100日後に散る百合 - 71日目
身体が熱い。
息は荒く、背中は汗でぐしゃぐしゃだった。
意識がやや朦朧としていて、何を考えるのも億劫で、
でも目を瞑ると、全身の痛みが少しだけ和らぐような気がした。
のが、昨日までの話。
ある程度動けるようになった私はキッチンへ向かう。
冷蔵庫を開け、いずみさんが買ってきてくれたスポーツドリンクを多めに飲んで、身体に養分を浸透させる。
スポーツドリンクが美味しいと感じるシーンは、スポーツをした後。
そして、風邪をひいた時だ。
今日は水曜日。午前10時20分。
私は、月曜から風邪をひいてしまって、学校を休んでいる。
理由は分かっている。この前のデートで雨に濡れたまま数十分いたこと、夜は汗をかいたまま裸で寝たことだろう。
咳や鼻水といった症状はほとんどないが、今回は熱が結構高かった。が、薬がやっと効いてきたようで、今朝はもう平熱まで下がっていたのでひと安心。
いずみさんは今日も出版社と打合せがあるようで、不在。お父さんは仕事だし、行雲ちゃんは学校だ。
「ひとりだ」
平日の昼間に、一人で家にいるのが非日常すぎてなんだか落ち着かない。
一旦、玄関の外に出て、身体の中の空気を入れ替える。今日もいい天気とは言えないが、部屋に籠りっぱなしだった私には、十分に気持ちがよかった。
部屋に戻っても特にやることがない。
適当にテレビを点けるも、この時間はワイドショーばかりで特に面白くなくて消した。
時間もいい頃だし、食欲も出てきたので雑炊を作って食べた。
私が寝込んでいる間、食事はお父さんが作ったり、デリバリーでやりくりしていたようだ。
お父さんは職場でそこそこの立場にいるし、いずみさんは本の出版が近いし、行雲ちゃんも陸上の大会に向けて頑張っているところだったので、私はなるべく皆に伝染さないように部屋に籠っていた。
部屋に戻ってスマホを見ていると、咲季からメッセージが来た。ちょうどお昼休みみたいだ。
『おはよう、萌花。調子どう?』
「今朝だいぶ良くなった。明日には学校いけると思う」
『よかった!!!!!』
連日『お見舞いに行きたい!』と訴えてきていた咲季だったが、伝染すと申し訳ないので断っている。
ポコン
写真が送られてきた。
見ると、咲季と風薇と璃玖が写っていた。
……………
………………………は、
は、はァ~~!?!?
なんで、なんで、なんで。
いや、別に仲良くなるのは良いけど、なんか、違くない?そのメンツで私抜きでお昼食べるとかなんか違くない?あ、まあ私抜きなのは私が休んでるから仕方ないんだけど。
なんだ、なんだこのモヤモヤは。
まったく、咲季も楽しそうにしちゃってさ。
ふん。
知らん。
知らん知らん知らん。
もう、知らん。
仲良くやってるがいいさ。
知らんもん、もう寝る。
スマホを放って、ベッドに倒れた。
案外寝つけて、何かの物音で目が覚めた。
玄関のドアを開ける音。
今は何時だろう。
この位置から時計は見えないし、スマホは床にあって取るのが面倒くさい。
ぱたぱたと廊下を歩く音。
いずみさんか、行雲ちゃんが帰って来たのだろう。
「こんにちは~」
「!?!?!?!?」
これは、咲季の声だ。
え、嘘、なんで。
なんで家にいる!?
どうやって入って来た?
あ、さっき外に出た時に鍵を閉め忘れたか。
「あれ、誰もいないや。じゃあ部屋かな」
リビングの方から声がする。
待って、えと、どうしよう。
こっち来ちゃう。
どうしよう。
「萌花、いる?」
ドアの開く音がした。
なんか、なんか知らないけど、私は、
「おっと……………起こしちゃう」
寝たふりをした。
「寝てたんだ。だったら、玄関のカギ閉めとかないと危ないよ?」
入ってくる方もどうかと思うけどな。
「よいしょ~」
床に袋らしきものを置いて、咲季がベッドの傍に座る音がする。
「……………」
目を瞑っていても、なんか視線を感じる。は、恥ずかしいぞ。
「かわいいな、萌花」
~~~~~~~~!!!
やめてください。ナチュラルに口から零れたみたいな感想言わないでください。本気だと思ってしまいます。
「ちゅっ」
え、いま、え、
キスされた……………。
えー、ねー!?なんで!?
なんでキスするの!?
「無防備な萌花、かわいいよ」
やめろやめろやめろ。
しかも私が寝たふりをしている以上、無防備な自分を演じているみたいで余計に恥ずかしい。
「病み上がりなとこ起こすのも悪いけど…………暇だなあ」
事前に連絡したら準備してたよこっちも。
あ、連絡くれてたのかな。あのあと私が寝ちゃったから気付いてないだけか。
「もえかー」
咲季がゆっくりと近づいてくる気配。
「起きてくれないとー」
なに、起きないと何?
