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100日後に散る百合 - 44日目
認識されていないものは、存在しないも同然である。
久々の雨。
いよいよ、梅雨入り。これから陰鬱な日々が続きそうだ。
私の通学路は、家を出てから少々細い道を歩かなければならず、傘を差した状態で車とすれ違うのも嫌だし、何より水しぶきがはねるので、少し遠回りになってしまうが大通りを行く。
久々にこの道に出たが、向かいの方に重機が立ち並んでいるのが見えた。
何かを取り壊したのであろう。そこそこ広い空き地のようで、何が建つんだろうと考える。あるいは、何も建たずに駐車場になるか。
というか、そもそもあそこには何があったんだっけ?
確実に何かが建っていたことは覚えているのに、何が建っていたのか覚えていない。
いやもしかして、やっぱり最初から何も建っていなかったのかもしれない。
人間は、それに注意を向けていないと、その存在に気付かないことがある。
学校に着いて、昇降口の傘立てに傘を入れる。
その傍に朝顔の咲くプランターがあった。綺麗。
でも、こんな所に置いてあったっけ。
とはいえ、濡れた様子もないので、誰かが外からここに持ってきた訳でもなさそう。
最初からここに在ったはずなのに、私は、今、これを認識したのだ。
人間は、それを認識しないと、その存在に気付かないことがある。
逆に言えば、
認識さえしなければ、それは存在しないことになる。
[DEKADORIKU さんから1通のメッセージがあります]
璃玖からLINEが来た。
『昼休み、部室にて。20分だけ居ます』
この着信も、今私が認識したから存在するのであって、私が気付かなかったらこのメッセージは送られてないも同然ということなんだろうか。
そもそも、”認識した”という行為を認識するには、どうしたらいいんだろう。それが出来なければ、”認識”が存在しないことになってしまう。
うーん。分からん。
あと、このメッセージもよく分からない。最近は付き合ってくれなかったのに、急にまたお誘いとは。
とりあえず、昼休みになって、私は席を立つ。
咲季との約束はなかったものの、教室を出る時になんとなく目が合って、行ってきます的な感じの目配せをした。
特別棟の窓に雨が吹き付けている。本降りになってきたし、風も出てきたらしい。これは帰るときに大変そうだ。
さて、件の部室の前に着いた。相変わらず遠い。
璃玖が囲碁将棋部でなかったとしたら、私はこの部室のことは勿論、部活の存在すら無かったことにしてしまうんだろうな。
世の中には、私が知らないだけで、存在しているものが沢山あると思う。
きっとそれらは、私が知っているものよりも、遙かに多いはずだ。
それに、その存在は”実在”に限らないのかもしれない。例えば、虚数は理論上でしかあり得ないが、人為的に認識され、その存在を与えられている。
結局は、誰かが”認識した”とさえ言えば、在ることになってしまうのかもしれない。
実在に限らないと言うと、概念的なものにも適用されるのかな。
例えば、感情。”悲しい”を自覚した瞬間に、それが自分の中に存在として形作られて、余計に悲しくなるということは、私にもよくある。
やめたいな。認識さえしなければこんなに悲しくならなかったのに、となるから。
「かたいな…………」
立て付けの悪い部室のドアに手を掛ける。
そこでふと、璃玖の『20分だけ居ます』という言葉を思い出した。前半とか後半とかは明言されていない。
私の学校の昼休みは40分。つまり璃玖は、その半分の時間だけこの部室に居ることになる。
その理由はよく分からない。
そもそも、今の時点で璃玖は中にいるのか?
