100日後に散る百合 - 74日目
金曜日、学校から帰ってきて、ベッドに身を投げて、たまった疲労感が口から抜けていく。それとともに、少しずつ、憤りというものが心を支配するようになった。
原因は、咲季だ。
結局、あのあと私は更衣室で散々虐められてしまって、もうへとへとなのである。声を出さないように我慢していたから、余計な神経も使ってしまった。タオルをずっと噛んでいたので顎がすごく痛い。
というか、そんなに我慢できていなかったと思う。どうしたって息は漏れるし、声も溢れてしまう。
それにだ、多分ギャル子にはバレているのである。確かに、あのとき教室に帰ってきたのは私ひとりだけだったが、それはギャル子が運動場にジャージを取りに戻ったからだ。そのあときっと更衣室にも来ただろう。仮に私が声を我慢できていたとしても、ドアの前まで来ればさすがになにかおかしいと感じて、別の場所で着替えたに違いない。
最悪だ。ギャル子に咲季と付き合っていることがバレていたのも、キスを見られていたのも相当に屈辱なのだが、学校でやってることが知られるとは、本当に最悪だ。
いくらお互いがお互いのことを隠しているとはいえ、さすがに今回ばかりはバラされるのではないかとヒヤヒヤしてしょうがない。
第一、更衣室に近づいた人間がギャル子だけとは限らないのだ。もしかしたら先生かもしれない。そしたら全校集会ごとだ。
もう、ばか。本当にばか。
なーにが、「更衣室は行為する場所だよ?」だ。全然うまくないわ。
汗臭いままされるのも恥ずかしかったし、無理やり感もあって、ちょっと嫌だった。
というか、私は「嫌だ」と言ったんだ。
感じちゃうのは、そりゃ、生理現象だから仕方がないのだ。咲季のことが好きなんだから仕方ないのだ。でも、嫌なものは嫌なのだ。
私の家にテスト勉強しに来た時だって、記念日デートの時だって、咲季が強引にしてくるのはなんか怖いから嫌なのだ。
あー、もう。咲季のばか。
ばか。
ばかばかばか。
「更衣室でなんかやってたらしいよ」
「えっ、きも。まじ信じらない。みんな使うとこなのに」
「ていうか、学校でやっちゃうのがまずやばくない?」
「えー、先日、校内でふしだらな行為をしていたと思われる生徒がおり」
「気持ち悪い」
「変態」
「おはよう、性に従順なビアンさん」
「あはー、レズの匂いがする」
「ねえ、きもちよかった?」
「そんな人だったんだ、金子さんって」
「レズが伝染るから近寄らないで」
「じゃあ、みんなの前でさ、一人でやんなよ」
「レズなんだから、できるよね?」
「女の子に見られるの好きなんだよね?」
「子供も産めないのにシたいとか、まじで性欲だけじゃん」
「大丈夫?」
「どっか、悪い?」
「お姉」
うわあああああああ!!!!!!
あれ、えと、
「お姉? 大丈夫?」
「…………あ、行雲ちゃん。今、帰って来たの?」
「うん…………お姉、部屋から、”うー、うー”って。身体、どっか、痛い?」
行雲ちゃんが、心配そうに私を見ていた。長い前髪から見える瞳が、いやに澄んで見えた。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れてただけ。ごめん、今からご飯作るからね」
窓も開けず、扇風機もつけないまま寝てしまったらしい。まだ冷房を必要とするほどではないが、何もないと汗は滲む。
「行雲ちゃん、シャワー浴びる?」
「え? うん」
「じゃあ、一緒に入ろっか」
私から滅多にしない提案に戸惑う行雲ちゃんだったが、まあ、それでも嬉しかったのだろう、快諾してくれた。
夕方は汗を流す程度だったので、夜になって改めてシャワーを浴びた。
もう寝るばかりだったのだが、スマホに着信があった。咲季からだった。
「……………いいや」
気付かずにそのまま寝てしまったことにしよう。
にしても、さっきは酷い夢を見てしまった。少し眠るのが怖い。
咲季だって、私と付き合っていることは学校では秘密にしたいはずだ。もし更衣室のことがバレたら、私たちの関係性まで露呈することになりかねない。
見境なく本能に突き動かされるような子だっただろうか、咲季は。
しかし、妙だ。男の人だったら、我慢できなくなって無理やりしようとしちゃうのは分からなくもないが、咲季は徹して私にするばかりなのだ。彼女自身が気持ちよくなるのでなはないし、性欲に溺れていると考えるにはやや違和感が残る。