いたずらか?
いたずらしちゃうよか?
「いたずらしちゃうよー?」
やっぱりな。
「って、咲季!!」
「あ、おはよ、萌花」
「”おはよ”じゃないよ。なんでいきなり胸触ってんの!!」
「萌花、起きないから」
「私のレスポンスを待てよ。”いたすらしちゃうよ”に対してのレスポンスを待てよ」
「そんな怒んないでよ」
「怒ってない。”いたずらしちゃうよ”と同時に触ってんじゃん。それはもう”いたずらしちゃってるよ”だから」
「なにさ~、私が来たの嬉しくないの?」
小首をかしげて、少し上目遣いの子犬。
「……………いや、嬉しいけど」
ちゅっ。
ふわっと、咲季の香りが広がる。
「じゃあ、いいじゃん」
「……あのさあ、咲季ってさあ、」
「うん、なに?」
「いや、やっぱなんでもない」
「え、なに」
「いい。本当になんでもない。ていうか、風邪うつっちゃうよ。離れて」
いつでもキスできそうな距離に咲季の顔があるので、肩を掴んで距離を取る。
「大丈夫だよ。萌花も熱下がったんでしょ」
「治ったわけじゃない」
「へーきへーき。私、身体強いし」
「フラグ立てないでよ?明日私が学校行ったら、今度は咲季が休みとかやめてね?」
「休まないよ!私、萌花が来なくてすごく寂しかったんだから」
まあ、確かに電話もしていなかったし、私も咲季と会えなくて寂しかったのは事実だ。週末に濃い時間を過ごしたから、尚更。
けど、
「……………その割には、ずいぶん楽しそうだったね」
目を逸らして独り言のように言う。
「え、なにが?」
「別に」
「……あ、お昼に送った写真のこと?」
そうだよ。
「ふふっ、なに、また嫉妬?」
”また”ってなんだよ。
あと、そもそもこれは嫉妬なのか?
「あ、そうだ。それで風薇ちゃんがさ―――」
それで咲季が思い出したように話し始めた。
その声が明るくて、
なんか嫌だった。
「いい。聞きたくない」
あ……………
言った後で後悔した。
別に拒絶する必要もなかっただろうに。
私はなんで咲季に当たってるんだ。
よく分からない感情で彼女を振り回すなよ。
めんどくさい女になってるぞ。
「あ、ごめん……」
謝ったのは咲季の方だった。
それが辛くて、壁の方に寝返る。
なにやってるんだろう、私は。
なんで咲季が来たのに、わざわざこんなことしてんの?
「あ、あの、プリン買ってきたの。食べる?」
だけど、咲季は優しい。
私が勝手に不機嫌になっても怒らないからだ。いや、怒ったことはあるか。
「萌花、プリン好きでしょ?」
好きとも嫌いとも言ったことはない。まあ、好きだけど。
「ね、食べよ?」
「……………食べる」
私にきっかけを作ってくれたということだろう。
振り返って、ベッドから身体を起こす。
手にしていたのは、フィオリトゥーラの瓶入りプリンだった。
勝手にコンビニかなにかだと思っていたので、少しテンションが上がる。現金だな、私も。
「んー、美味しそう」
なぜかプリンは1つしかない。
咲季はその少し硬い蓋を外して、味気ないプラスプーンで中身を掬った。
「はい、あーん」
私の前に差し出す。
「え、なんで―――」
「あーん」
有無を言わせず、笑顔のまま固まっている。なんか怖い。
ま、まあ、食べさせてくれるならいいけど。
「あーん……」
「どう?」
「…………美味しい」
「よかった。じゃあ、私も」
同じスプーンで咲季も一口食べる。
「え、ねえ、本当にうつっちゃうよ、風邪」
「別にいいよ。デートのせいで風邪ひいちゃったんだし、私も風邪ひかなきゃ不公平だよ」
なんだ、その理論。
「はい、ほら、あーん」
また差し出されて、食べる。
卵の味がしっかりしている。
しつこくないけれど、甘さは十分に感じる。
ただ、カラメルは苦い。
苦かった。
「……………ごめん」
「んー、なにが?」
きっと意味は分かってるんだろうけど、咲季は知らないふりをしながらプリンを食べている。
「私、咲季が来てくれたの嬉しいのに。お見舞い、嬉しいのに」
「いいんだよ。風邪の時って不安になっちゃうもんね」
なんでもないように言ってくれる。
逆に言うと、少し寂しい。
「…………あの、怒ってくれていいんだよ。咲季の優しさにかまけて、私は本当にわがままになってる」
こういうセリフ自体がわがままだという矛盾に、言ってから気付く。
そんな言葉に、咲季は向き合ってくれる。