中の電気は点いてないっぽい。
2分の1の確率で璃玖は中に居ることになるし、2分の1の確率でいないことになる。
それは、私がこのドアを開けない限り分からない。
まあ居なかったら居なかったで、中で待ってればいいんだけどさ。
「お、開いた……………失礼しまーす」
結果から述べると、そこには璃玖は存在しなかった。
ただし、
「よっ」
監物風薇が存在した。
「え、璃玖は?」
「いないぞ」
「なんで」
「”誰が”20分居るとは言ってない」
あ、思い出した。そもそも璃玖が私を昼休みに誘っていたのは、風薇の指示があったからだった。
「3つ質問させて」
固いドアを閉めながら聞く。
「どうぞ」
「風薇がここに20分だけいるという解釈でいいの?」
「そう」
「なんで20分だけなの?」
「5限の課題をまだやってないから。残りの20分で終わらせたい」
「なんでここに風薇がいて、私を呼び出したの?」
「話があるから」
「なんで璃玖に私を誘わせたの?」
「それは4つ目の質問だぞ」
「最初の質問は、質問じゃなくて確認だから」
「今自分で『最初の”質問”は』って言ったぞ」
「じゃあいい」
窓の外は黒く厚い雲に覆われていて、結構暗い。
なんで教室の電気点けないんだろう。と言っても、私はこの部屋のどこにスイッチがあるのかを知らない。
ひとまず、風薇の向かいの席に座る。
この部屋で将棋盤を挟まないのは、なんだか新鮮だ。
と、思ったら、
「よいしょ」
風薇が将棋盤を出してきた。
「私じゃ相手にならないでしょ」
風薇も璃玖の前には完敗だが、ある程度強い。璃玖曰く、この人は感覚で打っているそうだが。
「そうだな、モカには通算全勝してる」
「あ、でも1回だけ私勝ったじゃん」
「いつ?」
「いつか憶えてないけど、風薇が二歩したとき」
「それは私の反則負けであって、モカの勝ちではない」
「相変わらずだなあ」
「なにが」
「負けず嫌い」
「違う」
「認めなよ」
「違うったら違う。勝手に決めんな」
あー、
またやってしまったか。
気を遣えないのが私の悪い癖だ。
いや、今のは十分負けず嫌いとからかっても良いとは思うのだけれど。まあでも、本当にも負けず嫌いだったらそういう指摘も嫌なんだろうな。
風薇が駒を並び終えるのを待って、私は気になっていたことを聞く。
「ねえ、風薇」
「なんだ」
「私の言ったことで嫌な思いしたことある?」
「んー、嫌な思いっていうんじゃないが、しょっちゅうムカつきはする」
何食わぬ顔で、歩を進めている。
「うわー、やっぱりかぁ…………」
「何、自覚あんのかよ」
「最近わかったの。ごめん、今までで傷つけたことあったら」
「なんだよ調子狂うなあ」
「風薇が構ってくれないの、その、ちょっと寂しくて」
「お、おう…………」
「風薇は、私にとって大事な人だから」
「い、いや、別にそんなに、私も怒ったりしてないって!?」
「本当?」
「ていうか、モカのそういうずけずけ言う所、私は好…………その、良いと思うぞ」
「そ、そっか」
「モカから言ってくれれば、昼休みくらい、いいよ、全然…………」
それから、なんとなく会話が途切れ、
部室には、土砂降りの重たい雨の音と、駒を置くぱちんという軽い音が響く。
私の歩が、風薇の角で取られたところで、
「それで、どうなんだ。立川咲季とのその後は」
と、聞かれる。
「昨日見た時はびっくりしたよ。いつか見た猫を追いかけてたら、お前らいるんだもん。あそこに人がいるとも思わなかったし。そしたらモカいるし、しかも一緒にいるのが立川咲季だし」
「あれ、顔知らなかったんじゃないっけ」
「さすがにちょっと調べたよ。でも、一緒に昼休みに弁当なんて、結構仲良くなったじゃん。まあでも、モカのことだから告白はまだ出来てないんだろうけど―――」
「付き合ってるよ」
「…………え?」
風薇の顔が固まる。
「付き合ってるの。私と咲季」
駒を持つ手も固まっている。
「…………そっか。へー。あ、じゃあ、まあ、おめでとうだな。良かったじゃん」
祝福されてんのか、これ。
「ただなー、立川咲季は人気者だから、モカは変なやつに目付けられないように気をつけろよ。ははは」
ぱちん。
「あ、二歩」
風薇が、持ち駒の歩を既に歩がある列に置いてしまった。
「今のなし!」
「いや、負けでしょ」
「モカのことにちょっと動揺してただけだ。本当は隣に置きたかった」
「本当?隣だと私の飛車に取られるよ?」
「…………」
「負けでしょ。認めなよ」
すると突然、
閃光。
ピカッ!!!!
