野崎まど作品のレビューは何故荒れがちか/人間性優先SFと技術優先SF
https://twitter.com/twcu_nichibun/status/1206553238742302720
「ある小説のレビュー見てたら、登場人物が道交法違反を犯したのにその代償を払わされてないのが許せないという理由で最低評価になっててびっくりした、という話を知人にしたら、「わかる。自分も「崖の上にポニョ」で、ルール無視のリサの運転が嫌で、作品が好きになれない」と説明されて、さらに驚いた」
このツイートを見て反射的に「野崎まどは何故かこういう批判受けがち」だと思いました。
また、その前後のタイムラインでAI崩壊のプロモーションツイートが目に入りました。
https://www.youtube.com/watch?v=tMSlaXhGrfs
その瞬間、それまでどうにも分からなかった、「何故か野崎まどはこういう批判を受けがち」の「何故」の部分の本質が見えた気がしたのでメモします。
まず最初の小説レビューのツイートですが、人によっては道交法がとても大事で、例えフィクションでも、ストーリーの本筋と大きく関係しないとしても、それを軽視するとは許せない!と思う人もいるでしょう。
また別のパターンとして、作品全体的がなんとなく気にくわない、好きじゃない…だが上手く言葉で表現できないので分かりやすい批判ポイントを挙げている。ということもあるでしょう。
さて翻って野崎まど作品(といっても自分は正解するカド、ハローワールド、バビロンの3作品しか見てないですが…)はアマゾンレビューなどを見てると、どちらのパターンの批判もかなり浴びせられてるようです。
自分は野崎まど結構作品好きなこともあって、何故ここまで感情のこもった(ブチギレてる)批判が多いのかよく分からなかったのですが、ツイートの件で2パターンの批判
・大事な価値観を軽視されてる
・うまく表現できないので分かりやすい部分を叩く
以上があることで、少し整理できてきました。
・大事な価値観を軽視されてる
この手の批判が多いのは、特に扱っているテーマがセンシティブな「バビロン」では容易に想像できます。自殺法の設立を目指す…とかなので、触れるだけでも嫌悪感を抱く人もいるでしょう。
一方「正解するカド」では要約すると「最後までちゃんとSFしろ!」という批判が多いようです。ストーリーが途中からあらぬ方向に展開してしまうのですが、自分は「アクロバット展開芸」として楽しめたのですが、おそらくパッケージ詐欺的に感じる人もいるでしょう。例えると「素人系エロ動画見てたのに後半ドキュメンタリー番組みたいになってて抜けなかった」みたいな。
また「SF作品はかくあるべき」といった確固たる前提のある人にとってはSFを冒涜しているように感じたかもしれません。そういった批判はごもっともだと思うので今回はこれ以上深掘りしません。
・うまく表現できない
このパターンはレビューし慣れてない人や、フィクション作品に慣れてない人に多い傾向があると思います。なんとなく面白い。なんとなくつまらない。でも、それではレビューとして薄っぺらいので、分かりやすく目についた部分に言及する。そういったパターン。
だが野崎まど作品の場合、(正解するカドの「ちゃんとSFしろ」を除くと)レビュー慣れしてる人でも本質を捉えてないような瑣末な批判にとらわれているように思えました。クリティカルな批判ではないのに、やたら熱量があって理路整然としたレビューが多いような…。
この現象はなんなのだ?
野崎まど作品には何か批判者側も自分も上手く言語化できていない本質的な特徴があるのかもしれない…そんな風に思いました。
さてここで、冒頭で触れていながら放置していた「AI崩壊」について話を戻します。
AI崩壊のプロモ動画見る限りでは、暴走したAIが人を襲うという、ターミネーターから変わり映えしないような対立軸で、そもそもAIを誤解して無駄に不安を煽っているようで、個人的には全然興味がそそられませんでした。映画の実際の内容は違うかもしれませんが、飽くまで広告動画での感想です。
そこからもう少し抽象度高まった着想を得ました。
「多くのSF作品って物理面、ハード面のテクノロジーが進歩しただけで、人間のやってること中世から変わってなくね?」
スターウォーズなんてあれだけ技術発展してるのに、中世騎士みたいなチャンバラしてる…。※面白いつまらないとは別の話です。ライトセイバーだろうがエクスカリバーだろうが、かっこよく悪を斬れば面白いです。
「むしろどんなにテクノロジーが発展しても人間は変わらない、その人間の不変性こそが尊い、といったテーマの作品だってあるんじゃないか…?」
宮崎駿とかそんな感じが多いと思う。
つまり、「テクノロジーは変わりゆくが人間は変わらない」という前提で描かれたSF作品が多い。とりあえずそれを人間性優先SFと呼びました。
ここまで来てようやく、野崎まどの特徴が浮き彫りになってきた。そう野崎まどの場合、「テクノロジーが変われば、人間もそれに付随して変わっていく。人間の不変性なんてものはない」という前提でストーリーが進んでいることです。これが技術優先SFです。
この前提の違いは、人生哲学だったり信条だったり人格形成の深い部分に関わっていることなので、人間に不変性があってそれは尊いと信じている人には受け入れ難いものがあるのではないかと思います。しかしそれをうまく言語化できず、本筋ではない部分を感情的になって叩いてしまうのかもしれません。
より身近な例を挙げるなら、赤ちゃんを育てる時の「母乳派」vs「粉ミルク派」みたいなものです。
ちなみに僕も野崎まど作品好きなだけあって、人間の不変性はそこまでないと思ってます。2000年変わらない価値観があったとするなら、普遍性があると言っても日常レベルではいいかもしれませんが、厳密には耐用時間が長い価値観であって、一万年後はどうなってるかわからない…ぐらいの発想です。諸行無常、色即是空です。
長々偉そうに書きましたが、自分もそこまで多くの作品に触れていないので技術優先SFは野崎まど以外にももっとあるのかもしれませんが、今のところぱっと思い浮かびません。
では最後に、人間性優先SF技術優先SFの比較表を書いて締めようと思います。
無職(2019/10/01~)のポッティにご支援お願いします。