タブーをタブーのままにしない
私はサイトのいろんなインタビュー記事を読むのが好きなんだけど、面白い記事を見つけたのでそれについて書く。
ウェブマガジンとフリーペーパー「igoku」さんのインタビュー記事で、「死や老い」をテーマに、地域で活躍する福祉や医療の現場の人の声や高齢者の生き様を伝えているメディアだ。
「死」をポジティブに
人生とは本人のものなのに、最期を迎える場所については本人の希望を誰も知らない。死という話題はタブーになっていて、家族ですら真剣に話すことがないんです。
「死」は大切なことでも、重くて話しにくいテーマだ。でも、人はいつか死ぬのは変わらない事実だし、避けるのではなくむしろ事実として認めて家族で話し合うべきだと思う。元気なうちに。
避けたい話でも、避けて生きているのと、ちゃんと受け入れてその上で生きているのは、生き方も、死に直面した時も違う気がする。
で、「igoku」さんはそんな重い話でも、重いものとして捉えるのではなく、ポジティブに捉えている。
雑誌の表紙の「いごくフェスで死んでみた!」というキャッチコピーすごくない?え、そんなYouTuberみたいなタイトルつける?って。
強烈なキャッチコピーは目を引くし、それくらいのテンションじゃなきゃ考えられないよね。入棺体験なんて不謹慎だなとも思うけど、「死」なんて普通に生きてたら意識もしないし、自分ごととして考えられない。
でも、そんなタブーとされるような話を、取り上げて人に訴えかける取り組みって必要だなって思う。性教育とかLGBTQとかも、正しく現状を認識することから始まるし、決してタブーなんかじゃないよね。
フィルターを通して人を見る
認知症という言葉が独り歩きし、おばあさんを見るときに、おばあさんそのものではなく「認知症というフィルターを通して見ているのではないか」という問題提起なんです。
フィルターを通して人を見ているっていう話。認知症に限らず、日常でも大体フィルターを通して見てしまっているなと思った。無意識のうちに。
「〇〇大学通っています」「〇〇会社に勤めています」「バイセクシャルです」とか。知らなければそんなことも考えないのだけど、そういう情報があらかじめ入っているだけで、そういう括りの人として見てしまう。カテゴリー化するのはわかりやすいけど、誰だって1人の人間であることに変わりないのにね。
どうしても見た目で勝手に想像したり、ステータスで警戒してしまいがちだけど、それ抜きにしてその人自身を見れる人になりたい。せっかく出会えた人でも、ラベルで判断して本当の魅力に気づけないのはもったいない。
この話とはちょっと違うけど、中には葬式をその人らしい葬式にするエンディングプランナーのお仕事もあって、生きている時も最期もその人らしくいられるの素敵だなと思う。
人生を素敵なものにするのに、いろんな人がいろんなやり方で取り組んでいて、私もそういう人になりたい。