轟音。
ゴロゴロゴロ!!!!
「ひやぁあ!!」
「うわ、びっくりした」
驚いたのは2点。
1点目、急に雷鳴が轟いたこと。
2点目、風薇が可愛い悲鳴を上げたこと。
「あれ、もしかして風薇、雷苦手なの?」
「ち、ち、ちげーし!!」
「いや別にからかってるんじゃないんだけど…………」
「違うったら違う!…………帰るぞ」
「え、風薇?」
そそくさと席を立ち、ドアの方に向かっていく。
私も追う。
「あー、もうかってえな!!このドア!!」
小さな体で、一生懸命力を入れている。なんか可愛いな。
「モカ!一緒にやるぞ」
「いや、2人でやっても」
「いいから!!」
あんまり意味ないと思うけどなあ。
渋々、私も取っ手に手をかけると、
閃光。
轟音。
「ひゃぁんっ!」
再び風薇が悲鳴を上げ、そして私に抱き着いてきた。
そんなに苦手なんだ。
教室が暗いのも、余計に恐怖を煽るのかもしれない。
「やっぱり怖いんじゃん」
「こ、怖くない」
「抱き着いてんじゃん」
「バランス崩しただけだ」
「震えてんじゃん」
「(舌打ち)」
「いやだから、からかってるんじゃないの。別に怖いものがあってもいいじゃん」
風薇のサイズ感がちょうどよくて、少しだけ強く抱き返してあげる。
風薇が、わずかにビクッと震えた。
「…………認めたら、負けになるじゃんか」
普段からは想像できないほど弱弱しい声で訴えている。
「何に負けるの?」
「それは―――」
閃光。
轟音。
「あうううっっ!!!」
きつく、風薇から抱きしめられる。
この状況、咲季に見られたら嫉妬してくれるかな。逆の立場だったら、私は間違いなく妬き散らかしている。
でも、
こんなに怖がっている子を、突き放すこともできない。
「大丈夫だよ。私がいるから」
咲季にしてもらったように、その小さな頭を撫でる。
安心するんだよね、これ。
しかし、
「……………!!」
むしろ、風薇の腕に力が入っている。
それになんだか、さっきより震えてる?
「…………モカ」
地鳴りのような雨音の中、なんとか掻き消されずに聞こえた。
対して、腕の締め付けはどんどん強くなっていく。
「モカ、モカ…………!!!」
声も次第に大きくなっていく。
「え、何?」
「モカ!!!私、私…………!!!」
叫びに近い、その声が響いた瞬間、
閃光。
轟音。
え…………?
一瞬だけ明るくなった視界には、
面前に風薇の顔があり、
私の唇には、
何か熱く、柔らかいものが押し付けられていた。
「ぷはぁっ」
離れた。
えと、
これは、
あの、
ん?
「あー!!もう!!ふざけんなふざけんなふざけんな!!!」
突然、風薇が声を上げる。
「せっかく気付かないようにしてたのに!!!認めないようにしてたのに!!!!」
暗くてよく分からないけど、その目が少し潤んでいる。
「負けちゃうんだよぉ!!!認めたら負けちゃうのにぃ…………負けたくないのにぃ!!!」
頭が、ぐっと私の胸に押し当てられる。
両手で私のブラウスを強くつかんでいる。
「好きなんて、認めたくなかったのに…………!!!」
その子は、ずっと震えていた。
窓には、雨が強く叩きつけられていた。