「旨い」「不味い」とは何か?カカオニブを齧りながら思索
■カカオニブを齧って想う
最近、カカオニブがお気に入りだ。チョコレートの原料でナッツのような歯ごたえが小気味よいもの味はただただ苦い。
別にチョコレートに加工するわけじゃなく、「料理に苦味を添加する」ためには有効性が高い。
ホットケーキにトッピング。イチゴソースの酸味と甘みに苦味を添加すると奥行がでる。
クリームチーズにトッピング、カカオニブ、塩、花山椒。もったりしたクリームチーズに花山椒のフルーティな香りとカカオニブの苦味がフレイバー、テイストのフォーメーションを補完、バランスと複雑さが同時得られる。
料理好きは挑戦しがいのある食材なので買ってみよう。
しかし「旨い」「不味い」という言葉は非常に主観的だ。カカオニブを直接食うなんてもちろん、上記の使い方は人によってはトリッキーで受け入れ難い料理であるだろう。クリームチーズにカカオニブ、塩、花山椒という組み合わせも私は好きだがはっきり「苦手」という声も直接聞いたことがある。
結局各人の五感がどう判定するかでしかなく、外国人や関西出身者がどれだけ納豆を「不味い」と言っても俺は納豆を「旨い」と判定する、その程度の緩い基準だ。
しかし、納豆のようにあるクラスタは「不味い」と言い、一方のクラスタは「旨い」と判定するように「何らかの因子により旨い不味いを判定している」ことは明白であるが、ストイコビッチのように外国人でも納豆好きはいるし、どうしてそのような趣向の差が生まれるかはいまいち議論が見当たらない気がする。
「これは、俺は旨い(不味い)と思うが、お前は旨いと思うのか?」「お前も旨い(不味い)と思うのならそれはどうしてなのか?」
食事中に突っ込んで話すとクソ鬱陶しい話題だし科学的に証明するのも大変だが思索をめぐらせるのは価値がありそうだ。
という随筆を以下、していきます。
■「旨い=安心、安全」「不味い=不安、危険」?
「旨い」に関しては食事は元来、栄養摂取である以上「甘くて旨い」「こってりして旨い」などは「栄養を人間が必要とするから旨い」と感じる説がベースにあると考えられる。
例えばめったに「不味い」と判断する人間のいないチョコレートなどは、糖分,脂肪分を中心とした栄養価の塊であり(これも主観的だが)わかりやすい旨さをもっている。また五味として「苦味」も加わることがただ甘いだけの砂糖よりもテイストがリッチとなり、結果「旨い」と判定されると考える。
この五味(以外も色々あるが)の組み合わせが「旨い」を体感するうえで重要でただたんに甘い、苦い、酸っぱい、というだけではなく組み合わせによって料理としての特徴づけがなされ深みが増していくと「旨い」の度合いも増していくものだと考える。これは人間「甘味」だけを取っていてもダメで、バランス良い栄養摂取が身体に求められているからこそ、様々なテイスト、フレイバーを含む方が好まれやすいのではないだろうか。
そう考えると甘味と合わせるのは苦味でなくても良い。例えば甘味+酸味という組み合わせは砂糖と酢を使う和食では良くある五味構成だし、甘味+塩味はここ数年の流行りだ。
しかし、「じゃあチョコレートに酢が加わると旨いのか?」というと、これはデリケートな問題だ。ただチョコに米酢をぶっかければ旨いかというと・・だが、バルサミコなら生チョコとやチョコレート味のジェラートにバルサミコをあしらったり一緒に煮詰めてチョコレートソースにするのは珍しくないし一般的に「旨い」と言える組み合わせだ。
▼バルサミコ、チョコ、カカオニブ、赤ワインを煮詰めたソース、簡単で旨い
じゃあ米酢の何が悪いのだ?というと、単に和洋が合致していないというだけでは弱い。試していないだけで実は上手に仕上げる策もあるかもしれないが一つ要因としてあるのは「未経験領域への恐れ」ではないだろうか。
味覚は育むものというが、やはり人間食べなれていないものや「何となく不味そう」と感じるものはやはり苦手なもの。ウチの親父などは田舎の漁師町に長く住んでいたことから味覚経験値がタコつぼ化しており、食べられる食材、料理のバリエーションが極端に狭かったし、祖父さんは晩年(比喩ではなく)マグロの刺身しか食べていなかった。二人ともこじゃれたフレンチなど1ミリも口にすることなく死んでいった。
