100日後に散る百合 - 66日目
金曜日。
お風呂から出た私は、ベッドに横になる。
今日作った夕飯の写真をインスタに投稿。うーん、いまいち美味しそうにならない。もうちょっとフィルタの設定とかいじった方がいいのかもしれない。
咲季をフォローするためだけに作ったアカウントだが、これで少しは存在意義が出てくるだろうか。
こうなった経緯は、昨日の話が発端だ。
*
「もう、萌花どっか行っちゃったのかと思った」
「ごめんね、遅くなっちゃって」
財布を囲碁将棋部の部室から回収した後、つくしちゃんたちとの一件で、咲季を随分と待たせてしまった。
「なにかあった?」
昇降口の隅の壁に寄りかかって、咲季が聞いてくる。
私はそこで本当のことを言うべきか迷った。でも、つくしちゃんに「誰にも言わないで」と言われたし、逆に、私もつくしちゃんに咲季とのことは話していないのだ。公平性という面では、咲季には隠しておくべきだろう。
「黙秘する。ちょっとしたトラブルに巻き込まれて、でも当人に秘密にしてって言われちゃったから」
まあ、そのトラブルは私の勘違いのせいだったんだけど。
「そっか」
黙秘されて、咲季は少し不満そうだった。でも黙秘権制度は咲季の提案だ。自分のルールで苦しんでいる。
でもまあ、待たされた身の咲季としては、その理由が明らかにされないとモヤモヤはするだろう。さすがにちょっと申し訳ないので、
「じゃあ、お詫びのしるしに―――」
ローファーを履いて、咲季のもとに向かう。
「んっ」
「ん……ちょ、もえか!?!?」
キスした。ふふ、驚いてやんの。
いつも咲季からしてくるけど、私だってこれくらいできるんだということを見せつけたかった。多分、つくしちゃんたちのところで変な勇気を出してしまったからだろう、今の私はなんか、強かった。
「あ、あぁ…………」
いつも余裕そうな咲季がわなわなしていて滑稽だった。今後もちょっとからかってやろう。
手を繋いで帰って、私の家に着く。
いずみさんがニヤニヤしながら、「私、どっか出掛けた方がいい? 2人きりの方がいいよね?」とか執拗に聞いてきて、ちょっとウザかった。
「リリ先生って、本当にイメージ通りの人だよね」
私の部屋に入るなり、咲季が呟く。
「どんなイメージ?」
「んー、言葉にするのは難しいけど、なんだろう、茶目っ気があってかわいい人だなって思う。本読んでた時から、そういう人なんだろうって感じてた」
「なるほどね」
淹れてきた麦茶を咲季に渡す。喉が渇いていたのか、一気に飲み干してしまった。
「冷たくておいしい。誰かさんが待たせたから、喉カラカラだった」
「ごめんって」
拗ねた表情も可愛いけど、ご機嫌を取るにはもうちょっと私が頑張らなければならないようだ。
空になったグラスを受け取ってミニテーブルに置いて、私は本棚のイヤリングを手に取る。
「インスタさ、作った料理を投稿するのはどう?」
リングをつけていると、後ろから咲季が言ってきた。
「料理?」
「結構多いよ、そういう人。お弁当を投稿してる人もいるし、レシピ載せてる人もいる」
「へー」
「こういうお料理系のポストって、いいねも付きやすいし、フォロワーも多いんだよ?」
「いや、別に私はフォロワーとか要らないんだよ」
ただ、インスタをやる意義が欲しいだけだ。そもそも鍵垢だし。
それに私は承認欲求というものがいまいちよく分からない。不特定多数の人の承認なんてどうでもいい。私は咲季に認めてもらえればそれでいい。
「でも、投稿して誰かに見られることを意識すると、料理のモチベーションは上がるかもね。一人暮らしの人とかは良さそう」
お父さんも学生時代は自炊していたというが、おかずは皿に盛らずにフライパンから直接食べていたそうだ。
「あとはレパートリーの把握にも使えるかな」
今週の献立を考えていると、もう先週には何を作ったかあんまり覚えていないのだ。うちの家族はメニューが多少被ったところで文句を言う人達ではないが、料理を振舞う身としては、そういう所を考えるのも含めて”料理”なんだと思う。
「まあ、気が向いたらやる」
「やならさそうだね」
振り返ると、ベッドにもたれるようにして咲季が床に座っていた。軽く開いた脚の間…………パンツは、見えない。って、何を考えてんだ私は。
イヤリングをつけた私は、ちょうど咲季の両脚の間が空いていたので、そこにちょこんと収まるように体育座りする。
「え、ええ!? 萌花!」
「ん、なに」
「いや、え、いや、あの、ええ、萌花、そんな子だったけ?」
後ろを見遣る。なんだか咲季が困惑しているようだった。膝の間に私が座ったのがよほど不思議だったのだろうか。
「あ、えと、嫌?」
「ううんううんううん!!全然!!全然嫌じゃない!!むしろ、いいの、あのすごく!!彼女感あるよ!!」
「実際彼女なんだけどー」
背中を咲季に預けて、少しいじけた。
咲季がためらいつつも、後ろから優しく抱いてくれる。
「…………あ、ねえ、舞台観に行くときって何着てけばいいの?」
「ん? なんでもいいよ? 常識の範囲内なら本当になんでもいい」
週末の演劇を観に行く時の話だ。
「あ、でも劇場の中、席によっては冷房きついかもしれないから、その辺は気を付けた方がいいよ」
「そっか」
「舞台の上ってね、照明が強く当たってるから、結構暑いんだよ」
「なるほど。じゃあ、咲季は―――」
”前の学校にいた時に、舞台に立ったことがあるの?”
