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コロナでノーシャンプー・ノーメイクになったそれだけの話

(写真はそーしゃるでぃすたんすの回転寿司。またの名を予備校の自習室)

昼休み、蕎麦屋でテレビをぼーっと見ていたら、ガチャガチャとしたバラエティ番組の途中で、ピコーンと聞いたことのない音がした。
続いて流れてきたのは「ニュース速報」の文字。そのあと同僚から、「今日の東京の感染者数、107人だったよ」と聞いた。

新型コロナは終わらない。
帰り道、すれ違った子供が「もうコロナいやぁー」と叫んでいた。激しく同感だ。

このパンデミックで、人々の生活は大きく変わったらしい。リモートワークが進み、ミニマリストも転向が相次いでいるとネットの記事で読んだ。
私はどうだろうかと考えてみる。
変わったこと、大いにある。このコロナ禍を経て、ノーシャンプー、ノーメイクになったのだ。ノーシャンプーというか、湯シャン人間になった。湯シャン人間? 湯シャラー? なんでもいいか。
別に、何かに「目覚めた」わけではない。ただ単に、一日8時間の安マスク生活のせいで皮膚炎になり、これ以上悪化させないためにメイクとシャンプーをやめた、それだけの話だ。

今から、ただそれだけの話をする。湯シャンの話だ。
湯シャンとは、お湯で頭を洗う、ソレだ。
一時期タモリと福山雅治がやっていると話題になっていたアレだ。タモリはともかく(タモリはともかく?)福山は今も湯シャンなんだろうか。誰かラジオにメールして聞いてほしい。私はそこまでの興味はないので。

で、その湯シャンを始めた。
顔の周りだけだった皮膚炎が頭皮にまで進行し、痒くて痒くて「もう坊主になりたい」と言ったら上司にドン引きされ、それでも痒くて痒いけど我慢、痒い、痒すぎる、我慢、できずかきむしる、痒い、のループにハマっていたところ、見かねた知人の看護師Aが叫んだのだ。「シャンプーをやめな!」と。

は?と思った。髪を清潔にするために使っているものをやめろとは?
でも同時に納得感もあった。私のフケはサラッサラのカサッカサで、脂がちっともなく、シャンプーをしてもまったく無くならないのだ。

もちろんお湯だけで洗うなんてゴワゴワのベトベトになりそうだし、とそれなりに抵抗感もあった。臭いとか大丈夫なのか。それにタモリも福山もおじさんだけど、私は髪長いし、一応妙齢の女だし。
でも背に腹は変えられないので、とりあえずやってみた。

結果は大成功だった。シャンプーをやめたら粉雪のように舞っていたふけが(お食事中の方、ごめんなさい)、ピタッと姿を消したのだ。ありがとう看護師A。ありがとうタモリ福山。

それまで一度も皮膚科のお世話になったことがなかったので知らなかったが、最近の私の肌はそこそこ弱く、市販のシャンプーでは洗浄力が強すぎたらしい。今は毎日湯シャン、三日に一回シャンプーで改善の一途を辿っている。
でも本当に驚いた。今まで二十うん年生きてきて、一度だって思ったことなどなかった、シャンプーが必要ないなんて。「髪を洗う=シャンプーをつけて洗う」というのが当たり前で、ほかの選択肢が、しかもその選択肢の方が自分に合っているとなんて考えたこともなかった。
常識は疑ってみるものだ。そして常識を疑うのは、けっこう楽しいものなのだと、たかが湯シャンながら思った。

前から大してしていなかったが、化粧をしないことの楽さと自分の素顔でいることに居心地の良さを実感している。それから最近は筋トレにもハマっている。プロテインを飲み、ブロッコリーをバクバク食べている。何事も三日坊主だったのに、習慣化してしまった。
これら全部、三年前の自分に言っても信じてもらえないだろう。
コロナで外に出られない中、家の中にいながら自分に訪れた変化が面白い。二十代も終わりが見えてきたけれど、まだまだ人は変われるもんらしい。

この急に思い立ったエッセイも、意外と続く、かもしれないし、かもしれなくないかもしれない。


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