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目には目を歯には歯を 改0.1
透析でうとうとしながら考えました。
この記事では不親切ではないか、ここに改訂版をUPします。
知識をひけらかすつもりもありませんが、
知らない方にはわかり易くない文章だったので、
追記と一部の変更をしました。
「目には目を歯には歯を」、
この文章をイスラム教の聖典コーランが原典と勘違いている
人がいるようです。
コーランは اَلْقُرْآنُ(クルアーン)が正しく、
アラビア語以外の訳本はイスラム教では認められていません。
お祈りもすべてアラビア語以外は認めていません。
なので、アラビア語圏以外の国のイスラム教徒は
アラビア語でお祈りをします。
もちろん経典もアラビア語です。
正しくは、ハンムラビ法典にある言葉で、
ハンムラビ法典は紀元前1700年頃のアムル人がメソポタミア南部に築いた
古バビロニア王国、バビロニア王朝のハンムラビ王によりまとめられた
法令集と言うか、当時の判例をまとめたモノと考えるのが
正しいと思います。
そしてこれは楔型文字で書かれて、
ほぼ全文が一つの石棒に刻まれています。
参考
ここに、
古代法の翻訳と解釈(4) : ハンムラピ法典の石柱に刻まれた楔形文字全文の原典その翻訳および解釈の方法について
と言う論文があり、PDF内に象形文字の読み方や、
ハンムラビ法典の内容の説明などがあり、
非常に面白い論文となっています。
誰でも無料でダウンロード出来ますし、
高校生でも理解できるような内容になっています。
まぁ、これは元になる紀元前2100年頃のシュメール語によって粘土板に
記されたウル・ナンム法典をもとにして編纂したと
考えられています。
しかし、こちらのウル・ナンム法典は粘土板なので
全文が揃ってるわけではなく、多くの粘土板の断片から
全文をまとめたモノです。
そして肝心なイスラム経典は紀元後600年頃にまとめられています。
年代的に考えてもクルアーンよりも、
ハンムラビ法典が原点であると考える方が理にかなうと思います。
イスラム教は「やられたらやり返す。自分から攻撃しない」と
認識しています。
まあ、イスラム国以降、「攻撃的宗派」も出てきているようですが。
クルアーンには「やられたらやり返す。」と言う記述はないです。
また、اَلْقُرْآنُ クルアーンには
「目には目を」と言う記述は無いですね。
あるのはクルアーンと並ぶ啓典の旧約聖書の方です。
そういう意味では旧約聖書を信仰している人々はみんな
「目には目を歯には歯を」を信仰していることになります。
やられたらやり返すような記述は اَلْقُرْآنُ クルアーンには無いのですが
イスラム法と言うモノがあり、
イスラム教徒の守るべき指針が書かれています。
それは شريعة シャーリアと呼ばれ、
اَلْقُرْآنُ クルアーンと予言者ムハンマドの言行 سنة スンナを
基とする法律です。
法律ですので、
起きた事件に対しての懲罰がなんであるかを明記しています。
「目を潰されたら目を潰しても良い。」
ただしアッラーの御心に沿い「罪を許すならその方がもっと良い。」と
その法律に書かれているんですけどねぇ。
まぁ、そのようにムハンマドの言行が基になっていますから、
شريعة シャーリアの規定では、法律文章でも緩和規定があるように、
~したら~しても良い、しかし~の方がもっと良い。と言う
条文は多いのですよねぇ。
元のハンムラビ法典には、
「上級市民が奴隷の目を潰したら、
奴隷の値段の半分を払わななければならない。」ですし、
「上級市民が自由市民の目を潰したら、
銀500gを払わなければならない。」ですし、
「上級市民が上級市民の目を潰したら、
自分で自分の目を潰さなければならない。」と明記されています。
原典を知らないと間違った認識になると思います。
間違った認識(前提)で間違った理論を展開し、間違った結論に達しても
意味は無いのではないかと思います。
宗教にかかわらず、多少は知ることを努力する必要はあると思います。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥 By 千利休
人を批判して貶めても、貶めた人の価値は上がりません。
その人の価値はその人の努力で上がるモノです。
祈っても、信仰しても、本人の努力(行動)が無いと、
その人の価値は上がらないです。
まぁ、なぜか、
この様な人を貶めて自分の価値が上がったと勘違いする
考え方の幼い人が多いような気がします。
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