オタク現場論<「青春取り戻しおじさん」がオタク現場に現れる理由>

さて、今回はなかなか燃えそうなテーマでオタク現場論を書いてみようかと思います。

「女オタオタ」という言葉がオタクの現場で聞かれるようになって久しいです。ぼくが主にいるアニクラ現場でも(声高ではないものの)そうした存在が揶揄される言葉として「青春を取り戻してるおじさん」のように比喩され、また忌避されています。そこで今回は、そうした存在を「青春取り戻しおじさん」と命名し、どうしてオタク現場で揶揄される存在となっていくのかのメカニズム、そうした存在にいかに対処していくべきなのかを考えてみたいと思います。

サード・プレイス

「サード・プレイス」という言葉をご存知でしょうか。アメリカの社会学者であるレイ・オルデンバーグが著書「The Great Good Place」において提唱した、「人には自宅のようにパーソナルな空間(ファースト・プレイス)と職場や学校などのオフィシャルな空間(セカンド・プレイス)、そしてそのどちらにも属さない『サード・プレイス』がある」とする考え方です。

「サード・プレイス」にはいくつかの特徴がありますが大きなものとしては「義務ではなく人が自ら好んで来る」「その人の肩書きや社会的地位は意味がなく、平等である」「常連によって空気が醸成される」「遊び心や楽しい会話など、楽しいことが重要視される」といったものがあります。オタクにとってそうした「サード・プレイス」の1つが、アニクラなどに代表されるオタクイベントであることは間違いないでしょう。

これらサード・プレイスにおいて、最も重要なのがコミュニケーションです。先述の通り、ファースト・プレイスやセカンド・プレイスにおいては、肩書きや社会的地位、その人の立場が大きな要素であり、例えば「安定した家庭」であったり「仕事上の目標達成」など、共通の目的が必要となります。しかしサード・プレイスにおいては、「楽しいこと」が目的のひとつです。その上で肩書きや社会的地位はあまり意味を持たず、個々人の資質に比重を置いたコミュニケーションが大きな意味合いを持ちます。

オタクが「サード・プレイス」に集まりやすい理由

こうした「コミュニケーション」においては、お互いが「共通言語」を持っていることで初めて成立します。ここでいう「共通言語」とは単なる言語の話ではなく専門用語や業界用語、あるいは仲間内のみで成立する言葉のような、言わば「その場所でのみ共通認識できるもの」のこと。この文章で多用する「現場」という言葉も、アニソンDJとしてのぼくが使えば「オタク向けのイベント」を指しますが、仕事の場面だと「直接利益を創出している部門」のことであったり、報道であれば「物事が発生している土地」を指す。この考えに基づくのであれば、コミュニケーションとは「相手との『共通言語』を探す行為」である、と定義付けることができます。

多くの場合、オタクにとって最も難易度が高いのがこの「共通言語」を探す行為です。今でこそ多少オタク趣味にも寛容な世の中ですが、それはあくまで「好き」レベルであることが必須条件です。例えばアイドルライブでいうところの「おまいつ」のような人であったり、収入の大半をアニメグッズに費やすことは、(その是非はともかくとして)社会一般的には奇異の目で見られるもの。もっと言うと、オタク趣味にハマったきっかけがこうしたコミュニケーションが不得手だったから、という人も少なくないでしょう。

ですが、アニクラ・アイドル・2.5次元舞台等、オタク現場において「共通言語」を探す行為のハードルは著しく下がります。そもそもそうしたイベントが「対象を好きである人」の集まりなわけで、その時点である程度「共通言語」は見つけられているようなもの。あとはその中で適切なワードを使えば、その時点でコミュニケーションが1つ成立する。結果としてファースト・プレイスやセカンド・プレイスにおいてのコミュニケーションを不得手とする人々が、その差を埋める場所としてオタク現場に通う、という図式が成り立つわけです。

…まあ、ここまで書くと「これはオタクに限らずサード・プレイスそのものの性質じゃねえか」という感想を抱く人も少なくないでしょう。これについては「コミュニケーションが苦手なオタクがサード・プレイスを見つけるのはえらく困難だから、現場にハマりがち」だと考えています。オタク同士の会話は「共通言語」を多用することが多かったり、そもそもコミュニケーションに対して苦手意識を持っている場合が多々あります。一般的にサード・プレイスはカフェやなんかで複数個ある、というのが定説のようですが、そういうのが難しいから結果として「現場以外にサード・プレイスを見出せなかった人が、現場にいつもいるようになる」というわけです。

サード・プレイスは青春である

多くの場合、こうしたメカニズムでオタクが現場に通いつめるわけですが、ここにはもう1つ、言うなれば「青春コンプレックス」というようなものが隠れているように思います。

そもそもここでいう「青春」とは「主に学生時代に経験することが予想される恋愛・友情を主体とした経験」と言い換えることができます。学生時代のこうした経験は、不思議と自己肯定感を高めることも多く、それを過ごすことができなかったことに対するコンプレックスに大いに苦しむ大人は少なくないようですね(まあぼくもなんだけどな!ガハハ!)。

