「好き」で居続ける努力
おはこんばんにちは、ちむです。
みなさんは好きなことってありますか?それはどれくらい好きですか?なんで好きなんですか?これからもずっと好きですか?
と最初から詰め口調で始めるサディスティックなスタートです(笑)
まぁそんな冗談はさておき、今日のテーマは『「好き」で居続ける努力』です。
実は「好き」とはとても難しいと考えているので今日はその「好き」でいる何かを大事にしてほしいなと考えるきっかけになるように書いていきたいと思います。
「好き」という言葉の理解
辞書的な「好き」という言葉の意味は、『心惹かれること、気に入ること』らしいです。
要するに主観的な感情であることが辞書的な意味からもわかります。客観的「好き」というものは存在せず、常に主観的なものであるといえます。
これを言い換えるとすなわち、絶対的な「好き」はなく、あくまでもそれぞれ個人の知見の中での相対的な評価から「好き」という感情が生まれることになります。
お?こいつなにゆーとんやって思った方もいると思うので、例えますね。
どれだけ美しい女優やカッコいい俳優がいても絶対みんなが「好き」になる女優や俳優はいないですよね、同じように絶対に美味しい食べ物があってもそれを「好き」になるかどうかはわからないわけです。
なので「好き」は自分の中での他の何かとの比較だということを前提にしてください。
「好き」なことの条件
「好き」というのはたくさんの条件から成り立っていると思います。例えば僕はとても家系ラーメン(*1)が好きですが、下記3つが主な理由です。
①相乗効果:愛してやまない白米と合わせる料理として付け合せが完璧
②効率:味の濃さと白米の組み合わせにおける絶対的量による満腹感を得るまでの早さと栄養価バランスが良いという効率
③明瞭さ:系列によって味の出し方が異なるわけですが、店舗によって特徴が出やすいためこだわりを感じやすい
*1…醤油豚骨をベースとしたスープに、極太の縮れ麺、チャーシュー、海苔、ほうれん草、場合によって煮玉子というトッピングをデフォルトの形態とするラーメンのことを言います。
僕はかなり効率厨で短時間で最大価値を見出したいタイプです。上記を見てわかる通り、そんな僕と相性バッチリなのが家系ラーメンだと思っています。
まず前提として①のように白米が食べられるかどうかはすごく大事で他の種類のラーメンでは僕は白米を食べません。何ラーメンで白米を一緒に食べてもどちらもが活きているという経験はありませんでした。要は他の好きなものも一緒に食べることで相乗的にさらにうまくなるんです。これが①。
続いて②ですが、僕はかなり基礎代謝が高く、すぐにお腹が減ります。それゆえ、1食でどれだけカロリーを摂取できるかが食事をする上での重要な価値基準になります。その観点でいうと家系ラーメンは素晴らしい。またいろんな記事にもなっていると思いますが、たぶん家系ラーメンは栄養バランスも比較的良い食事だと思います(しらんけど)。
そして、③ですね。これは家系ラーメンと呼ばれる所以でもありますが、総本山である横浜の吉村家から派生・分家して様々な○○家と呼ばれる家系ラーメンですが、これらは各店舗によってこだわりが違います。鳥ガラを混ぜることで豚だけのくどさを取り除いたスープにしているところや、どこの製麺所の麺、チャーシューの作り方や硬さ、ほうれん草の産地や茹で方など、まぁたくさんこだわりがあるわけです。でも家系ラーメン基本のこの構成は変わらないので、比較がしやすいわけですね。特徴がわかりやすい、明瞭だから僕は好きです。
こんな感じで好きになることって要素・条件分けできるはずなんですね。
「好き」で居続けること
ようやく本題ですが、「好き」というのは相対的なものなので、必ず他のものに取って代わられてしまうリスクを常にはらんでいます。僕の家系ラーメンのケースの場合は、より白米と合って、より食事効率がよく、よりこだわりが明瞭なものが現れた暁には家系ラーメンよりも「好き」になってしまう可能性があります。
だからこそ僕は「より好きになるようなこと」、「好きではないそれ以外のことにもふれるようにすること」を意識しています。
より好きになるようなこと
さっきの家系ラーメンの例をそのまま引っ張りますが、例えばお腹がペコペコのときに家系ラーメンを食べます。空腹は最高の調味料といったりしますが、より美味しく感じるわけです。
また、自分が懇意にしている人と行くようにしています。これは好きなものの相乗にもなると思いますが、懇意にしている人が気に入ればそれを体験する機会が増えるわけです。しかもその体験をするまでに基本的にはその懇意にする人もセットになるので「好き」×「好き」の構図が生まれるわけですね
あとは微細な変化を加えます。いろんな家系ラーメンのお店に行ってそれぞれの違いを覚えます。同じ店舗でもちょっと味濃いめを頼んでみたり、追加トッピングをしてみたり、マイナーチェンジを加えるわけですね。そうすることで新たな発見があるのでより好きを引き出しやすくなります。
好きではないそれ以外のことにもふれるようにすること
同じ例えでつなげますが、僕は結構他のラーメンも食べます。けど、だいたいそういうとき、できれば家系ラーメンが食べたいということが多いです。でも他のラーメンを食べます。これはある種制約で、またの名を焦らし、によって、「好き」を引き立てています。
人間ってわかりやすく飽きというものが存在します。この飽きの難しいところは飽きを感じるまでなかなか気づけないものであり、飽きを感じた瞬間に「好き」をそうじゃないものにする悪いものだということ。なので飽きを感じさせないルールを作っています。要は飽きという「嫌い」が近づくことを牽制しています。
「好き」の増加と「嫌い」の減少
このように僕は「好き」を増やして、「嫌い」を減らす努力をしています。今「好き」なものがある人は、現在進行でそのまま行くと「好き」なものは「好き」じゃないものになってしまうかもしれません。
福沢諭吉の言葉らしいですが、「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む」というものがあります。僕は現状維持は衰退という感じの考え方だったのですが、その考え方のベースはこの福沢諭吉の言葉からっぽいです。まぁ経済学的にも、金銭は将来的に価値が減少する(相対的な価値)と言われていますし、「好き」や「嫌い」という感情も相対的なものである以上、変化してしまいものだと考えているというわけです。
「好き」はもちろん移りゆくものだと言う考え方もあると思いますが、僕はずっと「好き」という純愛はとても良いものだと思っています。今「好き」なヒト・モノ・コトがある人はそれを「好き」で居続けるための努力を考えてみてはいかがでしょうか。
P.S
なんでこんな文章書こうと思ったかですが、まぁ元々考えていたことではありましたが、最近第5人格を再開して改めて強く実感したので書いてみました。それまでの第5人格のランク戦に飽きてしまっていたし、マリーという好きなキャラをBANされる環境は余計にやる気が起きませんでしたが、新たな小さな「好き(ちむ配信好きと言ってくれる声や、女性キャラでやること、強くなる戦闘民族の血をたぎらせる初めての経験)」を見出そうとしているおかげで今はちょっとモチベ回復してきていたり、やっぱり好きで居続けるには努力が必要だなぁと言う流れがありました。
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