そう聞こうとして、やめた。この前、部活の話を聞いたら黙秘されてしまったから。なんとなく触れるべきではないと思った。
「萌花?」
「ううん、なんでもない」
「あー、そういえば、急に泊まりにしちゃったけど大丈夫? 親御さんの許可とか」
「うん、特に何も」
「よかった。男女のカップルだったら、なかなか難しいからね」
確かに。普通の女の子たちは「友達の家に泊まる」とか親に嘘ついて、彼氏の家に行ったりするんだろう。
たとえその2人が本当に純粋なお泊まりをするだけだったとしても、特に私たちは高校生だし、それを許してくれる親は少ないかもしれない。
咲季とお泊まりできて嬉しいな。
…………ん、
ていうか、今度のお泊まりって。
……………………する?
そういうコト。
まあ、正直この問答は、この前から何回も自分の中で繰り返しているのだけど。
私は、その、するんじゃないかと思ってる。
いや、これは決して私がしたいと思ってるとかそういうことじゃない。断じて違う。違うぞ。
咲季を見ている限り、絶対にしてきそうなんだ。この前のキスとか、胸触ろうとしてきた時とか、耳舐めるのだって、明らかにそういうことをしたいっていう現れだ、と思う。
咲季はきっとやりたいはずなので、まあ、それには彼女の私がある程度応えなければならない訳で。それが、私の責任なのだから。
決して、私がしたいと思ってるわけではない。
それよりも、
「あの、咲季」
「なあに?」
「ハグするのはいいんだけど、首元に顔うずめないで、くすぐったい」
「萌花の髪、柔らかくて気持ちいいよ」
「話を聞かない子だなあ」
後ろから回された咲季の手は、私のお腹の前でかっちり組まれている。それは私を単に欲しているようにも見えたし、逃がさないという意思表示にも見えた。
「すんすん」
「ちょ、におい嗅がないで!!」
咲季は無邪気な子犬のように鼻をひくつかせている。
「別にくさくないよ?」
「いやだ、恥ずかしい」
「萌花抱いてると安心する」
「褒めてる?」
「褒めてる」
私も、咲季に包まれて安心している。
ここが私の居場所なんだって、そう思える。
今、かな。
「ねえ、咲季」
「ん?」
「…………ありがとう」
今日言おうと思ってたことがある。
「私、咲季と出会えて、本当によかったと思ってる」
だけど、面と向かってはちょっと恥ずかしくて、背中を向けながらになってしまう。
「こんなに人を好きになれたのも初めてだし、私を好きになってくれた人も初めてで」
伝わるといいな。
「今、すごく幸せなんだ」
一目見た時から、あなたが好きだった。
「それに、咲季のおかげで、私も少し変われた気がする」
私の中で、あなたは特別な存在。
「自分のこと嫌いだったけど、ちょっとだけ前向きになれた。料理ももっと楽しくなったし、学校に行くのも辛くない」
救ってくれて、ありがとう。
「まだ、1か月なんて短いかもしれないけど」
大好きだよ。
「ずっと、あなたと一緒にいたい」
振り返って、目を閉じた。
咲季はキスで応えてくれた。
なぜか、泣きそうになってる自分がいる。
どんだけ幸せになってるんだろう。
バカみたい。
別にいいや、バカだって。
「えへへ」
自然、笑みが零れる。
今日はなんか、テンションがおかしいや。
「萌花?」
「咲季…………もっと、して?」
潤んだ目で、柄にもなく上目遣いをしてしまった。
咲季の大きな瞳が揺れた。
「んんっ、ぁ、、っん、ん」
熱っぽい舌が、私の口に入り込んでくる。
「あ、、ん、ちょ、さきぃ、ま、ぅっ、ん」
予想はしていたけど、思ってた以上だったので少し抵抗する。
力が抜けきってしまう前に、咲季の肩を無理やり押さえて離す。
「はぁ、ん、もえか、なに?」
「ん、はぁ、はぁ、いや、あ、あんまり激しくすると、いずみさんに聞こえちゃう…………もうちょっと、優しく……して」
咲季が生唾を飲んだように見えた。
「……………萌花が悪いんだよ」
