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100日後に散る百合 - 27日目
「咲季、好き」
沈黙は、長かった。
こういう時、その止まった時間を1秒間に感じたり、あるいは1時間に感じたりするのが、漫画とかでよく見る体感の仕方だ。
けれど、咲季が口を開くまでは、本当に長かったと思う。
私は、とても咲季の顔なんか見れなくて、
本当は聞こえてなかったんじゃないか、とか、
実は私が強く思っただけでそもそも声に出していなかったのではないか、とか、
でも、そんなことを確認するのも恥ずかしくて、
私はただ、その答えを待つしかなかった。
ぎゅっと掴んだスカートの裾を、ただ眺めるしかなかった。
私の中で大きく膨らんだシャボン玉が、
宛てもなく、空を彷徨う。
そしてそれは、
彼女に触れた瞬間に、
「ごめん」
割れてしまったんだ。
「ごめん、萌花」
咲季の優しい声が響く。
大好きな声なのに、
ちっとも嬉しくない。
身体が冷え切っている。
さっきまであんなに熱かったのは、まるで錯覚だったみたい。
全身に広がった黒い水は、次第に凝固していって、
どんどん、重くなる。
その重圧で、私の口から言葉が漏れ出る。
「咲季が謝ることなんてないよ」
それは、
「私が勝手に感情を押しつけただけなんだから」
咲季に向けた言葉ではなくて、
「受け入れて貰えなくて、当然だよね」
私自身への、
「出会って間もない、ただの友達なのにね」
言い訳だった。
「萌花」
「わっ」
咲季が、私の肩を掴んでくる。
一瞬、目が合ってしまって、私は慌てて逸らす。
「聞いて、違うの」
「…………”違う”、って?」
「萌花の気持ち、しっかり届いてるから」
逸らした目を、戻してみる。
「すごく、嬉しかったよ」
咲季の言葉を、理解しようとする。
「”好き”っていうのは、そういう好きでいいんだよね?」
静かに、頷く。
恥ずかしいから。
「でも、ごめん、ちょっと時間が欲しいんだ」
咲季は、
やっぱり優しくて、
「少し考えさせて?」
私の頭を、そっと撫でた。
「おう、萌花、おかえり。ケーキ買ったけど食べるか?」
「ああ、いいや。お腹空いてないから。明日食べるよ」
「そうか」
「ごめんね、買ってくれたのに」
そのまま部屋に戻った。
ベッドに仰向けになって、イヤリングを付けたままだったことに気付く。
外すのが、難しかった。
頭を撫でられた時の感触が、
一日経った今も残っている。
私は昨日のことをずっと考えている。
なんで告白なんてしてしまったんだろう。
いやまあ、それは、咲季が好きだからで、
咲季が誰かに獲られたら、嫌だったからで。
でも、そもそも、咲季にも既に付き合っている人がいるんじゃないかとか、好きな人がいるんじゃないかとか、そういうことをまったく考えていなかった。
どこまでも自分勝手で、わがままで、
咲季のことが好きなのに、咲季の気持ちなんて全然考えてなかったんだと反省する。
咲季は「すごく、嬉しかったよ」と言ってくれたけど、きっと、優しさで言ったんだと思う。
それに、”考えさせて”という返答は、決して前向きなものではない。
わざわざ誕生日に振るのも可哀想だから、答えを先延ばしにしてくれたのかもしれない。
仮に、本当に考えてくれるにしても、
それは、私と付き合ってどうなるかを吟味するということだ。
私と付き合うことのメリットとデメリット。
挙げたら、どう考えてもデメリットの方が多い。
私なんかと付き合って、いいことなんて何もないだろう。
こんな空っぽの人間で。
そのくせ、わがままで。
好きになってもらう要素が何一つない。
あー。
もうなんで。
告白なんてしなきゃよかった。
これまで通り、ずっと友達で良かっただろうに。
別に咲季が誰かと付き合っても、友達でいられるならいいじゃないか。
そもそも、私と咲季は釣り合ってないし。
あー。
馬鹿だ。
本当に馬鹿だ。
昨日の帰りも、そんなことを思っていた。
今日の日中も、そんなことを思っていた。
結局、同じところに行きついて、
そしてずっとぐるぐる廻っている。
でも、
私の身に何があろうと、
世界は普通に回っているし、
学校は普通にあって、
家族は普通に過ごしている。
「おかえり、萌花ちゃん」
「ただいま、いずみさん」
帰宅して、自室に戻る手前、いずみさんに会った。
「聞いてよ!作業終わったの!」
「あ、そうなんですか。おめでとうございます」
最近のいずみさんは、ずっと忙しそうだった。
眼鏡の奥に、濃いクマが見える。
「じゃあ、お疲れ様でしたということで、夕飯は少し豪華にしますか?」
「いや、悪いよー。いつも作ってもらってるのに」
「いいんですよ。ハンバーグとかにします?」
いずみさんは、ハンバーグが好きなのだ。
「うふふ、ありがとう。じゃあ楽しみにしてるわ」
部屋に戻ろうとしたいずみさんだが、思い出したように、
「あ、そうだ、萌花ちゃん」
「はい、何ですか」
「お線香、新しいの買っておいたから。リビングのテーブルのところに置いてある」
「あ、ありがとうございます」
「それと、」
眼鏡を外して、
「何かあったなら、話聞くからね」
いずみさんも、人の心を容易く読んでくる。
風薇といい、いずみさんといい、私の周りはエスパーだらけだ。
「誰かのために言葉を紡ぐのが、私の仕事なんだから」
そう言って、部屋に戻っていった。
仏壇にお線香をあげる。
そういえば、宗派によって、あげる線香の本数が変わると日本史の先生が言っていた。
うちは日蓮宗なので1本。まあ、もとから1本しかあげてなかったけど。
他の宗派は3本とかもあるらしい。
「お母さん、昨日、来れなくてごめんね」
昨日の私は、そのまま部屋に戻ったので、仏壇の前に来るのを忘れていた。
忘れていた?
行こうとしなかったのかもしれない。
「お母さんの卵焼き、美味しいって言ってもらえたよ」
でも、もうあの子には食べてもらえないと思うけど。
「私、もう17歳になったんだ」
全然成長できた気がしないけど。
「初めて、友達に誕生日祝ってもらった」
サプライズでケーキが出てきた。
イヤリングも貰った。
「…………なのにね、なんか、虚しくなっちゃった」
それは、私が悪いんだけども。
「今日は、いずみさんが作業終わったみたいだから、ハンバーグ作るの。私ね、多分お母さんより手捏ね上手くなったよ。でも、全然手捏ねしない人もいるらしいね、私この前初めて知った」
時計を見る。
秒針は、何事もなく回る。
「ごめん、お母さん、もう買い物行かなきゃ。今日月曜だから」
手を合わせる。
南無妙法蓮華経。
南無妙法蓮華経。
南無妙法蓮華経。
顔を上げた先に、
線香が1本。
昨日の、ロウソクが1本刺さったケーキを思い出す。
泣きながら、火を消した。
そういえば、あの時も、咲季に頭を撫でられたな。
後頭部が、少し熱くなった。