「恋人って―――」
咲季が本棚の方を見遣る。
「無責任に相手のことを肯定する関係ではないと思うし、自分好みに矯正する関係でもないと思うの」
視線の先にはイヤリングがあった。
「萌花が私のことを好きなのは知っているし、それ故にわがまま言うのも知ってる。前も言ったけど、私はそんな萌花が好きなの」
「けど、それで、関係が悪くなったら、やだ…………」
じゃあ、私がわがままを言わなければいいだけの話だろ、と自分で思う。
「そんなにわがままが酷い時は、さすがに私も言うから。萌花のこと、無条件で受け入れてるわけじゃないよ、私は」
それは、私にとって少し怖い言葉だった。
じゃあ、条件にあぶれたら、私は受け入れてもらえないんだろうか。
そんな不安に構わず、咲季が続ける。
「萌花だって、自分が嫌だったらちゃんと私に言うじゃん。それはそれでいいんだよ。だから私もそうするつもり。けど、言うほど嫌じゃないわがままなら、しょうがないなって甘やかしちゃう」
「……………」
「私のこと、信じてくれるんでしょ?」
付き合うことになった日から、咲季は信じることにこだわっている。
信じてるよ。
「うん。好きだから」
「ほら、じゃあ、もう機嫌直して。ていうか甘えて?」
咲季がぱんぱんと手を叩いて、場を仕切り直そうとする。
「あ、甘えてっていうのは?」
「風邪で辛かったでしょ?咲季ちゃんに甘えていいんだよ?」
頭を撫でられる。
強制されて甘えられることで、咲季は幸せなのだろうか。
「あ、そうだ。身体拭いてあげようか!定番の」
「”定番の”って、なに。えっちなことしようとしてる魂胆が見え見え」
「ちぇー」
咲季は残念そうな顔をしていた。
私はどんな顔をしてるだろう。
「来てくれただけで十分。プリンもありがとね」
「そっか」
そう言って、咲季がまたプリンに手を付ける。
スプーンで掬って、自分で食べた。
私は、その時の咲季の表情をしっかりと見ていて、
そして、その意味を知った上で拒まなかった。
「んんぅ、ぅ、れー、ら、ん、ぁん、られ」
気が付けば咲季の顔が目の前にあって、
気が付けばプリンが私の腔内に注ぎ込まれていた。
いつかのサクランボよりもどろどろで、もっと甘いキスだった。
「ふぁ、っ、らぁ、おいひい?」
応える代わりに、咲季の首に両腕をかける。
プリンの形がなくなって、その記憶だけが舌の上に残って、
それが咲季の唾液で上書きされていく。
「もえか、舌、だして」
「ん……………」
「もっと。れぇーって」
「れぇー」
「かわいい……っはぁ、ん、じゅる、ぅ、れえ、じゅる」
私と彼女の混ざった粘液が吸い取られていく。
微弱な振動が口全体に広がる。
私も同じようにしてあげたくて、咲季の舌を挟んでみる。吸うのはちょっと難しいね。
そしてまた、どろどろのキスが始まる。
もう、私は咲季のキスを覚えた。
それは無意識に刷り込まれたような本能由来の記憶で、考えなくたって、咲季のことをたくさん感じるように私の舌も振舞う。
「んー、ぅぅ、らぁ、、んん、ちゅっ、ぁ」
うねる舌の動きに呼応するように、腰ががくがくと震える。
思い出してる。
この前のことを。
身体が弱い刺激に燻っている。
頭が邪な感情に侵されている。
ああ、だめだ。
ねえ、咲季。
私、
おかしくなってる。
おかしくなってるの。
咲季のこと、愛おしくて堪らない。
咲季が欲しくてしょうがない。
「ぁ、ぁ、んん、っは、じゅるる、れ、れられらぁ」
細かく舌先を動かして、伝える。
腕で強く拘束して、伝える。
もっと刺激が欲しいこと。
たくさん愛してほしいこと。
「はぁ、っ、もえか?」
咲季が口を離す。
「ふふっ、我慢できなくなっちゃったの?」
頷きもしないで、ただ彼女の眼だけを見てる。
「……………いいよ」
ベッドに押し倒されて、咲季に上に乗られる。
こうして見下ろされるのが好きだったりする。
「れぇー」
咲季が首筋に舌を這わせて、
「あ、ちょっと塩っぱいね」
「ぁ、わたし、ちゃんとおふろはいってないや……」
そうだ、私は風邪をひいていたのだった。
ちょっと、さすがにこれで舐められるのは嫌だ。ていうか、臭ってたらどうしよう。
「き、きょうはなめるのなしで」
「んー、じゃあさ、お風呂入ろっか」
「え……」
「一緒に、ね?」
頷きもしないで、ただ彼女の眼だけを見てる。
咲季は笑った。