高いけど売れるものも、安くて嬉しいものもあるよね。ものの理想の価格ってなんだろう
自分で企画するイベントの参加費をいくらにするかって難しい。講座を依頼してもらって、「いくらでお願いできますか」って聞かれたときなども。価格を決めるのって難しい。
理由も考えた上でほしい額を言ったらいい、とも言われるけど、安い方が相手にとって嬉しいよね、という固定観念がなかなか抜けない。
知り合いと話していて、「フェラーリって手づくりなんだよ」と聞き、調べてみると、あるヤフー知恵袋のやり取りが目に留まった。
「フェラーリはなぜ高いのか? 手作りって聞きました。
日本メーカーが本気を出して、同様の性能・デザインにしたら数百万まで落ちませんかね?」
という質問。
それに対してこの回答がベストアンサーになっていた。
「落ちます、でも買いません。メーカーもわかっているから造りません。
例えて言えば、エルメスのバッグ、100円ショップのバッグと何処が違うの?ファスナーや生地を良くして実用的なバッグ造っても、せいぜい¥1000くらい。
何十万もするのは「ブランド力(りょく)」があるから。
日本車には残念ながらそれが無い、だから造ったとしても売れない。」
そうか。人が嬉しい価値って、安く買えることだけじゃないよな、当たり前だけど。
そして、価値や価格に関する、知り合いからもらった印象的な言葉がいくつか浮かんだ。
「割引券は価値を下げる」(こともある)
「価値を高めることから逃げないこと」
つくる人も、協力する人も、買う人も嬉しい価格ってどうやって決めるんだろう。
誰も妥協も疲弊もしない価格とは。価値を高める価格の決め方とは。
結局、買う人は買うし、買わない人は買わない。買えない人もいる。それもまた事実。
フェラーリなんて高くて買えないし、じゃあ3000万円もってたらフェラーリを買うかと言われると、そこまでして欲しくない。(素晴らしい車だとは思ってます)
買った人が、買ったあとどう使うかで価値が大きく変わるものもある。これもまた事実。
おととい、大学院の入学手続きの案内が届いた。入学金や授業料の振込について、その他もろもろ。
大学院生として勉強する機会を買って、その2年間をどう価値あるものにするかは自分次第なんだよな。
と、気が引き締まってまとまったところで、寝ることにする。おやすみ。