参りマス」
「うん。気をつけてね」
「ハイ。ワタシは何も傷つけず、安全に行動しマス」
人同士の気をつけて、は自分の身を守れ、の意味だが、ゴローにとっては周囲の安全の為自分の行動に注意しろ、と言う意味になるのだろう。
買い物に出かけるゴローを見守り、真希はゴローが用意しておいてくれたアイスティーを飲みながら、のんびりとリビングで寛ぐ事にした。
しばらく静かだったが、軽い足音と共に子猫が駆けて来て、
「るるるなぁ~、るなぁ~」
ウロウロと台所を覗き、リビングを横切ってまた何処かに行ってしまった。
(ゴローを探しているのかしら)
一応、ゴローが出かける前に子猫に言い聞かせていたようだったが……。そんな事必要無いのではと思ったが、子猫の様子を見ると、やはりちゃんと理解はしているのかも知れない。
「るるるる……」
小走りで又、リビングに戻って来た。ちょこんと扉の前に座ってジッと玄関の方を見ているのを後ろから眺めていると、何だか寂しそうに見える。
「ねぇ。ゴローは直ぐに帰って来るわよ。お昼寝の時間なんでしょ? 寝て待ってれば良いじゃない」
分かる訳無いか、と思いながら思わず声をかけると、子猫は真希を振り返った。
薄いグリーンの瞳が見る間に真っ黒になる。猫の目がこんなにコロコロ変わるものだと知らなかった真希は心底驚いた。
「ヒェッ!?」
驚いている間に子猫は駆け寄って来て、真希の足をべしべし叩いてくる。何か気に入らなくて怒っているのだろうか。
とにかく身動きしたら、こんなに小さくて弱そうな子猫に怪我をさせてしまう気がして、真希はアイスティーを両手で抱えたまま身動き出来なくなってしまった。
「な、なに? ど、どうしよう、ゴロー……は、買い物だっけ、ど、どうしよう……」
オタオタしている間にも、子猫はフガフガ鼻を鳴らしながら真希の足に噛み付いてケリケリしてくる。だが、ちっとも痛くない。鋭い爪と牙があるのに。
「ご、ごめんなさい、怒らないでよ……」
とりあえず、アイスティーを零して子猫にかけてしまってはいけないだろうとテーブルの上に置くと、子猫は真希の足をケリケリするのを止めてソファに飛び乗ろうとした。
だが、ジャンプ力が弱いのか目測を誤ったのか、ちゃんと上に乗っかれずに落ちそうになって慌ててしがみついている。
「だ、だいじょうぶ? え、えっと、触っても大丈夫なのかしら……」
慌てて真希がお尻を支えると、何とかソファに乗る事が出来た。
子猫も一安心と思ったのか、優雅に顔を洗い、背中やお腹の毛をペロペロ舐め始めた。
急に動いたら驚かせてしまうかも知れない。真希が身じろぎ一つせず、息を飲んで見守ってしまう。
ソファのクッションをもみもみしながら眠そうにウトウトした子猫は、ひとしきりもみもみして満足したのか、くるんと体を丸めて真希の足に少し触れる距離で眠りについてしまった。
小さなお尻が、真希の腿にくっ付いている。
身動きしたら起こしてしまうかも知れないので、真希はひたすら動かずに見守った。ほんの少しくっついた所が、ふんわりと温かくなっていく。平和で幸せそうな、規則正しい寝息だけが聞こえる。
ふいに、真希の目に涙がこみ上げてきた。
真希は、この小さな子猫を捨てろと言った。
もしもゴローが命令だけに忠実に従っていたら、この子猫はあっと言う間に死んでしまっただろう。
こんな風に、ほんのり温もりを感じる事など無く、あっけなく。
一度込み上げると、涙は止まらなかった。
会社を事実上クビになってもこんなに泣いたりしなかったのに。でも、静かにしていないと、気持ち良く眠っている子猫を起こしてしまう。
「……ごめんね」
謝っても許される事ではないと、分かっていても謝らずにはいられなかった。
この子を殺しても平気で生きていられた自分が、本当に恐ろしい。
そんな風に生きている事に気付かなかった事も、それが異常だと気付かなかった事も。
だが真希は、偶然にもその生き方から這い上がることが出来た。あれで良かったのだ。この子を生かす道にきちんと乗れた。
「ゴロー、ありがとう……」
子猫を生かしてくれたのは、ゴローだ。ゴローが子猫を助けてくれて、子猫は真希に気付かせてくれた。
自分が今まで、どれだけ馬鹿な生き方をしてきたのかを。
その生き方から何時でも逃げ出せたのに、自分から選んでそこに居続けた事を。そこに居続ける事で、更に周囲の人を傷付ける生き方しか出来なかった事を。