それともレズはそういう生き物なのだろうか。
***
起きて、土曜日。7月11日。
今朝も咲季から着信があったみたいだけど、無視する。
「萌花ちゃん、今日、暇?」
「え、暇ですけど」
リビングへ向かうなり、いずみさんが聞いてきた。
「お友達とね、玄成門にランチに行こうと思ってたんだけど、急に来れなくなっちゃったみたいなの」
玄成門というのは、都内にあるオシャレでラグジュアリーな地域だ。外資系の会社とか、ブランドのショップとか、ミシュランのレストランとかが多いとテレビで言っていた。ちょうど、この前行った劇場の方面だ。
「で、せっかくだから、萌花ちゃん、どう? 行雲は部活だし、譲治さん仕事だし」
「いいんですか!?」
「フレンチなんだけど」
「え、はい、いいですけど…………」
「よかった~、じゃあ、12時に予約してるから、10時半くらいに出るつもりで」
「分かりました」
やったぜ。
いずみさんのやや乱暴な運転に揺られ、お高そうなフランス料理店「tournesol」に着いた。印税で生活できる人が入るようなお店には違いなかった。
「そういえば、今日来れなかったお友達というのは」
「青崎先生。『九面回廊』の青崎蘭先生」
「あれ『九面回廊』って、なんか賞獲ってませんでしたっけ」
名前を聞いたことがある。
「そうよ、ベストミステリの2018年だったかな」
「ほえ~」
「お待たせしました、鯵のポワレ-ホエーとキュウリのソースでございます」
「萌花ちゃん、ホエーって?」
「チーズ作る時に出てくる水分みたいなものですね。ヨーグルトの上澄みとかもそうです」
「ほえ~」
フレンチの食材の合わせ方は、料理好きとして非常に興味深いところではある。魚と乳製品のソースが合うのは分かるが、キュウリを一緒にする発想には至らない。鯵をさっぱりと食べるには実にいいソースだった。
食材には、相性というものがある。フィーリングで合わせることも悪くはないのだが、ある程度論理的に考えると、他の料理に応用できることも多い。
相性か…………
「なにか欲しいものある? 服とか、アクセサリーとか」
「うーん」
せっかくだから買い物でもしようとなったが、正直こんなおしゃれなところで買うものなどない。
服は今度咲季に見繕ってもらおうと思っていたし、アクセサリーも別に要らない。
そういえば、咲季の誕生日が近かった。確か来週末だったはずだ。
結局、咲季のことはまだ少しイライラしているが、なんだかんだプレゼントを買ってあげなきゃなあくらいには思っている。嫌なことはあったけど、咲季のことを嫌いになったわけでもないし、誕生日を祝ってあげたい気持ちもあるし、何か贈って喜んでほしいとも思っている。恋人とはなんと面倒な関係性なのだろうか。
「あの、プレゼント買いたいんですけど」
「あー、彼女さんの? 何買うの?」
「いや、決めてなくて。何が良いかとかも聞いてないんですけど」
「でもなあ、JKに贈るものなんて私も分かんないしなあ」
「ですよねえ…………」
「まあ、とりあえずどこか入ってみようよ。何かビビッと来るものあるかもしれないよ」
そう言って、通り沿いのビルに案内される。「クォーツタワー」というらしい。
中は螺旋状という不思議な設計になっていて、決して居心地がいいとは思えない。ざっと見た感じ、1階(階の概念があるのかよく分からないが)はカフェとか、ケーキ屋、チョコレート専門店みたいな食品系のお店があるようだ。
私といずみさんは、中央の筒型のエレベータで、とりあえずそれっぽい階に向かうことにした。階の概念はあった。
エレベータはすべてとは言わないがガラス張りになっていて、360度見渡せる。乗り込んだ時、私は奥に見えたカフェがふと気になった。モノトーンを基調としたシックな雰囲気の店内に、なにか異質な存在があったから。
鮮やかな水色。それは髪だった。ツインテールに結ばれた長い髪は、遠くからでもサラサラなのがよく分かった。
知っている。よく覚えている。
あれは、この前舞台に立っていた人だ。そして、咲季の元カノだ。
「ドアが閉まります」
扉が閉まる直前、私は目にしてしまったのだ。
そのカフェに入った長い黒髪の女性。この人も綺麗な髪をしていた。店員に案内されたのは、酉本香乃のいるテーブルだった。
咲季が、元カノと会っていた。