頑張れお父さん 3

2022年8月5日。カップラーメンでも美味しいと思うくらい病院食が不味くて「このまま病院におったらどうにかなりそうだけんなんさま退院させてくれ」と先生に懇願して、一週間ほど早めに一時退院した父。
コロナ感染真っ只中で自宅から動けない私たちを避け、母と二人きりの数日間をゆっくり過ごしていた。
実家はエレベーター無しの3階。途中途中やすみながらやっと上がれたらしい。前回退院の時はゆっくりではあるけどそこまできつそうではなかったので、だいぶ体力が落ちているんだろう。
この8月の治療で、先生が薬の量を間違えて若者用くらいの投与を行なうというミスがあったことを報告された。父に重い腸炎の症状が出て、副作用が消える頃に治まりはしたものの…医局長までずらりと並んでの謝罪が退院前にあったらしい。きちんと謝罪はしてくれたし、今のところ問題はないので父は許すと言っていた。揉めて入院中気まずくなったり、それで治療できなくなる方が怖いと。父本人がそう言うならと納得はしたけど、ちょっとモヤっとした出来事でした。

私たちはお盆休みに入ってから半日だけ実家に滞在し、「病原菌はこんでよか」と言う父の顔を距離をとって見た後、すぐ夫の実家の県へ出発。意外にも「コロナはきつかったや?大丈夫だったか?ちょっと痩せたねよかったたい」と優しい言葉はかけてくれたものの、しっかりマスクをして俺のテリトリーには入るなと言っていた笑

コロナの第何波かは忘れたけど、感染者が多い時期だったのであまり外に出られないまま自宅で過ごし、8月14日にはちゃんぽんを食べに行き1000円だけパチンコを。8月16日に焼肉ランチを食べ、体重48kgだったのを50kgまで増やしまた病院へ戻って行った。この頃には差し入れも緩和され、ふりかけやフリーズドライのお吸い物やカップラーメンはOKで、ナマモノや調理したもの以外なら大丈夫になっていたので、要望があれば母は病棟のドアまで届けに通う日々。

9月に入りまた退院の日が10日に決まり、土日で顔を見に行った。
すると俺は床屋だというプライドで「電動髭剃りなんか使ったことない」と長年自慢していた父が、病室でカミソリは使えないからと、なんと電動髭剃りを使用しているではないか!珍しくて動画をとっていたら「そぎゃん何でもかんでも撮るな////」と照れていた笑
髭を剃りながら坊主頭の私の息子に「ツーブロックにしてやろか?」とヘラヘラしながら言う肌着姿の父。
いつも通りの、前から変わらない父。
もしかしたらこのまま通院しながら体調管理して自宅で過ごせる日が来るかもしれないと思えるほどだった。
自宅へ帰る日、ちょっと眠いと言って玄関まで来れずに寝たままバイバイ。そして「LINEは送れよ」と言った。おすすめパチンコ動画やなんちゃない写真やメッセージをを送るだけだったけど、待ってたのか…とちょっと嬉しかったのに照れくさくて「ちゃんと見よったつたい!笑」とちゃかしてしまった。

私が自宅へ戻った日の2日後、退院中の診察日。
血液検査の結果、そのまま入院となった。

次の日、母から医師からの診療行為説明書が送られてきて、そこに書いてあったのは「シタラビン症候群疑い」の文字。
「使用している薬剤が癌を叩く代わりに体力を落としてしまい、命の危険に晒してしまっているため治療自体が害になってしまっている。
現在は輸血である程度元気に過ごしているため、今後は化学治療を終了し、適宜輸血で体力維持し緩和治療に専念することを検討するが、抗がん剤の有害事象による苦痛はなくせるものの原疾患の進行は間違いないため、短い月単位で疾患進行してくると思われる」

つまり、治療をすればするほど癌以上に体を傷つけ、予期せぬ症状で命を落とす可能性が高い、ということらしい。
医師から直接説明を受けた両親は、一日でも長く生きられる「治療をしない」という選択をした。
今後は自宅に戻り通院し、副作用の治療などが必要であれば入院。介護認定を受け治療終了となれば緩和病院に移り痛みの治療となる。延命治療についても家族で話し合いをしておく事と、家族への説明をするので時間を作ってくださいと私と弟にも連絡が来た。

4月に骨髄性白血病と言われた時にある程度覚悟はしていたとはいえ、こんなにも早くこの日が来るとは思ってもいなくて、でも先週ニコニコしていた父を見ていたせいか、現実味がなく夢のような気分だった。


お父さん、今どんな気持ちだろう
頑張れお父さん

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