100日後に散る百合 - 24日目
数学の授業中、
ノートを見つつ解答を黒板に書く咲季。
昨日の夜、私が教えたところだ。
相変わらず、咲季は今日も可愛くて、
板書する姿さえ、様になってしまう。
優しくチョークを握る手から目が離せない。
咲季の字は、綺麗だった。
私の字が”かわいい”と形容されるなら、
咲季のそれは”大人っぽい”だと思う。
板書を終えた咲季は、自分の席に戻る際、
私の方を見て、何か口を動かしていたようだった。
たぶん「ありがとう」的なことだと思う。
私も「どういたしまして」とはにかんでおいた。
数学は嫌いではない。
授業の内容を理解するのは、さほど苦痛ではない。
ただ断じて、得意とは言わない。
所詮、授業で学んだことができるくらいで、応用問題なんかができるわけではないのだ。数学的センスがあるわけではない。
それでも、決まった方法に従っていれば答えはでるわけで、
そういう感じが、私は好きだ。
と言っても、文系に進んだのは、理科に対する苦手意識があったから。
それに、文系科目の方がなんだかんだ成績が高かったというのもある。
そういえば、風薇も同じようなことを言っていた。
風薇は、ほとんどの教科は満遍なくできてしまう方だ。
本人曰く「授業聞をいてれば、勝手にできるようになる」とのことで、実際、テスト前に勉強することも、あまりないそうだ。
地頭がいいというか、吸収効率に優れているんだと思う。
見たもの、聞いたもの、触れたものを、どんどん自分の中に取り込んでいけるらしい。
だからこそ、記憶力もいいし、博識でもある。
文系に進んだのは、社会学に興味があるそうで、そういう方面での進学を考えているから、らしい。
偉いなあ、将来のこと考えてて。
ところで、
私の成績がそこそこなのは、風薇と璃玖の影響による。
勉強を教えてもらったとかではなく、
私にはその2人しか友達がいなかったから、基準値を勘違いしてしまったのだ。
「え、何この学校の人たちこんなに出来るの?」と思って、必死になってテスト勉強したのが、1年の最初の中間試験の時だった。
おかげでその時は、学年25位とかになってしまった。
まあ、せっかくの努力を無駄にしたくなくて、その後もそこそこ頑張ったんだけどね。
それに、咲季に教鞭を執ることもできたのだから、やってて良かったというところではある。
ふと、全身が痛むのを思い出した。
昨日の夜に何度もつくった痣は、全然消える気配もない。
1回目、
『萌花』『すき』と言われて、椅子から転げ落ちた時。
いやまあ、もちろんそういう意味でないことは分かっている。
分かっているけど、そういうことではない。
恋する乙女は、好きな人から『すき』と言われれば誰でも椅子から転げ落ちるものである。
は?
乙女だが?
2回目、
部屋着姿の咲季とイッヌのツーショットが送られてきて、椅子から転げ落ちた時。
愛犬・コイラ君の写真を送ってくれたのはいいが、
それは、咲季の自撮り~コイラに抱き着きながら~というもので、
可愛いんですよ、とにかく。
コイラ君も可愛いんですけど、何より抱きしめている咲季が可愛すぎ。彼のこと大好きなんだなっていうのが凄い伝わってくる。
私も抱かれたい。
しかもですね、咲季が部屋着だったんですよ。
いわゆるドルフィンパンツというやつで、軽めの素材のドスケベショートパンツだった。ちなみに上はTシャツ。
咲季の細くて、白くて、しなやかな脚が、画面の端に見切れていた。
3回目、
デートに誘われて、椅子から転げ落ちた時。
嬉しかった。
夢かと思った。
デートと考えているのは、当然私だけなんだろうけど、
それでもいい。
私はデートのつもりで行く。
「で、あるから、グラフが x軸に交わらないとき、2つの虚数解を持つことになる、と」
昨日のことを思い返しつつ、板書を書き写す。
そういえば、「虚数単位の i はどこからやってくるのか」とか、「なんで2乗すると -1になるの」とか、咲季が言っていた。
確かにな、と思って、私も昨日少し考えた。
2次方程式を解いて、”解なし”じゃダメなんだろうか。
実在しない虚数という概念を持ってきてでも、解を求めたいのだろうか。
私が虚数を学ぶ意義とは何なのか。
そう思って、ちょっと調べてみたのだが、あまり収穫はなかった。
私のような文系高校生は、どうも虚数の存在の恩恵を受けることは難しいようだった。
x軸と離れた位置に、グラフを描く。
2次関数のグラフが上手く描けなくて、何回も消しては描き直す。
どうしてか、どんどん軸から遠ざかる。
やっと描けた。
そうやって出来たのが虚数解。
i を使って表した虚数解。
i × i = -1
私には、なんだか虚しいものに思えた。
授業が終わって、
今日の咲季の周りにも、誰かがいる。
さすがに転校生としての扱いは減ってきたようだが、
今では普通にクラスの人気者感が出てきてしまっている。
まずいな。
でも、私しか知らないことだって多分ある。
例えば、
コイラ君のことを知っているのは、私だけだろう。
「え?立川さんワンちゃん飼ってるの?写真とかある!?」
おいこら。
「いいよ、ちょうど昨日撮ったんだ」
いやそれ私のために撮ったやつだから。
「え~、可愛い~。もしかして、ゴールデンレトリバー?」
そうだよ。
「おお、正解。詳しいね」
いやゴールデンくらい素人でも分かるでしょ。あと正しくは”レトリーバー”だから。
例えば、
咲季の愛読書が何かを知っているのは、私だけだろう。
「へ~、立川ってエッセイとか読むんだ」
おいこら。
「うん、これはね、図書委員の時に先生から紹介してもらったの」
私その現場見てましたから。
「一斗リリ…………知らない作家だわ」
私は知ってますから。
「面白いよ、今度貸そうか?」
貸さなくていい。私が借りる。私が咲季の読み終わりたての本を借りるから。
例えば、
咲季の寿司のストラップのことを知ってるのは、私だけだろう。
「咲季の鞄に付けてるの、何?お寿司?」
おいこら。
まあでも、鞄にストラップ付けてることは、私は4日目の時点で気づいてたけどね。
「そうそう。ガチャガチャのやつでね」
1回200円のガチャだよね。今度私が当ててきてあげよう。
「咲季はお寿司好きなの?」
<咲季>呼びするのやめてくれませんか!?!?
「うん、中トロとか好き」
美味しいよね。私も好きだよ。
「へー、私も中トロ好き」
うるせえすっこんでろ!!
「今度お寿司食べに行こうよ」
行かなくていいから。私が行くから。
例えば、
えっと、
例えば、
例えば、
例えば例えば例えば!!!
あー。
だめだ。
思いつかない。
虚しい。
私にとって咲季は特別なのに、
咲季にとっての私は、きっとそうじゃないんだ。
私が知っていることは皆も知っているし、
私が知らないことを、皆が知ってるかもしれない。
咲季の中に、私という解はないんだ。
相手が私じゃなくたって、
咲季は好きなものの話をするんだろう。
相手が私じゃなくたって、
咲季は誰かの誕生日を一緒に遊んで祝うんだろう。
相手が私じゃなくたって、
咲季は『すき』と言ってしまうんだろう。
どうしたらいい?
どうしたら、咲季の特別になれる?
ねえ。
ねえ、咲季。
ポコン
[Tachikawa Saki さんから2通のメッセージがあります]
『宿題考えた?』
『夜、LINEするからね』
はー。
あーあ。
嬉しくなっちゃった。
咲季にとっては特別なことじゃないのに。
ちょろいんだなあ、私。