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〝思考のクセ〟の落とし穴【シンセカイ通信vol.30アウトプット】

シンセカイ通信30通目の内容を読んでの私のアウトプットです。

今回のテーマは「闇堕ちする人が持つ思考の癖」というもので、その“癖”の落とし穴や脆さ、そして人間関係にどう影響するのかについて、迫さんの実例をもとに解説されていました。

▼ 迫さんの事例:「0か100か」思考

私はこれまで、迫さんのSNSやブログ、YouTube、有料講座、書籍などを数年前から追いかけており、個人的には「0か100か思考によって、落とし穴や脆さを抱えている」というイメージがまったくありませんでした。

むしろ、その振り切ったような勢いが周りを巻き込んだり、多くの人を惹きつけて発信が届くようになっていたのだと思っていたんです。

ところが今回のシンセカイ通信を読み、迫さん自身によって「0か100かの思考には、こんな落とし穴があるんだ」ということを知り、意識するようになったと書かれていて、「そうだったのか…!」と驚きました。

▼ 私にあるのは「グラデーション」思考の癖

それに比べて私の場合は、どちらかというと「0か100かで考えられない」タイプの思考の癖を持っています。

どういうことかと言うと、断言を避けたり、決断や覚悟を先延ばしにしてしまうような傾向があるんです。

たとえば何かを決めなきゃいけないシーンでも、「いや、例外があるかもしれないし…」と考え始めて、0か100かで言えない。私はこう!っていうポジションが取れない。

1の人、10の人、25.6の人、はたまた84.573588の人…というふうに、無限に細かいグラデーション要素に目が向いてしまう。

その結果、「結局私は何がしたいの? 何を言いたいの?」と、ふわっとしてしまう。

なので、「0か100かで言い切る人ってすごいな」と思う反面、「私もそういうふうにならなきゃいけないのかな」って、どこかで感じていました。

特にフリーランスとして働くようになってからは、ビジネスをするとか経営をするとか、そういった情報を読むたびに「決断や覚悟、時には切り捨てることも必要だ」と耳にするので、「ああ、やっぱり0か100かで振り切った方が強いんだろうな」と思っていたんです。

▼ 恐怖があるからこそ成長できるという視点

今回のシンセカイ通信では、「人間が最も成長できるときは、恐怖を感じたとき」だと書かれていました。

そして前提として「恐怖や不安があってもいい」「むしろそれがあるから成長できる」という視点を得られたことは、私にとって新鮮でした。

もちろん私には「グラデーションばかり考える」という別の課題もあるのですが…「自分にないものへ憧れがち」というのも思考の癖なんだなと気づかされました。

恐怖や不安と同じように、私の中にあるいろいろな感情や考え方を、「成長へのヒントとして捉えられるかもしれない」と思うと、少し気が楽になります!

▼ もともと超優等生キャラが振り切って闇堕ちするパターン

ちょっと雑談。ここ数日、アマプラで映画『DEATH NOTE』シリーズを連続で観ていて、ちょうど闇堕ちキャラの話と重なるので、これも書いておきたいです。

主人公は夜神月。彼も「0か100か」思考の持ち主です。

彼はもともと法律を純粋に信じて勉強している優等生。警察庁刑事局局長である父親を尊敬している。
でも、法律では裁ききれない犯罪者がいることを目の当たりにして、六法全書を捨ててしまう。そのタイミングで、デスノートを使って、どんどん「名前を書いて」人を裁いていく方向に振り切ってしまいます…。

その行動に対して、世の中にライトを擁護する人たちや、ライトを崇拝する“ミサミサ”のような存在が出てくるのも興味深いです。

ミサミサの場合は、学生時代に家族が犯罪者に殺され、それでも法律では犯人を十分に裁けなかったことに絶望していた。そこをライトがデスノートで裁いたことで「救われた」「この人が私のすべて」と感じるわけですよね。それでライトの行動を支持し、どんどん加担していく…。

強力な「0か100」思考があらわれた時、どんどん共感や触発される人が出てきて、社会現象になっていく様子が、興味深いです。

「0か100」思考の危うさというテーマで見ていくと、いろんな漫画や映画がまた楽しめそうです。

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▼ 前回のシンセカイ通信の振り返り:今すぐ「よかった」と思えなくても大丈夫

今回のテーマを読んでいて、私は前回のシンセカイ通信の内容も思い出しました。
私の前回のアウトプットでも書きましたが、「今すぐ『あのときがあってよかった』と思えなくても大丈夫」というメッセージが特に心に響いたんです。

どういうことかというと、過去のことをずっと後悔し続けるよりも、「いずれ違う形で返ってくるかもしれない」「過去があったからこそ今がある」というふうに考えましょう、という話でした。

SNSや情報収集をしていると、短期的に結果を出す話や、短期間で人生がガラッと変わったというような発信が多く流れてきがちなので、「すぐに結果を出さなきゃ」と焦る気持ちが高まりやすいんですよね。

私自身も、「0か100かですぐ成果が出る」と思い込みがちになることがあります。これって危険で「すぐ結果が出ないなら向いてない、続けたって意味がない」と諦めてしまう。挫折のハードルが低くなる。

▼ 思考の癖はあくまで癖。だからこそ多様な視点が必要!

読みながら思ったのが、「思考の癖って自分だけで考えていても気づきにくいものだ」ということです。

だからコミュニティなどで違う視点や思考があるんだと、それでやっていくこともできるんだと、実感できる機会を持ったり、誰かのケースを知って「あ、こんな視点もあるんだ!」と素直に受け止めることも大切。

シンセカイ通信を読んでアウトプットしているのも、その癖を洗い出す一環かなと思っています。

▼ 歴史や文化から学ぶ視点も大事

さらに、「必ずしも時代の最先端がすべてではない」ということも実感します。

歴史を学んだり、文化や建築物を観たりする中で、先人たちが残してくれた知恵や視点を取り入れることはすごく有意義です。

私ひとりが生きてきた数十年の経験だけでは視野が狭すぎますから、もっと広い時間軸で見ていくと、今とは違う価値観やアプローチにふれる機会が増えます。

短期的な成果に一喜一憂するだけではなく、たまには「パノラマビュー」で物事を眺めて、「私の思考は偏っていないかな?」「この癖にはまっていないかな?」と振り返る。

その上で新しいものも積極的に取り入れていく――そういうバランスが大切なんじゃないかな〜と思いました。

▼ まとめ!思考の癖を自覚し、他者の視点や歴史から学び続ける

今回のシンセカイ通信を通じて、「0か100か」という思考が持つエネルギー(良くも悪くも)と、その落とし穴の両面が改めて理解できました。

そして、私のように「グラデーション思考」な人にも、また違った落とし穴があると思います。もちろん、いいこともある。どんな思考にも。

今回は「0か100か」思考が危ういよって話ではなく、思考の癖というものがあるよ。という話です。

大事なのは「自分の思考の癖を知ること・知る機会を設けておくこと」。その癖がネガティブな方向に傾いてしまいすぎるのだったら、多様な考えに触れたり、視野を広げて(視座を高めて)歴史や文化から学んだりして、新しい視点を取り入れ続けることが必要だと感じました。

私も今後もシンセカイ通信を読んだり、アウトプットを続けたりして、自分の考えを客観視していきたいです。

恐怖や不安も含め、日々生まれる感情を成長のヒントに変えながら、一歩ずつ進んでいこうと思います。

最後まで、読んでくださり、ありがとうございます✨

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