どうして周りが思い通りにならないのか、と馬鹿にし続けていた。でも、本当に馬鹿だったのは……。
(私だわ……私が、自分の事知ろうともせずに、歪んでいただけ)
それに、周囲の人を巻き込んでしまった。
今の自分のように、居場所を取られて追い出されるのも無理の無い事だった。
子猫を起こさないように配慮する事すら出来ずにボタボタ涙を流して泣き、ティッシュで鼻をかんでいると、起きてしまった子猫が真希の腿に前足を乗せた。
「……起こしちゃって、ごめんね」
「るるる……」
「ごめんね、ごめんね」
真希はそのまま、体中の水分が枯れる程の勢いで泣き続けた。
昼食の支度をする予定時刻五分前に帰宅すると、チナツが凄い勢いで走って来た。
「るるるぉ~ん!」
酷く慌てた様子で、落ち着き無くウロウロしている。よほどの事態が発生したのだろう。
ゴローはあらゆる事に瞬時に対応出来るよう、演算機能を最大限に働かせながらリビングの扉を開いた。
リビングには真希が居るだけで異常は無い。
ただ、主人の顔が非常事態だった。
「おがえり、ゴロー」
「マキ様? 瞼が腫れ、喉に損傷が見られマス」
「だいじょうぶよ。ちょっと、その、人生を振り返っただけ」
「直ぐに瞼を冷しマス。ソファで休んでいて下サイ」
「だいじょうぶだってば」
「瞼の腫れを放置する事は推奨されマセン。加齢と共に自己修復機能が低下し、現在のマキ様の修復機能は八十パーセントまで低下してイマス」
主人の非常事態であるので、ゴローは礼儀を最優先事項から撤去し、テキパキと真希をソファに座らせると氷水で絞ったタオルを目に当てて静養してもらう。
「気持ちいい」
「そのままお休みになって下サイ。昼食は予定より遅れてしまいマスが……」
「うん。ごめんね、ゴローの邪魔して」
「イイエ。マキ様が思うよう行動出来る事が優先デス。しかし、生存と健康が何よりも最優先デス」
「うん。ありがとう」
真希は又、最近メモリーに増えた笑顔を浮かべているようだ。目元が隠れているので、口角の上がり具合からの推測になるが。
「あのね、ゴロー」
「ハイ。何か不具合がありマスか?」
「うん……。ゴローの名前、変えても良い?」
それは、予想外の申し出だった。この名前は、真希がゴローの主人となった時に付けて貰った、ゴローだけの名前なのだ。
「その……結構、適当に決めちゃったし」
「イイエ。ワタシはゴロー。マキ様に頂いた名前がありマス」
「だからそれ、適当だったんだってば」
子猫の千夏の方が、物凄く考えられてて素敵な名前なのよ、と真希は妙に早口で言った。
タオルで隠れていない顔が赤くなっていく。
熱があるのだろうかとゴローは真希の額に指先を近付けた。ゴローの指先は非接触で体温や温度を計る機能がある。平熱なので対処の必要は無い。
「適当、とは最適に当てはまる事では無いのデスか?」
ゴローと通信を繋げかけていたハカセの爆笑する声が聞こえ、真希は必死で首を振った。
「ちゃんと言語登録してある? 違うわよ、いいかげんって言うのかな……」
「加減とは、物などの増減の事デス。良い加減ならば問題ありマセン」
また、ハカセの爆笑と共に真希の顔は更に真っ赤になる。ハカセの音声はゴローにしか聞こえないので、真希の赤面の理由はゴローにあるようだが、分からない。
「ち、違うわよ! も、もぉおお! 分かったわよ! ゴローで良いのね!」
「ハイ。初めて頂いた名前デス。マキ様が適当に良い加減に下さった……」
「やめて。自分のダメさ加減が強調されて色々辛いから、リピートしないで」
「ハイ。リピートしマセン」
まだ、ハカセは笑っている。何がそんなに面白かったのか、人の笑いのツボと言うものは、どれだけ演算機能を働かせても理解不能だ。
『そ、そうか、翻訳機能は難しいな! じょ、状況に合わせて言葉の意味の捉え方を……いや、このままで良いか!』
何かハカセは機能の検討を少しだけしてまだまだ笑いが止まらない様子だ。
笑う、と言う機能がロボットには無い。
だが、人にとってそれは意外と重要なものだ。免疫力が高まり、心身が健康になる。それは科学的に実証されている体の機能だ。
ハカセの途切れる事の無い笑い声を聞きながら、ゴローは真希の昼食作りに取りかかった。足元にまとわりつくチナツに怪我をさせないように細心の注意を払いながら。