この「青春」という経験と、サード・プレイスは非常に似通った性質を持っています。大人になることで、社会的には年齢に比した地位・振る舞いが求められるもの。逆に学生時代であれば、社会的な役割として求められるのは「学生」という身分だけです。そうした「年齢に比した振る舞いや役割を求められない」という性質は「青春」とサード・プレイスそれぞれに共通しています。

つまり、オタク現場においてサード・プレイスを求める行為は、ある意味「青春取り戻しおじさん」への第一歩、と言うことができるでしょう。そして悲しいかな、その中で「自分が認めることのできなかった青春を取り戻しにかかってしまった人」が、晴れて「青春取り戻しおじさん」と化してしまう、というわけです。

「青春取り戻しおじさん」は絶対悪なのか?

まあここまで「青春取り戻しおじさん」の発生するメカニズムを考えてみましたが、そもそもその存在が絶対悪である、と言えるのでしょうか。ぼくは決して、それ自体が悪いことではないように思います。問題は「青春取り戻しおじさん」の自覚なき暴走ではないか、と。

「ぬいぐるみペニスショック」という言葉がネット上で発生したことがありました。「好意を持っていない男性から恋愛感情を突然向けられた衝撃」を「ぬいぐるみから突然ペニスが生えた」という状況に例えた言葉です。「青春取り戻しおじさん」の暴走は、これに近いものを感じます。すなわち、「恋愛や友情などを突然提示され、サード・プレイスの快適性を脅かされる事態」が、オタク現場において忌避されているわけです。そして多くの場合、そうした快適性への危機感が「青春取り戻しおじさん」へのバッシングに繋がっているのではないかとぼくは考えています。

であるならば、問題は「青春取り戻しおじさん」の存在ではなく、「青春取り戻しおじさん」自身とそれに付き合う人々それぞれの振る舞いであり、そこさえクリアにできればお互い快適に過ごすことができるはずです。

「青春取り戻しおじさん」にどう向き合うか

ぼくは、大前提として「我々の誰もが『青春取り戻しおじさん』になりうる可能性を秘めている」ということを自覚するのが一番重要である、と考えています。何も自分が必ずガチ恋オタクになると思え、という話ではなく「なんかの振る舞いでその楽しいは簡単に壊れちゃうよ」、ということ。

サード・プレイスの快適性は「楽しい」ということによって担保されるわけで、逆に言えば「感情によってしか快適性は担保されない」ということであり、非常に脆い担保である、ということです。だとするならば、我々が少しでもその現場における「共通言語」を踏み外した行為をした瞬間に我々は「青春取り戻しおじさん」の烙印を押される可能性があるわけです。

もう身も蓋もない言い方をすれば「勘違いすんなよ!」の一言につきますが、そんなふわっとした言葉ではじゃあ何をどうすんの、となりそうです。言うなれば「コミュニケーションは相互の確認作業でしかない」ということを理解することと、「相手が望んでいないことをしない」を徹底すること。これだけで我々が「青春取り戻しおじさん」と揶揄される可能性はぐっと下がるはずです。まあ個人的には「俺は奴らとは違う」って思った瞬間にもうヤバいんじゃないか、と思っています。闇堕ちフラグビンビン。

「青春取り戻しおじさん」が暴走しちゃった時の対処、という話ですが、これはもう偏に「断固拒否」の一手なのかなー、と思います。「なんでそこまでしてやらなきゃいけないんだ!」みたいなことを思うかもしれませんが、ぶっちゃけこういう存在って「迷惑です」の一言で結構片付くものです。その勇気を被害側に求めるのは本当に酷だな、という風にも思うのですが、もうこればっかりは事故に遭う確率と似たようなものなのかな、と…不利益を被った場合は思いっきり撒き散らしてやるしかないのです。ほんと具体的な解決策もないから、彼らはめちゃくちゃ厄介扱いされているわけで。

まとめ

というわけで「青春取り戻しおじさん」についてのお話でした。考えれば考えるほど自分の青春コンプレックスが浮き彫りになって書いてる最中で死にたくなることこの上なかったのですが、まあつまるところ「もう一回相手のことを考えろ!」ってことですね。たぶんですけどその方が楽しいです。サード・プレイスの条件でもこんなことを言っていました…「義務感ではなく、喜んでやってくる」と。喜んで行けないようなら離れるなり、周りに相談するなりすることで、状況は好転するはずです。ほんとふわっとしたことしか書けなくてすいません。

最後に、ここまで言ってダメだってんならもうあなたは迷惑な女オタオタの可能性が極めて高いから、イベント行っても怒られるだけだぞ!!!!!!!!!!!!!

次回はちゃんとDJ論書きます。たぶん楽曲整理の話かと。それでは。

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