「死」について
みなさんおはこんばんにちは、ちむです。タイトル見て、「なにこれ…こわ…」と思われた方も多いのではないのかなと思います。
今日のテーマはちむ的な死生観についてです。今日は思い出たっぷりなので、長いです。ただ僕にとってはこの「死」が生き方を変える要因になったといっても過言では無いので良かったら読んでいってください。
初めての死との直面
我が家は母が東京人、父が兵庫播磨の人間です。母の実家はかつては赤坂で、別荘が山梨にあるようなバブル全盛期でお金を持った小金持ちファミリーです。
幼稚園の夏休みに入ると、母は僕(4)と弟(0)を連れて、山梨の別荘に引っ込んだ実家(祖父母宅)へ1ヶ月ほど(丸々8月)滞在してました。今思えば子育ての大変さから、きっと祖母を頼りにしていたのでしょう。※神戸✈︎山梨の夏休み滞在習慣も結局中1の夏まで続きました。そんな沢山の時間をすごした山梨の夏。
その中でも初めての死と向き合ったのが小一の夏でした。
母は3人目の子供を身篭っており、僕(6)と弟(2)を連れ、例年通り山梨に来ていました。その夏は、夏の終わり8月末に3人目の子供を東京で産むために来ており、祖母に僕と弟を預けるために来ていました。8月が臨月で、山梨に着くや否や、数日すると母は東京の病院に入院する事になりました。祖父と叔父も山梨の家にいたのですが、2人は青山にカメラ屋さんを構えていたので朝出勤していきます。昼間は祖母と僕と弟の3人での生活が始まりました。今思えば祖母はさぞ大変だったと思います。目を離すと何をするか分からない小さい男の子が2人。家の中では走り回り、騒ぎ倒したあとは気付けば死んだように眠っている。
その時祖母は60手前で、僕は初孫ではありましたが、きっととても大変だったことだろうと今は思います。初めての夏休みの宿題を一緒にやり、洗濯を一緒に干す競争をしたり、洗い物のお手伝いなど、たくさん一緒に行いました。
無事母も3人目の子供となる妹を出産し、退院して、8/31(だったはず)に神戸に帰ることになりました。祖母はリウマチを患っており、時々体調不良を訴えていたのですが、帰る日、明らかに体調が悪そうでした。ひどく熱もありました。ただ、「病院が嫌いだから行きたくない」と言い張り、そんな中で羽田まで見送りに来てくれました。いつもの夏と同じように「また来年ね」といい、僕らは神戸へ。
その数日後、9月4日でした。朝、母から「ばあばが死んじゃった」と聞かされました。「お葬式に行くから今から山梨に行くよ」と。虫の死程度なら今までも何度も見てきたはずなのに、おばあちゃんっ子となってしまった僕にとって祖母の死は強烈すぎる出来事となりました。複数の臓器がもうダメになってしまっていて、臓器不全による急死でした。立ったまま倒れたようで、顔には段差で切ってしまった瞼の切り傷。最後の延命治療で腫れ上がった顔。
もう一緒にご飯も食べれない?洗濯干す競争もできない?どうして動かないの?なんで病院に行かなかったの?
そんな気持ちが溢れて止まりませんでした。いまでも思い出すと涙ぐむほどです。もうすぐ19年が経ちますが、当時の通夜、葬式、納骨まで鮮明に覚えてますし、人間ってこんなに泣けるんだなってくらい泣いたことも覚えています。
その後、1ヶ月学校にいる間思い出してはずっと泣いていたみたいで学校から電話があった話も母から聞きました(このあたりはあまり覚えてませんが…)と、この死が最初に直面した死です。
父方の祖母の死
何故かはわかりませんが、訃報とは続くもので、その2年後、父方の祖母がくも膜下出血で急死しました。控えめに言っても父と父方の祖母は仲が良いとは言えませんでした。僕はそんな父(祖母からすると末っ子長男)の長男だったのでなんとも言えない距離感で父方の祖母は可愛がってくれていました。祖母に対しとても強い当たりをする父を見ていたせいもあり、自分は母親と仲良くして生きていこうと小3にして反面教師にしていました。
そんな父でしたが、急死した祖母のお葬式ではボロボロ泣きながら話をし、「もっと生きてるうちに仲良くしとけば良かったのに。ありがとうをもっと伝えたら良かったのに」と思いながらも、自分もいつか親が死ぬんだなと思うと涙が止まりませんでした。祖母には申し訳ないですが、自身を父と母に投影した気持ちになって涙を流していたなぁと今は思います。これが2度目の死との直面でした。
後悔先に立たず
生物はいつか必ず死にます。沢山可愛がっていたインコが死んだ時も家族を失った喪失感ですごく凹んだし、最初と2回目の死の直面はずっと記憶にはりついていて離れません。
中一の時に母が突然入院して手術すると聞いた時も不安でたまりませんでした。結局病気はその時子どもたちには知らされず、僕が20歳になった時にガンだったことを聞かされました。今は完治して定期検診でも異常なく、しっかり生きています。
きっと次死ぬのは、夜一緒にたくさん星を見て、たくさん散歩して、たくさん一緒に寝た愛犬だと思います。その時も沢山泣くと思います。
ただ、たくさん愛を伝えられてきたと思うし、悔いはないのでしっかり見送ってやりたいなと思っていますし、会えるときは精一杯の愛情で愛でています。
死はたくさんの学びを与えてくれました。
1番の教訓は「悔いなく生きること」。これが1番死を拒絶せずに死ねるコツなんだろうなって思ってます。なので僕は「明日死んだらどうする?」って思いながら毎日生きてます。もちろん本当に死んでしまったら、やり切れないと思うことは沢山あると思います。でもその日のベストは尽くした!という気持ちなので、実際死んでしまったとしても、「たぶんまぁしょうがない、良い人生だったな」って思えるように生きてます。
ここまで読んでくれだ人がどれだけいるかは分かりませんが、大切な人や動物でもちゃんと毎日気持ちや思ったことはぶつけて欲しいです。気持ちって思ったよりも届かないです。沢山言葉にして、沢山行動にして、生きている全ての大切なモノに感謝して欲しいなって思います。
なんか暑苦しい感じの締めになっちゃいました…w
まぁ何が言いたいかというと、明日死んでも平気?!やりきってから今日を終わろうぜ!!!!
ここまでお読みいただきありがとうございました。なにか心にくるものがあればコメントしてくれたら嬉しいです。
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