しかし、当然フレンチはフランス人が食べてきた極めて安全・安心、栄養豊富な素晴らしい料理であり、パクチーなんかもははじめは食えたもんじゃなくても多少無理にでも食べてるうちに慣れてきたもの。要は食べた経験のある食品、フレイバー、テイストのものは「安全である」という経験値から「旨い」と判定、逆に人間は口にしたことのない物を摂取ことはリスクであるから「不安」や「危険」を感じることにより「不味い」と判定している、と考えると合点がいく。
見た目も採点要素だが、イナゴの佃煮だって2,3匹も食えば「香ばしくて旨い」と思えるようになるもんだ、食わず嫌いや「ふるさとの味」というのは大筋こういう事だろう。
このように五味のバランスが整ってて「諸々想定の範疇の料理」であることが「旨い」に必要な要素と思われる。
■「不味い」とはを掘り下げる
「旨い」をある程度規定すると「不味い」とは何かも見えてくる。旨いの逆を土台として考えると、
- フレイバー、テイストが強すぎる、弱すぎる
→甘すぎる、辛すぎる、臭すぎる
→味がしない
- 食べた経験の無いフレイバー、テイストがする
→外国人に納豆
→年寄りにフレンチ
- 食べ物じゃ無いフレイバー、テイストがする
→腐っている
→毒だった
→木、金属だった
がまずあり、派生として
- 見た目が無理
→ゲテモノ
- 口に運ぶ前の諸情報と違うフレイバー、テイストがする
→見た目が肉なのに魚の味がする
→ジンギスカンキャラメル
- 食事環境がヤバい
→パワハラを受けながら食事をしている
もあるだろう。
■実験
じゃあ上記のような点を注意して料理を創作すると「旨い物」(少なくとも俺は)が出来上がるのか?
以下を意識して一品作ってみる。
・五味は豊かに含まれる
・しかし行き過ぎた味付けにはしない
・経験のあるテイスト、フレイバーで構成される
・突拍子もない味付けにしない
・見た目は可愛く
↓作ってみた
▼ホワイトアスパラのチョコレートソース掛け
先ほどのチョコレートソースでホワイトアスパラの五味をふんだんに補完しつつイチゴを添えて可愛さUP。全て経験済みのテイスト、フレイバーで構成されており五味のバランスにも気を使い辛すぎるや甘すぎるというのも無い。
▼試食
うむ悪くない、が、五味の構成を意識した点は上手くいっており相乗効果はあるがホワイトアスパラの癖が悪目立ちしているので完成度はいまいち。あとイチゴはお飾り以上の必要性が無かったので不要。
ホワイトアスパラが瓶詰めだったこともあるだろうか、食感が全体的に足りないのもマイナス、生アスパラをソテーしたもののほうが食感が残り、ソテーの香りとソースの相性もよさそうだ。
■「旨い」「不味い」の仕組みを理解することの意味
思索と施策を通してボンヤリ見えてくるのは、論理的に料理することにより全ての工程や組み合わせの意味への理解が深まったことで導き出された「何がダメだったか?」「何をすべきか?」だ。
当然、素人がちょっと思索した程度のものなので科学的に間違っているかもしれないし的外れかもしれない。だがそれなりに(正しいかどうかは別として)整理した考えを元に施策していくことで「整理した考えと結果が合わない」「施策が整理した考えと外れていた」のが明らかになりやすくなる。それが料理のブラッシュアップと考え方のブラッシュアップ、レベルアップ速度の向上につながりやすくなるがよく分かった。
これは・・「料理の四面体」に学んだことそのままでは無いか!
正直、こんな思索は私のような素人ではなく学者さんやメーカー出身者の著書でも参考にしたいのだが、どうも見つからないのだ。
もし何か良い書籍をご存じなら教えて欲しい。何冊か買ったのだが主観的過ぎたり体系的になってなかったりで使い物にならなかったもんで・・。
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