なんでだよ。
「今日の萌花、かわいすぎ」
そう言って、私のイヤリングを指で軽く揺らした。
「もっとしてほしいんでしょ?」
「て、適度に」
「わがままだなあ」
笑って、私の口を咲季が封じる。
柔らかくて、でも深いキス。
とっておきのデザートを、勿体ぶって味わうように、咲季の舌は私の中をゆっくりと放浪する。
咲季のいい匂いが鼻腔全体を覆っていて、それだけでもう、私の意識はどんどん混濁してしまった。
ゆらめく意識の中、少し目を開くと、咲季の綺麗な顔が淡く映る。
咲季の舌のざらざらでぬるぬるした感触と、時折身体に触れる細い指の圧だけがはっきりと伝わって、どうして私は一人の女の子にこんなにも支配されているんだろうと不思議になる。
ミニテーブルに置いたグラスは、結露ですっかり汗をかいていて、卓上に円形の染みを作っていた。
申し訳程度に響く水音が、余計な緊張感をもたらす。こんなにも熱いのに、一切の吐息も漏らしてはならないような、そんな気がする。
このまま死んでもいいかも。むしろ、こんなに気持ちよくなってる今、死んでしまうのが一番いいのかもしれない。
でも、そしたら咲季と一緒にいられなくなっちゃう。
どうしたらいいんだろう。
咲季にずっと、こうしていて欲しい。この甘ったるいキスを何回も繰り返して、私を満たしてほしい。
そういう夢だったらいいなと思って、眠るように私は目を閉じた。
どうして…………
「どうしてこうなった」
「なんでかな、あはは」
咲季に抱き着いているのは、学校から帰って来た行雲ちゃんだ。ねえ、そこ私の場所なんだけど。
この前の一件で、行雲ちゃんは咲季の母性に目覚めてしまったようで、こんなことになってしまった。
「行雲ちゃん、私そろそろ帰らないと…………」
「ママ~」
「行雲、リアルのお母さん本当に傷ついちゃうよ~」
いずみさんが、横からすごい悲しい声を出している。
「行雲ちゃん、咲季もまた来てくれるから、ね?」
「ん~」
「行雲、あんた萌花ちゃんのお友達に迷惑かけちゃダメでしょ?」
「ん~」
あー、ダメだ。これはダメな時だ。仕方ない。
「…………じゃあ、今日の夕飯は、ピーマンフルコースにしようかな」
「ふぇ…? い、嫌!ゆくも、無理、吐く。禁忌、食材。ゆくも、泣く!」
行雲ちゃんは好き嫌いが多いわけではないが、ピーマンはどうしてもダメらしい。これが虐待のトラウマ由来だとしたらとても申し訳ないのだが、行雲ちゃんが言うことを聞かないときはこの作戦を使う。
「じゃあ、咲季のこと、離してあげて」
「う、うん、ゆくも、はなす」
怯えながら、ゆっくりと腕が解かれる。
「ふふ、萌花、お母さんみたい」
ここには何人ママがいるんだ!
「すみません、リリ先生、長居しちゃって」
「こちらこそ、行雲がごめんね。また来てね」
「はい」
「それより、萌花ちゃん」
「なんですか?」
「本当に、ピーマンフルコース?」
「しないですよ」
「よかった~」
いずみさんは大人なんだから、我慢してくれよ。
「じゃあ、私、咲季を送ってくるので」
「うん、気を付けて」
「別によかったのに」
「いいの、私が送っていきたいの」
咲季の腕に抱き着いて、一緒に歩く。西日が眩しいけど、少しロマンチックで趣がある。
「今日の萌花、テンション高くない?」
「えへへ、高い。自分でも気持ち悪いくらい」
寝る前に思い出して悶絶しそうだ。
「可愛いよ、萌花」
「咲季も可愛い」
「んー、やりにくいなあ」
「なんでよ」
私が非難したところで、急に咲季が立ち止まった。
「…………やっぱり、ここのお家綺麗だね」
例の、庭がすごいお家だった。
夕日に照らされたユリの花は、鮮やかなオレンジに染まっていて、別の花のようにも見えた。
「萌花、今日はありがと」
「ううん、私こそ」
ここで、お別れ。
「じゃあ、また明日ね」
「うん」
風が触れたような優しいキス。
「…………好き」
「うん、大好き」
西日が眩しかった。