イスラエルの嘘(1)
ユダヤ人の国、イスラエルの建国は
旧約聖書に書かれていることを
建国の基礎とし、史実として教育しています。
昔の日本が、皇紀を起源として
日本史を史実と教育していたのと似ています。
しかし、日本は第二次世界大戦で負けたことにより、
史実ではない皇紀を史実とは教えなくなりました。
旧約聖書は史実でしょうか?
歴史は一部の国にのみ書かれているわけではありません。
例えば、中国では紀元前6年から紀元220年まで
後漢と言う王朝が続いています。
当時の中国は日本と比べると、文化的にも進んでいて、
後漢書東夷伝などと言う記録も残っています。
そのころの日本はと言うと、
紀元前10世紀から紀元後3世紀半ばまで弥生時代と言われ、
農耕社会が広まり、一部の豪族は中国王朝と直接、
交易をおこない、「漢委奴國王」と言う金印までも受けており、
当時の日本の歴史を知る大きな手掛かりとなっています。
まぁ、この様に日本の歴史は、中国の歴史により、事実確認ができます。
その上、日本の場合は戦争に負けたと言うことから
歴史を客観的に見ることが出来るようになったのでしょう。
ここからが本題ですが、
イスラエルは現代、いまでも旧約聖書の物語が
公式の歴史観となっています。
もう一度、確認しますが
旧約聖書は史実でしょうか?
さすがに紀元前17世紀の頃の記録はほとんどありません。
しかし、紀元前13世紀の頃のユダヤの記録は旧約聖書以外にありませんが、
実は隣国のエジプトやヒッタイトには多くの文字や文献が残されています。
紀元前13世紀の頃のユダヤ人の歴史は、
旧約聖書の出エジプト記に書かれていますが、
この内容をよく読むとおかしなことが沢山あります。
出エジプト記第一章1項~5項には
ヤコブと共にエジプトに行ったイスラエルの子と書いてあります。
当時はイスラエルと言う国もなく、周りからは
ヘブライ人と呼ばれていました。
ヘブライ人であるヤコブとその家族は
北西メソポタミアで遊牧生活を送りながら、
移動を繰り返していたものと思われます。
今で言う、イラクとイランの間、チグリス川とユーフラテス川の
あたりの肥沃な土地でメソポタミア文明と言うと
知っている人も多いでしょう。
この頃は紀元前17世紀頃で、
メソポタミアはバビロン第1王朝の第6代ハンムラビ王により
30年間にわたる戦争の後、紀元前1759年に統一された頃で、
ヤコブたちも戦火を避けるために這う這うの体で
エジプトに逃げて行ったのが正しいのではないでしょうか。
その後の出エジプト記第一章5項~7項には
70人ほどのヤコブのグループがエジプトに逃げ生活をしていたが、
徐々にヤコブの子孫のヘブライ人が増え、
はなはだ強くなって、国に満ちるようになった。
と書いていますが、なぜか、ヨセフと言う人物は
ヤコブの子孫ではないヘブライ人で、
どうもヤコブより先にエジプトに逃げていた人物らしいのですが、
ヘブライ人としてひとくくりにされ、
後に重要な役割を与えられる様です。
紀元前1782年頃から紀元前1570年頃までは、
エジプト第13王朝から第17王朝の頃で、
シリア・パレスチナ地方に起源を持つ雑多な人々の集団が
ナイル川三角州地帯にへ侵攻し、
ヒクソスと呼ばれる異民族が第15王朝を築いて支配を確立していました。
それこそ、今のイスラエルに起源をもつ人々です。
しかし、この人々はヤコブの子孫であるヘブライ人ではありません。
ヘブライ人の起源は北西メソポタミアです。
当然言葉も、文化も異なります。
そしてこの第15王朝は第17王朝の王達による対ヒクソス戦争の結果、
第15王朝は滅ぼされヒクソスの政権は瓦解します。
この様に、エジプトにはたくさんの記録が残っており、
史実を確認できます。
出エジプト記の第一章8項~10項では
ヤコブの事は一言も出てこないで、ヨセフを知らないパロ、
つまりエジプトのファラオが現れ、
ヘブライ人の取扱いに枷をかけています。
戦争の記述があることから、
紀元前1663年頃 から紀元前1550年頃の
エジプト第17王朝の頃と思われます。
理由はこの後エジプトにおいて大きな戦争が起きるのは
紀元前8世紀までないからです。
しかし、出エジプト記第一章11項~15項で、
更ならる使役を与えますが、ヘブライ人は増え続けます。
出エジプト記第一章16項~22項
困ったファラオは男の子が生まれたら、殺せと助産婦に命じますが、
結局、助産婦は子供を殺せず、ヘブライ人は増え続けます。
紀元前1570年頃から紀元前1293年頃までは
エジプトの第18王朝の時代と言われ、
「古代エジプトのナポレオン」と称されたトトメス3世。
世界初の一神教ともいわれる
アテン神信仰を追求したアクエンアテン。
黄金のマスクによって知られるツタンカーメン。
女性としては初めてエジプトに
実質的な支配権を確立したハトシェプスト。
これらの王がこの王朝を支えていました。
しかし、これらの王の記録にヘブライ人の弾圧の記録はありません。
第二章からはモーセの話になります。
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